「毒親を持ったつらさは死ぬまで続く」
そう語るのは、実の父親から受けた虐待にまつわるエピソードを話すゆきこさん。
暴言・暴力に10年以上苦しみ続けた当時の様子をまとめ、投稿サイトで発表したエッセイは、同じ境遇で苦しむ読者から支持されています。
エッセイの中で、毒親の被害にあった方の人生を「呪縛」という言葉を使って表現した意図や、幼少期から虐待を受けながらも成人を迎えることができた「毒親サバイバー」として、今つらい思いをしている方々へ伝えたい言葉などを伺いました。
(ゆきこさんが毒親から受けた被害や、家を飛び出したあとに直面した壁については、インタビュー第1弾で語っていただいています:わが子をなじり馬乗りで首を絞める「毒親」から逃げた女性が語る、実父の仕打ちと現行制度の“大きな問題” )
“親だから”という呪いに子どもは苦しんでしまう
学生時代、殴られ、蹴られという日々の中でも、おかしいと思ったら言い返したりと、父親と真向から対立することが多かったというゆきこさん。
普段から暴言や暴力の被害を受けながらも萎縮せずに立ち向かえていたのは、「幼いころから母への理不尽な仕打ちを見ており、父親の言動に問題があると思っていたから」と言いますが、これが私ではなかったらどうなっていたんだろう、とも感じたそう。
「ことあるごとに怒鳴って手をあげたりと、母への態度は普通とは思えませんでした。だから私の場合は“父がおかしい”という確信を持てていたぶん、心が折れることはなかったんですけど、“親の言うことは絶対”って思ったまま弱ってしまう子どもも多いのではないかと思います」(ゆきこさん、以下同)
特に小さなころは、何事も親から教わりますが、すべての親が子どもにとって“いい親”であるとは限りません。
「ですが、“親だから感謝しなきゃだめ”、“親にそんなこと言っちゃだめ”、“親も完全じゃない”などという言葉で、いつの間にか周囲から自分の意思を抑圧されてしまうんです」
と、ゆきこさんは指摘します。
ゆきこさん自身も、同様の経験がありました。彼女が中学生のとき父親に耐えかねて家を去った母親と、高校生になって電話したときのこと。当時は味方だと思っていたはずの母親から「父親だから(もっと寄り添って)」「結局お金を出してもらっているのは事実」などとしきりに発言され、父親のいる家に帰りたくないからと家出をして友人の家に宿泊した際にも、「あなたにも非はあった」と家に戻るよう説得されたんだとか。
この話を聞いていて、内側からじわじわと蝕(むしば)まれていく恐ろしさを感じました。
毒親の被害者を追い詰める環境が整っている
毒親という存在について周囲に相談したり、SNSでカミングアウトしたりする際に、被害者側が「甘えるな」などの辛らつな言葉を浴びせられることも少なくありません。
ゆきこさんは、そんな事態に陥っている背景には、主に2つの問題があると指摘します。
「1つは、幸せな家庭で生きることができた人が、つらい境遇にある人の心境を理解できずに、毒親の被害者を傷つける発言をしてしまうパターンです。これは、想像力が足りないというか、実態を知らないという知識不足からくるものなので、まだ理解ができます」
年功序列が色濃く残っている時代を経験した上の世代は、長いものに巻かれる習慣が根強く、また、体罰があったため自分も殴られて育ってきたという経験から、被害者の苦しみを想像しきれず「この程度で毒親なんて」と疑わずに思っている人が多いそうです。
しかし、これは重大な問題ではなく、もう1つのケースが、毒親問題の深刻化に拍車をかけていると言います。
「より問題なのは、実際に自分も毒親の被害にあっている人が、世間の常識にとらわれたり、“自分は毒親に苦しめられてなんかいない”と自己欺瞞による正当化をしたりするために、同じ立場の被害者へ心ない言葉を発してしまうパターンです。これは言われたほうも救われないし、言っている側も救われないんです」
悪意なく人を追い込みやすい環境が整っていることに加えて、本来、互いの境遇を理解して手を差し伸べあえるはずの被害者同士ですら、相手を追い込む発言をしてしまうことが、根本的な解決の難易度を大きく引き上げているというのです。
「相談してもまともに取り合ってもらえないこともあるし、誰かから“周りに相談したほうがいいよ”と言われても、否定されることを恐れて”私が我慢すればいいだけだから”と引っ込んでしまう。そして、親や周囲から“おまえが悪い”と言われ続けたら、やがて本当に自分が悪いんじゃないかと思い込んでしまう。毒親の被害者をとりまく環境には、この先の本人の人生を大きく狂わせてしまうリスクが潜んでいます」
ゆきこさんはこう続けます。
「特に幼い子どもたちは、自分の状況を客観視することが難しく、親自身も自分が悪いことをしているとは思っていないから、対処が難しいんです」
誰もが毒親になってしまう可能性がある
ゆきこさんはSNSやエッセイなどを通して毒親に苦しむ人へ向けた発言をしていますが、それと同時に「誰もが毒親になってしまう可能性」も指摘しています。
毒親をテーマにした卒業論文を書くために資料を調べる際、ゆきこさんは、アメリカのセラピストで毒親に関する書籍を多数、執筆しているスーザン・フォワードに着目しました。
スーザン・フォワードは、毒親を以下の4パターンに分けて定義しています。
●子どもが従わないと罰を与え続ける「神様」のような親
●「あなたのため」と言いながら子どもを支配する親
●大人の役を子どもに押しつける無責任な親
●脈絡のない怒りを爆発させるアル中の親
スーザンはそう定義づけたうえで、「親がよかれと思ってやったことでも、子どもがストレスに感じていたのであれば、その行為は子どもにとっては毒になってしまうので、親の意思は関係ない」とし、「(親よりも)子どもがどう感じるかが重要だ」と結論づけています。
つまり、親のエゴが積み重なると、やがて毒親になる可能性があるということです。
「毒親によって与えられた苦しみは大人になっても続くという意味で、“呪縛”という言葉を使ってエッセイを書きました。痛めつけられた子どもの心は、年を重ねても癒やされない一生ものの傷を負うので、呪いという言葉がぴったりではないかと。“自分も知らないうちに子どもを傷つけていないか”を意識できる大人が増えることが重要だと感じています」
毒親サバイバーは、家を出てからが人生のスタート
2022年現在の法律上、親子の縁を完全に切ることは不可能であり、できる対応といえば「戸籍の分籍」のみとなっています。
そのため、ゆきこさん自身も父親との縁を完全には切れていないのが現状です。実家を出て、自分で稼いだお金で生活しているとはいえ、毒親との闘いは、いまだに続いています。
それでも虐待に負けずに生き延び、成人を迎えた「毒親サバイバー」として、現在進行形で毒親に苦しむ人びとへのメッセージを伺いました。
「毒親の問題は、家を出てからが本当のスタートです。私も当初は毎日のように(父親から受けた暴行などの)フラッシュバックが続いたし、本当に苦しい毎日でした。ですが、親がいないからこそできることって、いくらでもあると思います。ぜひ諦めずに病院や機関などを頼って、命をつないで、人生を自分の手で勝ち取っていってほしいです」
今回の取材を通して「毒親」の存在は、決してレアケースではなく、気づかないうちに誰もがなってしまうこともあるのだなということが理解できました。
「私はこんなに子どものことを思っているのに」
そんな思いも、長年の心の傷を残す毒となって、子どもを苦しめる呪いなのかもしれません。
ゆきこさんは取材中に、
「どこかに絶対助けてくれる人はいるはず」「“どうせ助からないから”と思わず、希望を捨てずに勇気をもってSOSを出してほしい」
と、毒親へ苦しむ方へのエールを数多く発言していました。
ひと筋縄ではないかない、根の深い問題だと感じますが、少しでも現状がよくなることを願ってやみません。
(取材・文/翌檜佑哉)
【参考文献】
◎『毒になる親』(毎日新聞出版刊/スーザン・フォワード著/玉置悟訳)
◎『わたし、虐待サバイバー』(ブックマン社刊/羽馬千恵著)
【INFORMATION】
◎ゆきこさんTwitter→https://twitter.com/kkym_yukiko
◎ゆきこさんnote→https://note.com/fujitoko