’96年の「プリンセス プリンセス」解散後は、結婚、出産を経て、約13年間育児を中心とする生活をしていた岸谷香さん。2014年からソロの活動を本格的にスタートし、今日まで主婦と音楽を両立させながら、アーティストとして活動の幅を広げている。50代になってもカッコいいライブで観客を魅了し続ける香さんの輝きのヒミツに迫るロングインタビューをお届けします。何事にもポジティブに楽しむ精神で向き合う生き方には、元気になれるヒントがあふれています。
インタビュー【#1】《岸谷香さん、『プリンセス プリンセス』再結成を経て目覚めた「音楽を楽しむ」喜び》に続き、【#2】では、50代で変化してきた主婦の仕事、家族への思い、今後の人生のテーマと夢……など、ひとりの女性としての人生を中心に、たっぷり語っていただきました。
いつも嬉しいことを探している
──ここからは、奇跡の55歳である岸谷香さんの魅力をより深く探っていきたいと思います。年齢を重ねてからも輝き続けるために、必要なことはどんなことだと思われますか?
「輝きっていうのは、自分ではわからないから、それが躍動感とか快活さとかだと考えると、私は、いつも嬉しいことを探していますね。洗濯とかお皿洗いとか……楽しくないことももちろんしますけど、できれば人生嬉しいほうがいいし、楽しいほうがいいし。ちょっとしたことでも、“喜ばないより喜んだほうがハッピーじゃん!”っていう考えが最近すごくあって。
だから、音楽もリハーサルだったら“ヤッター! 今日はリハの日”くらいに思って行ったほうが、同じことでもきっと楽しいしと思うし。今は音楽が私をいちばん高揚させるものではあるから、そういうものに囲まれていますけど、囲まれるようにセッティングしているは、自分なんだろうなと思うから。大切な友達、飲み会、おしゃべり、好きな服、好きな香りのキャンドルとか……ちっちゃいことも含めて、全部好きなもので人生を固めたら最高だなって。なるべく嫌なことも、好きなことでごまかそうみたいな(笑)。日々、そういうふうに一生懸命やってますね」
──ライブでも昔と変わらない姿と声でパフォーマンスされていて、本当にすごいと思ったのですが、若さと美しさを保つためにされていることはあるんですか?
「声はよく変わらないと言っていただきますけど、ちゃんと55歳のシワもシミもありますよ(笑)。スタイルを保つためのワークアウトとかは全くしてないです。運動が好きじゃないし、毎日少しずつ努力するのがそもそも苦手なので、ジムに通っても絶対続かないんですよね。
唯一私が今やっていることがあるとするならば、5年くらい前から、スポーツクラブのプールで泳いでます。水泳を始めた理由は、水そのものと水の中の独得な音が大好きなことが大きいかな。目標は週1だけど、今のところ月1くらいの感じで行ってますね。でも行くと意外と真面目で、多いときは1000m、少なくても500mくらいは泳ぎます。楽器をやっていると、肩や首が凝ったりするんですけど、実はマッサージよりも泳いだほうがよっぽどほぐれるんですよ。だから不調なときほど行きますね」
──お子さんも大きくなられて、プライベートでの自分の時間も増えたと思いますが、大切にされているのはどういう時間ですか?
「私は文章を書くのが好きなんですね。パソコンが苦手だから、全部手書きなんだけど。今、東京新聞(東京新聞ほっとweb連載 岸谷香の「東京MY STORY」)でエッセイを連載させてもらっているんですけど、それがけっこう楽しくて。“よし! 今日は書くぞ”って原稿を書いた翌日は腕がすっごく痛くなるくらい。しゃべっているみたいに原稿を書きたいから、気持ちがせいちゃって、どんどん言葉が出てくるので、しゃべっているのと同じくらいのスピードで書くもんだから、消せるボールペンのインクもすぐなくなっちゃって。だからガンガン消せるように1000本買いだめしたんですけど(笑)。それくらいの勢いで書くのが好きで。あと、日にちを変えると文章のリズムが変わってしまうので、それがイヤだから書き始めたらなるべく最後まで書くようにしてます。だからやりだすと半日くらい使っちゃう。ファンクラブの会報の原稿には手書きの文字をそのまま載せてるんですよ(笑)。そのほうが感情や雰囲気も伝わる気がするし、東京新聞の原稿も手書きのまま出してほしいくらい、手書きが好きですね」
夫婦の関係は「宇宙船の乗組員」みたい
──ベテラン主婦でもある香さんですが、主婦として50代になってから、やるのを止めたことや何か変化させたことはありますか?
「今までは、自分の肩書は“お母さん”または“家庭の主婦”で、ちょっと音楽やっていい? みたいな感じだったんですね。だから、家のことはちゃんとしなきゃなとやってきたんですけど。子どもたちが高校でアメリカに留学して巣立って、少し変化したのかな。夫は大人ですからね。うちの夫婦の関係性って、船とか宇宙船の乗組員みたいなんですよね。宇宙戦艦ヤマトでいうと、古代進と森雪じゃなくて、古代進と島大介なんで(笑)」
──本当に並列なご夫婦関係なんですね?
「だと思います。あっちはどう考えているかは知らないけど(笑)。一応、私の部署の役割として、メシを作るみたいなこともあるわけで。前は、仕事で地方に行くときも、おかずを作り置きして、チンして食べればいいようにしてましたけど。最近は、できるときはやるけど、やれないときはやれないって体制にもなって。それで問題も起きてないですね。夫も“いいよ別に”って感じです。まあ、50代になってそれが一番変わったかな。たぶんお互いに自分のペースでやりたいと思っているから、家にいるときでも、時間のあるときに作っておいて、“どうぞ勝手に食べてね”ってしておくと、すごく変な時間に食べていたりもするから。子どもにはちゃんと責任をもってやりますけど、夫は乗組員同士だから、よろしくねと(笑)。
うちの家族って全員がマイペースで、自分の好きなように生きてるんですよね。子どもたちも、自分の意志でアメリカの高校に進学しちゃったし。4人とも自分で決めて好きなようにやってるのが、今すごく開花しちゃているという感じですね」
──香さんにとって、ご家族はどんな存在ですか?
「やっぱり一番大事なものですよ。音楽は2番。だけど、どっちもないと私の人生じゃないから、甲乙つけがたいですけど。どっちか捨てなきゃいけないって言われたら、音楽でしょうね(笑)。そのくらいのもん。だから今、こんなふうに音楽を楽しめるのかな。ゴルフが好きな人は仕事だと早起きが苦痛でも、ゴルフだったらすごい早朝から飛んで行ったりするじゃないですか。それみたいに、趣味でいられるって、最強のエネルギーだと思うんですよね。だから、私は、ほんと音楽は一生の趣味でいたいなと思っています」
「人と違うことを」無意識でしていた教育法
──2人のお子さんたちに対しては、将来こうなってほしいとか、希望はありますか?
「子どもたちが、私や夫のことを“自己肯定感が高い”って表現するんですけど。つまり自分が大好きな自分っていうことですよね(笑)。その言葉を借りるならば、自己肯定感がもう満々な人になってほしいなと思うし、生まれ変わるんだったら、もう1回、俺がいい。私は私がいい。そう思ってくれる人生を歩んでくれたら、多少ヘンテコでもいいかなって思います」
──そういう人に育つように、何かしてきたことはあるんですか?
「強いていうなら、私自身が人と違ってなんぼっていう仕事のミュージシャンだからなんですけど。隣の人と同じ音楽をやっていたらダメだし、隣の人と同じ歌じゃダメだし。この人ならできる、成立するっていう仕事をしてきたから、人と違うってことに、どうやら重きを置いて子どもの教育をしてきたみたいなんですよね。ただ、私は無意識のうちでしたけど。
息子が小学生のとき、塾に行くのに私のお気に入りブランドの子どもバージョンのTシャツを着せていて。かなり特殊なデザインのものだったんだけど、それを恥ずかしいからって裏返しに着て塾に行ったことがわかって、息子に理由を聞いたら“あんなの誰も着てないからヤダ。僕はみんなと同じようなのがいい”って、言ったことがあったんですよ。それで私は、“クラスの何人もの子が同じの着てるじゃない、それがいいの? なんで? 人と同じなんてイヤじゃん”って、すごく言ったのを覚えているんですけど。そのときに“私、人と同じっていうのは、いいことって教えていないんだなって”思って。
だから、今、二十歳になった子どもとたまに飲んだりすると、“うちはお母さんに、人と同じがどんだけつまらないかって、教育されてきた”って言うんですよ。それで、2人とも“人と同じじゃつまらない”って思うようになってるみたいですね」
──個性があるんですね?
「ギョッとするような娘と息子です(笑)。結果的に私の教育が正しいかどうかはわからないけど、それであの子たちが幸せならいいなってことだから。成功か失敗かはまだわかりません(笑)」
やりたいことは我慢せずやるべし!
──今後の生き方で大事にしていきたいことは?
「コロナ禍で特にですけど、いつ予想もしなかったようなことが起きるかわからないと、すごく実感していて。年齢的にも親が亡くなったり、友達が亡くなったりとか、そういうこともぼちぼちある年齢ですよね。だから、そんなことも目の当たりにして、今私がすごく思っていることは、やりたいことは我慢せずやるべしってことなんです。それを強く感じた出来事があって。
日本にコロナが蔓延する寸前の2年前の2月の終わりに、アメリカに息子の高校の学校行事を見に行ったんですね。課外授業でミュージカル『マンマ・ミーア』を生徒たちが上演することになって、息子はそのバンドでベースを弾くって聞いて、どうしても見たくて。そのミュージカルもすごく楽しかったし、外国人の友達がいるんだとか、学校ではこんな存在として見られているんだとか、いろんな姿が見られて。でも帰国した次の日くらいからコンサートが次々に中止になったり、日本の様子がまったく変わっていて。
だから、あのときに思いきって行ってほんとによかったなと思ってて。あれを逃していたら、卒業するまで息子の学校生活や行事を一度も見ないで終わっていたんですよね。それがいい教訓で、行きたいところは絶対に行くべし、やりたいことはやるべし、食べたいものは食べるべし。という精神で、ここからは自分の欲求に忠実に生きていこうと思っています」
──最後に、アーティストとして、またひとりの女性として、それぞれでチャレンジしたい夢を教えてください。
「子どもたちが留学してから、英語を勉強しているんですね。外国人の先生にマンツーマンで、だいたい週1で1時間のペースで、とにかく英語で会話して。学び始めた理由は、子どもたちが通う学校に対して、どんなに稚拙でも自分の言葉で、“この子はこうだから、こうしてください”とか“この子にこういうことはしないでください”とか、“認めます”とか“認めません”とか”言いたいと思ったからなんですけど。夢は、子どもたちのコミュニティで紹介されたら、“ハーイ! ハロー”って、何事もなく意思疎通ができること(笑)。あとは、海外に友達ができたら楽しいだろうなって思うし。英語が話せるようになったら、私の人生最後の目標は達成かな~と思います」
──アーティストとして、これだけは成し遂げたいというような夢はありますか?
「ソロだから解散もないし、辞めるタイミングは自分がもうできないと思ったときだと思うので、一日でも長く、音楽をやっていきたいと思います」
(取材・文/井ノ口裕子 撮影/高梨俊浩 ヘアメイク/中込奈々)
《PROFILE》
きしたに・かおり 1967年2月17日、東京都出身。1986年、5人組ガールズバンド「プリンセス プリンセス」のボーカルとしてデビュー。1996年5月31日、武道館公演をもってプリンセス プリンセスを解散。同年に結婚。1997年に奥居香ソロとしてシングル『ハッピーマン』を発売し、ソロ活動をスタート。2001年、子どもを授かったことをきっかけに、岸谷香に改名。その後13年間は育児を中心とする生活が続いた。2012年、東日本大震災復興支援のため、16年振りにプリンセス プリンセスを1年限定で再結成。2014年からソロ活動を本格的にスタートさせる。2017年、ガールズバンドプロジェクトを立ち上げ、2018年1月にバンドサウンドでのミニアルバム『Unlock the girls』をリリース。岸谷香率いるガールズバンド「Unlock the girls」(Yuko:ギター&コーラス、HALNA:ベース&コーラス、Yuumi:ドラムス&コーラス)としても本格活動をスタート。
2022年5月4日ビルボードライブ大阪にて開催「佐藤竹善 Presents Cross your fingers 22 ~Club Vibes~」、7月28日、LIQUIDROOMにて開催の「sugarbeans感謝祭~つぶあんこしあんトレビアン大集結!~」にゲスト出演。
Kaori Kishitani 2022 Live Tour 55 th SHOUT!
【名古屋】2022年5月21日、名古屋ボトムライン
【大阪】2022年5月22日、大阪BIGCAT
【宮城】2022年5月28日、仙台Rensa
【東京】2022年5月29日、EX THEATER ROPPONGI
【沖縄】2022年6月4日、沖縄ライブハウスモッズ