2015年に上演した舞台『もっと超越した所へ。』(以下:『もっ超』)が映画化される、劇作家・演出家の根本宗子さん。自身が指名し信頼を寄せる山岸聖太監督やプロデューサーとの議論を経て、映画の脚本と小説版を手がけた先に見えた境地とは──。
新進気鋭の服飾デザイナー(前田敦子)×ヒモ体質のストリーマー(菊池風磨)、彼氏に染まる金髪ギャル(伊藤万理華)×ノリで生きるフリーター(オカモトレイジ)、元子役のタレント(趣里)×あざとかわいいボンボン(千葉雄大)、シングルマザーの風俗嬢(黒川芽以)×常連客の落ちぶれた俳優(三浦貴大)ら4組のカップルはそれなりに幸せな日々を送っていた。そんな彼らに訪れた、別れの危機。ただ一緒にいたいだけなのに、今度の恋愛も失敗なのか──? それぞれの本音と過去の秘密が明らかになるとき、物語は予想外の方向へ疾走していく。
小劇場ドリームが実現したキャスティング
──2015年当時、根本さんがこの戯曲を書こうと思ったモチベーションから教えてください。
自分の劇作に演出力が追いつかなくなってきた自覚があって、演出家としてもっと成長したい気持ちが強かったんです。当時は登場人物の日常を演劇にすることが多かったんですが、ありふれた光景の演劇はいくらでも普通にはやれるので、そこにどう演出家として自分の色を入れるか試行錯誤していました。だから演出的に負荷がかかるような仕掛けのあるものを書きたかったんです。各カップルの暮らす4部屋をずっと見せるような舞台美術にして、役者とのコミュニケーションもいつもより密にとらないといけないようにしました。
──だから4組のライフスタイルや生活レベルも、演出力アップを目指してあえてバラバラにしたんですか? 私、2015年の舞台版を拝見していました。
まったく異なる世界に住むカップルの生態が“四者四様”に見えるようにしました。当時、特に女優陣は固定メンバーと芝居をつくっていて。『もっ超』には私も出ていたんですが、自分を含めた4人全員が主役になる物語にできないだろうか、と思ったのが始まりです。全員に主役が書きたかったので。
──舞台では根本さんご自身がデザイナーの真知子を演じていらっしゃいましたよね。
役者に当て書きする方が楽しいから、自分が演じる役はどうしても無難な便利屋ポジションになっちゃうんですよね。物語の都合上、「このセリフをこのタイミングで言う整合性には欠けるけど、次に展開させるためには必要だから私の役が言っちゃえ」みたいな書き方を自分にだけはできるので、私の出演は半分演出だったと思います。だから真知子を他の俳優に演じてもらうことになって、丁寧に描き直せたので、改めていい機会でした。
──なるほど! 登場人物の内面がモノローグで語られている小説版を拝読すると、真知子の葛藤がよく伝わりますね。ちまたで言われているような「メンヘラ」でないことがよくわかる。その真知子を、映画版では前田敦子さんに託されました。
映画化に際して(誰かを主人公にしない)完全な群像劇にするのか、主役のポジションを誰かに立てるのか、という議論がありました。で、「主役にするなら真知子じゃないか」という話がプロデューサーと監督から出まして。舞台版をご覧になった方は全員が主役で「誰々が主人公」とは感じなかったと思うんですが、第三者からすると私が抱えていた当時の切実な想いが、真知子のセリフに込められているように見えたんでしょうね。
なので「真知子を主役にしましょう」となった段階で、小劇場ドリームが頭の中にチラついて(笑)。演劇作品の映画化って本当に少ないので、さらにそこに胸が高鳴る要素を入れたくて、自分の演じた役を、かつて握手の列に並んでいた相手である前田さんにお願いしました。もともと前田さんとは何か一緒にやりたいねという話をしていたので、「ここだな!」という感じで。もちろん他の方にもそれぞれ想いがあって、このキャスティングになりました。
女性陣が「超越」するのは、二人だけの幸せな時間があったから
──小劇場ドリームの実現にはスタッフの存在も欠かせませんよね。監督も、根本さんが「山岸聖太(さんた)さんが手がけてくださるなら」と指名されたとか。山岸さんのどんな点を信頼していらっしゃるのですか?
聖太さんが私の作品に抱く感想をいつも聞いていて、受け取ってほしいおもしろがり方をしてくれているなと思っていて。自分が描いていることを客観的に愛おしく思いながらおもしろがってくれる相手に託したかった、というのが大きな理由です。
──ラストの「超越」は、人生を肯定できる物語を自分の力で手に入れたいと前向きに捉え直した女性たちを鼓舞する奇跡の宴に見えました。ただ一方ではクズ男との恋愛を肯定しているようにも捉えられてしまう。この表裏一体を、根本さんはどのように受け止めていらっしゃるのでしょうか?
観客や第三者から見て「なんかバカっぽいけど一緒にいると幸せそうだな、この人たち」と感じる瞬間が何度も描かれるじゃないですか、この作品。そういう二人だけの幸せな時間があったって記憶が、絶対的に大事だと思うんです。それが他者と一緒にいる意味になり得る、と感じるくらい。他の人からはどう見えていても、本人たちだけが知っている時間というものが好きなんだと思います。
──クズ男ぶりを塗り替えるほどの記憶なんですね。
たしかに「私は幸せ」と思い込むことで状況をどうにかしようとした女性たちの話とも捉えられますよね。でも伝えたいのはそこじゃない。恋愛や友情といった関係性を越えて意気投合したり団結したりする瞬間が、他者と一緒にいる意味なのかなって。
──個人的には、彼氏に染まる金髪ギャル(伊藤万理華)に、ノリで生きるフリーター男(オカモトレイジ)が誕生日プレゼントとして差し出したものが、作品を象徴するアイテムに思えます。いちばんバカっぽくて幸せそう(笑)。
あれは普段のレイジさんのファッションから思いついた賜物(たまもの)です(笑)。せっかくお芝居をしていただくので「これは自分の役だな」と感じてもらえたらいいなと思って。
──そうだったんですね! 自分の趣味まる出しのプレゼントって受け取る相手を選びますよね?
相手が自己満足で選んだような意味わかんないアイテムをもらっても、万理華ちゃん演じるギャルはそんなの関係ないくらい贈り主の彼氏が大好きっていうのが……どうにも笑えますよね。
──舞台設定を「ビフォーコロナとコロナ禍の東京」に改めたことで生まれる各カップルの価値観も、シリアス一辺倒でなくどこか笑える方向に描かれていて。
聖太さんとは笑いの趣味がわりと合うんですよね。各カップルの会話を編集で落とさず、キャラクターとして立たせる方向に考えてくださって。脚本の打ち合わせで「長すぎるセリフは削りたい」という話も出ていましたが、聖太さんが「くだらないことをしゃべっているようで、すべてのセリフが彼らの人柄を表すのに必要だから削れない」とおっしゃってくださったのもうれしかったです。
「3人の自分がライバル」と感じた小説版の執筆
──小説版についてもお聞きしていきますね。本作も小説デビュー作の『今、出来る、精一杯。』と同じく、登場人物の内面が一人称のモノローグで語られ、章ごとに語り手が次々と移り変わります。表現の幅が広い映画や舞台と比べて、成果物が“テキスト”のみと限定的な小説執筆において苦労した点、あるいは楽しかったポイントは?
私の場合、役者と稽古場でしゃべっていることの延長で小説を書いている感覚があって。演出する中で、たとえば「この二人は(舞台に表れてはいないが)こういう時間を過ごしたんだと思う」とか「こういう出会い方だったのかもね」みたいなことを話すんですね。それを役者がくみ取って体現する、ってことを繰り返してきました。役者とコミュニケーションを図る時間がけっこう長いので、その延長線上に小説執筆があったんですよね。
ただ『もっ超』は7年前に一度しか上演していない作品ですから、当時のことを忘れている部分がたくさんあって。なので映画が完成してから小説版を書き始めました。舞台も映画もうまくいったから小説で失敗できないと思って、これが2022年の上半期、ものすごいプレッシャーでした(苦笑)。
──第一報のコメントで、根本さんが「改めてこの作品に今の自分が言葉を書き加える作業は、当時の自分との戦いのような時間でした」とおっしゃっていたので、映画の脚本は演劇版(2015年)をライバルにしていたことはわかったのですが……小説は何がライバルだったのでしょうか?
「演劇の方がおもしろかったね」と思われないように書いた、映画版の脚本ですね。小説版は映画プロモーションの一環で出版される側面もあるじゃないですか、小説を買って読んでから映画を観ようと思う人もいるわけで。だから読み終わって「映画は観なくていいや」となるんじゃなくて、映画も観てほしい。「この小説がどうやって映画になっているの?」と感じてもらいたい。この境地を目指した結果、演劇・映画・小説とも自分で書いている同じ作品なのに、3人の私がライバルみたいな状態になりました。
でも映画の関係者は「自分の作品なんだから絶対大丈夫でしょ!」って軽々と言うんですけど……自分で書いているからこそ、それぞれ魅力的に描き分けるのが難しいんですよね。納得いくまで悩み続けました。
──映画と小説の違い、感じましたよ。個人的には小説のラストで男性陣の反応がちゃんと描かれているのがよいな、と思いました。
舞台では、女性の奮闘に対して男性も応えてがんばっていく姿勢みたいなものを演出的に見せたんですよね。でも映画は女性目線で迫った方がキレイにまとまるから、あのラストが正解だと思います。一方で男女どちらのリアクションも書ける小説では、男性側の感情を描きたかった。映画をご覧になったあと、ぜひ小説も読んでほしいです。
──演劇・映画・小説をコンプリートしたいま、根本さんは過去のご自分を“超越”できたと思いますか?
舞台の台本を書いたときより作家として成長できたかな、とは思います。当時はすごく頑固で、もし映画化の依頼があったとしても「いや、演劇がいちばんおもしろいんで」とトガって100%断っていたと思うので。別ジャンルのスタッフとコラボレーションして形にできるほどの技量も器も人間力もなかった。
──他者の介在を許せるようになった?
そうですね。監督やプロデューサーとタッグを組んでリメイクするのも、「それはそれで人生でやっておこう」とおもしろがれたのは収穫でした。製作サイドの要望に応えながら執筆することを、楽しい現場で経験できたのもよかった。完全再現だけど、監督のオリジナル感もありますしね。もちろんチームが作品を愛してくれたからそう思えているので、本当に感謝しています。
ここ数年、狂ったように演劇をつくっていた20代前半の作品を小説や映画化することが多かったのですが、今度は最近の演劇作品を別ジャンルに持っていってみたいです。作風も少しずつ変わっているし、舞台で新しい試みも行っていますので。いまつくっている新しい演劇をまた違うジャンルで展開したいと感じていただけるように、これからも劇作を続けていきたいと思っています。どこに行っても私は演劇作家なので。
(取材・文/岡山朋代、編集/福アニー)
【Profile】
●根本宗子
1989年生まれ、東京都出身。19歳で劇団、月刊「根本宗子」を旗揚げ。以降、劇団公演すべての作・演出を手がけるほかに、さまざまなプロデュース公演の作・演出も担当。2016年から4度にわたり、岸田國士戯曲賞の最終候補へ選出され、近年では清竜人、チャラン・ポ・ランタンなどさまざまなアーティストとタッグを組み完全オリジナルの音楽劇を積極的に生み出している。常に演劇での新しい仕掛けを考える予測不能な劇作家。22年初の著書となる小説「今、出来る、精一杯。」(小学館)を刊行。長編映画の脚本を手がけるのは初となり、9月には2冊目の著書となる『もっと超越した所へ。』の小説版を発売。23年1月には高畑充希とタッグを組む新作演劇「宝飾時計」が控えている。
【Information】
●映画『もっと超越した所へ。』2022年10月14日(金)公開
クズ男に沼る4人の女性たちが意地と根性で奇跡を起こす!? ブチ切れ&ブチ上がりの恋愛バトルが開幕!
出演:前田敦子、菊池風磨、伊藤万理華、オカモトレイジ、黒川芽以・三浦貴大、趣里、千葉雄大
原作:月刊「根本宗子」第10号『もっと超越した所へ。』
脚本:根本宗子
監督:山岸聖太