《もみぢ葉の 散り敷く道を 歩みきて 浮かぶ横顔 友との家路》
1月18日に行われた新年の恒例行事『歌会始の儀』で、天皇家の長女・愛子さまは2023年のお題「友(とも)」へのお気持ちをこのような和歌に込められた。
「昨年秋に皇居・吹上御所の庭を散策中、散った紅葉に覆われた道を歩いた愛子さまが、学校からお友達と並んで帰った思い出を詠んだものだそうです」(宮内庁担当記者)
愛子さまは、幼いころから七五調が使われている童謡などを通して、簡単な言葉遊びに慣れ親しまれてきた。学習院女子中等科に進学してからは、百人一首のかるた取り大会で優勝するほどの腕前となり、現在通われている学習院大学文学部の日本語日本文学科(3年)で学ばれている原点ともいわれている。
「愛子さまは、和歌を作るのにそれほど時間がかからなかったといわれています。むしろ作った歌が多すぎて、先生に見てもらうものを選択するのに悩まれたそうです」(宮内庁関係者)
『歌会始』には、主催された天皇・皇后両陛下をはじめ秋篠宮ご夫妻と次女の佳子さまなど、皇族方も出席された。愛子さまは学業を優先したことから出席を見送られたが、実際の様子を映像で確認なさったそうだ。
両陛下や皇族方の歌をはじめ今回最年少の入選者、山梨県北杜市の中学2年生・小宮山碧生さんら10人の短歌が、古式ゆかしい節回しで詠み上げられると、最後までご関心を寄せられていたという。
苦楽を相伴った学校生活でご友人とのかけがえのない思い出を
「愛子さまにとって、“友”と過ごされた時は、実にかけがえないものだったのではないでしょうか。両陛下は、皇室という特別な環境で育つだけではなく一般の人たちとかかわる機会を大切にしたいと願われてきました。だからこそ愛子さまが安心して学校生活を送れるよう見届けてこられたのです」(愛子さまの同級生の母親)
愛子さまが学習院初等科2年生で不規則登校になったときも、雅子さまは学校に行きたくても行けないわが子の小さな手を引いて付き添い登下校をなさったのもこうした理由からだった。
通常の登下校となった学習院女子中等科からは笑顔も多く見られるようになり、高等科2年生の夏休みには、サマースクールを利用して英国の名門・イートン校への短期留学も「友」たちと経験された。学校生活の中から、多くのことを学んで歓びが生まれたことは、今でも愛子さまの大切な思い出となっているようだ。
胸元に輝くシルバーのペンダントが呼んだ“波紋”
成年皇族となった愛子さまの注目度が高まるにつれ、そんな「友」をめぐって憶測が飛び交うようにもなった。
「昨年12月1日、愛子さま21歳の誕生日に宮内庁は皇居内の厩舎で馬と触れ合う愛子さまの写真や映像を公開しました。そのとき愛子さまが身につけていたシルバーのハート型ペンダントがボーイフレンドからのプレゼントで“匂わせ”ではないか、宝飾ブランド『4℃』のものではないか、といった雑誌の記事やネット上の話題が取り沙汰されたのです」(宮内庁担当記者)
侍従の定例会見でもペンダントの贈り主について、記者から質問が飛び出すほどだった。事実は学習院女子中・高等科時代のご学友から以前に贈られた大切なものだという。宮内庁は、これまで皇族のプライベートにかかわる細かいことまでは、会見で説明してこなかったが、今回あえて事実を公表した背景には、愛子さまを守ろうとする姿勢があったようだ。
「翌年の『歌会始』のお題が『友』ということもあり、両陛下と相談して大切なお友達からプレゼントされた感謝の気持ちを込めてペンダントをつけられたそうです。自然な洋服姿と装飾品だっただけに、逆に憶測を呼んでしまったのでしょう。仮にボーイフレンドからのプレゼントだったとしても、一般の方がするような表現はなさらないのではないでしょうか。愛子さまご自身もこうした憶測が出たことに、少々、驚かれていたそうです」(宮内庁関係者)
2年8か月前のご入学以来、初めてキャンパスで対面授業を受講
愛子さまの相手に対するお気遣いの表現は、母親の雅子さまはもちろんのこと、上皇后美智子さまからも受け継がれてきたものだという。人をもてなしたり、人に感謝する表現をなさることはマナーでもあるそうだ。
昨年12月には、愛子さまの外出の機会が多く見られた。1日の誕生日には、おひとりで上皇ご夫妻にご挨拶。かねてから上皇陛下のご体調を気にかけていたということもあり、挨拶の後、上皇ご夫妻からお言葉をかけられたことに感謝のご様子だったという。
3日と4日には天皇陛下とご一緒に学習院大学の史料館や都内の五島美術館を訪れ、三笠宮さまの生涯を紹介する展示や歌人・西行の特別展をご覧になった。20日、21日は学習院大学のキャンパスに登校。ご入学以来、初めて対面授業や試験を受けられた。コロナ禍のため、巣ごもり状態ともいえるリモート授業を受けてきた愛子さまだったが、キャンパスで実際に受講する授業や新しいお友達とのかかわりは、やはり新鮮なものだったのではないだろうか。
チャリティー上映会で関係者を感激させた愛子さまのひと言
昨年最後のお出かけとなったのは、12月28日のこと。両陛下と愛子さまは、港区・六本木の映画館で『Dr.コトー診療所』の地域医療支援チャリティー上映会を鑑賞された。ご一家そろっての映画鑑賞は3年ぶり。上映の前後には、愛子さまから主演俳優や映画監督らに話しかけるなど気遣いが見られたという。
そんな愛子さまの積極的なご様子に、テレビ局関係者は「20歳を迎えた際の記者会見ではご自分の性格を『小さいころから人見知りのところがございますので、これから頑張って克服できれば』と述べていただけに、この日の公務に備えて努力なさってきたことがうかがえました」と話す。
愛子さまとの心なごむ会話は、関係者たちの印象に強く残ったようだった。お見送りする主催者側のひとりが、中学1年生のときに愛子さまが書かれた短編小説『看護師の愛子』に触れた。小説には、海の生きものを次々と手当てして助ける「海の上の診療所」が書かれていたという。愛子さまは小学生のころから動物医療や地域医療にご関心が高いそうだ。
主催者側のひとりが「今後も素晴らしい文章を書いてください」と伝えると愛子さまは、はにかみながら「どうなることやら」と笑顔で返された。
こうしたユーモアのあるやりとりは、雅子さまがご友人や職員らと会話をなさっているときのセンスと、とてもよく似ているという。愛子さまの言葉に両陛下や主催者たちから笑顔がこぼれた。
公務を終えたご一家が車に乗り込もうとなさると、愛子さまが戻って主催者側のひとりに「今日、お誕生日ですよね。おめでとうございます」と声をかけられた。
実はその人物の誕生日は公表しているものとは違い、実際の誕生日が28日であることを知っている人はあまりいないそうだ。愛子さまがよくこのことをご存じだったと本人も驚いたという。愛子さまのこうした人とのつながりを大切になさっているお姿は、両陛下のなさりようそのものだと宮内庁職員は語る。
今年4月からは大学4年生になる愛子さまは学業優先が続くだろうが、時折、国民との触れ合いの中で自然なお言葉と優しさを届けてくれることだろう。
(取材・文/友納尚子)