1986年、39歳でのデビューから現在まで「ひとりの生き方」をテーマに、多くの著書を発表してきたノンフィクション作家の松原惇子さん。松原さんが愛してやまない猫たちとの思い出と、猫から学んだあれこれをつづる連載エッセイです。
第9回→引っ越し歴17回の「気の変わりやすい」マミーがついに実家から脱出! 新居の団地に広がっていた野良猫ワールド
第10回
マンション生活が長かったので、一戸建ての実家に引っ越してきてからは冬の寒さが堪えた。わあ、なんて寒いの? 1階はまるでシベリア大陸のようだ。わたしが「寒い! シベリア大陸だ!」と連発するものだから、50年以上暮らし続けている自分の城をけなされたと思ったようで、母は機嫌が悪い。
「寒い、寒いってなんなのよね。マミーは寒いんだってさ。グレちゃんは寒くないよね」
グレの背中を触ろうとして、また逃げられる。まったく懲りない母だ。
ほんと、老母と老娘の会話はまったく接点がなく、猫なくしては始まらないのである。大正時代の女性は気丈だと言われている。母はまさにその典型。そして娘のわたしも結構気が強い。気が強い者同士、合うわけがない。グレちゃんこそがわたしたち母娘のオアシスなのである。グレを呼ぶときの母の声は、いわゆる猫なで声だ。
猫と暮らすのは心配の連続でもある
夏は1階のほうが涼しいので住みやすいが、冬は太陽が燦燦(さんさん)と入る2階のほうが住みやすい。逆に夏の2階は灼熱地獄と化す。夏が過酷なのはグレちゃんも同じだ。スウェーデンの環境活動家グレタさんが温暖化防止を訴えて注目された2018年ころから、夏になると吐く回数が増えてきた。
「グレちゃん、大丈夫?」カリカリはちゃんと食べているから元気よね。不安になり、猫を飼っている友人に「おたくの猫は夏バテしていない?」と聞くと、やはり吐く回数が多くなったという。最近の夏の暑さは異常だ。年々厳しくなっていく。このままではどうなるのか。人間も猫も夏を越すのが大変だ。ただ、グレちゃんの場合は、昼間は1階にいるようなのでそれだけが救いだ。
猫はしゃべらないからいいという人がいるが、猫と暮らすのは心配の連続でもあるのだ。何を考えているのかな。幸せなのかな。こっちの気持ちがわかっているのか、わかっていないのかもわからないが、それがいいのかもしれない。人間は脳が発達しているので、なんでもわかろうとするが、わからなくていいことを大事にしたい。
暑かろうとヒエヒエマットを買ってきたが、無視された。理由はわからないが、それでいいのだ。猫に理由などないのだ。ただ嫌だというだけなのだ。
よく見ると、グレちゃんの足が少し曲がっている?
「わあ、いやだ、いやだ。2階はサハラ砂漠だわ。グレちゃんも大変ね」とシベリア大陸への反撃が来た。この母はどこまでも強い。でも、このくらい強くないと90代まで生きられないのかもしれない。
あれ? 2階の暑さを知っているというのは、もしかして、母はわたしの留守中に、2階に上がることがあるのか。母には家賃を払っているのに、わたしの部屋に無断で上がるとは。だから嫌なのだ。親子というのは土足で入り込んでくるから嫌なのだ。ああ、やっぱりわたしは完全にこの家を出て行くべきかもしれない。
そんなマミーの葛藤に関係なく、どんなに暑くてもグレちゃんは涼しい顔で窓辺に座り、外を優雅に眺めている。暑いからと文句をいうこともなく、心はいつも平常心だ。ああ、わたしも少しは、猫を見習わないといけないようだ。
毎日見ているので目が慣れてしまっていたが、グレちゃんの足が少し曲がっているように感じた。前足の間が少し空いている。まだお婆さんという年齢ではないのにおかしいと思い、年を数えてみたら、10歳をとうに過ぎていることに気づきはっとした。
猫の一生は短い。平均寿命は13歳から15歳くらいと言われている。先代のメッちゃんが20歳まで生きたので、グレちゃんもまだまだ生きると勝手に思い込んでいたわたしはどうかしている。自分のことでバタバタしているうちに、グレちゃんが平均寿命に近づいていたのを、気づかなかったのだから。なんだか、毛のつやもなくなってきたような気がする。
*第11回に続きます。