現在は日本に約70人ほどしかいない「浪曲師」として活躍する玉川奈々福さんは早くから、浪曲界において、さまざまなプロデュースを試みてきた。最初は、師匠である玉川福太郎さんの興行だ。2002年に大病したものの、復帰してからの福太郎さんの声に改めて惚れ込んだ奈々福さんは、「玉川の家の芸」である『天保水滸伝』をやってほしいと師匠に頼み込んだのだ。そして自らが興行主となって、全5回の『玉川福太郎の徹底天保水滸伝』を企画。チラシから構成まですべて考えて大成功を収めた。
これを機に、義太夫や落語、講談などとのコラボを始め、企画プロデュースも深めていく。
「日本にはいろいろな語り芸があるんですよね。他の芸能を知ることで、浪曲が少しでもわかるんじゃないか、というのが原点です。浪曲をもっと知りたいという思いが根底にある。そして、若い人にも語り芸のおもしろさを知ってもらいたいと思っています」
「死ぬだろうな」と思って出版社を退職
奈々福さんはもともと、出版社に勤務していた。編集者は企画を出してプロデュースするのが仕事のひとつ。その手腕を浪曲界でも、あますところなく発揮していく。彼女の思いを形にしたのが、2017年から翌年にかけ11回開催した『玉川奈々福がたずねる語り芸パースペクティブ~この国の物語曼荼羅~』である。
節談説教、ごぜ唄、義太夫、講談、能、上方落語、そして浪曲など毎回、さまざまな専門家に話を聞き、実演してもらうイベントだ。これも大成功を収め、今年の春、500ページ以上にも及ぶ書籍(晶文社刊)にもなっている。貴重な証言を集めたこの本は、興味本位で読んでもおもしろいし、資料的な価値も大きい。
’14年、奈々福さんは浪曲の世界だけで生きていく決意を固めて会社を辞めた。
「まだ食べていける見通しが立ったわけでもなかったんですが、昼間に頭を使って仕事をすると、夜、浪曲をうなろうとしても重心が下りていかない。浪曲は腹の底の底の底から声を出さなければいけないのに、重心が下りきらない。自分の頭と身体が引き裂かれていくんです。これがつらかったですね。
私自身はランナーズハイみたいに浪曲をうなっているけど、身体が限界だったんでしょう。顔から下、全身にじんましんが出ておさまらない。顔は出ていないから大丈夫と思っていたら、じんましんって怖い病気で、身体の内側、粘膜に出ると死んでしまうこともあるんですって。母が“お願いだから会社を辞めて。どうせ浪曲はやめないんでしょうから”と。自分でも下手したら死ぬだろうなと思っていたので、退職するという決断をしました」
それからは下に下にと重心が下りていくようになった。だが「もっともっと腹の底から声を出したい」と奈々福さんは言う。
「浪曲一本に絞ってから、師匠に言われたことがどんどん身体でわかってくるようになったんです。師匠はよく“声を擦(す)り込め、鳴らせ”と言っていました。声を擦り込むというのは、息で声帯を擦り込んで磨いていくこと。ヤスリで磨く感覚ですかね、強い圧をかけて、声帯を使い込んで磨いていく。透明ではなく、にごり成分を含んだ地を這(は)うような声が浪曲の声の魅力なんだろうと思います。浪曲には発声練習などはないので、ただひたすら稽古を重ねるしかありません」
とにかく師匠が演じる古典の節(歌)を身体にたたき込む。身体の隅々に節が行き渡るまで叩き込
「『浪曲シンデレラ』を作ったとき、ラップみたいなものを入れたんです。三味線までラップ調。そのあたりは浪曲ってかなり自由なんですよ。私などは、小さいときから浪曲を浴びるようにして育ってきて浪曲師になった師匠たちにはかなわない。だから、そういうところで自分らしさを出せれば、ひいてはお客様に喜んでもらえれば、と思っています」
浪曲という“大衆芸能”をもっと根づかせたい
現代にも通じる浪曲をと、奈々福さんは常に考えている。講談や落語に人間国宝はいるが、浪曲にはいない。これは、浪曲が明治時代にできた芸能のため、「古典芸能」として認められていないからではないかと彼女は言う。もともと浪曲は、どんどん新作を作れという風潮がある。だったら、今の時代に通じる“大衆芸能”として客に支持されなければと、奈々福さんは前向きに考えている。
「私、講談と浪曲って隣接している芸だと思っていたんですが、芸のアイデンティティーが違うんです。講談は芸よりネタの継承が重要。今、神田伯山さんが人気ですが、彼の師匠の松鯉先生は500以上のネタを持っていらっしゃる。伯山さんは、それらの物語を継承していかなくてはいけない。浪曲は、継承も大事だけれど、いかに目の前のお客様を喜ばせるかをいちばん重視しているんです。やはり大衆芸能の最たるものなんですよ」
舞台での奈々福さんは生き生きと楽しそうだ。節を回して客の気持ちを高まらせ、ここぞというときは、重くて高い音をガツーンと客席に放ってくる。声に酔わされた客は、一瞬固まり、次の瞬間、ふうっと息をつく。舞台と客席の一体感はまさに、“声”が支配する緊張感に満ちた歓喜そのものである。
「お客様が楽しんでくれればそれがすべて」
うれしそうに言う奈々福さんだが、一席のための準備は念入りに行う。そして、その時間が案外楽しいと語る。
「舞台に立つ前日はよく寝て、緊張も興奮もしないで淡々と舞台に上がることを心がけています。着物と帯あげはあれにしよう、まずは笑顔で出よう、(自分と組む)三味線は若い子だから、いろいろ注意はしたけど本番前にはあまり言わないほうがいいなとか、とにかく自分ができる準備はすべてやります」
先のことといえば、せいぜい来年、何をやろうかなと思うくらいだと笑う彼女だが、「いくつまでこの声が出るかな」と、ふっと浮かぶことはあるとつぶやいた。
「身体と心のせめぎあいなんです。声に特化した芸だから、声の強さ大きさもそうだけど、声帯の柔軟性がどこまでもつか」
それでも浪曲を目指す若い人たちを増やしたい。浪曲を聴く若い人たちも増やしたい。この大衆芸能をもっと根づかせたいと、彼女は力強く語った。
「とにかくナマで聴いていただきたいんです。私たちが身体ひとつで描く世界を体感してほしい。人間の身体のナマの迫力を侮(あなど)らないでいただきたい。そして聴く側は、自分たちの感性の可能性を信じてもらいたい」
熱のこもった言葉が次から次へと飛び出してくる。
「語り芸」は、受け手である客の想像力が試され、鍛えられるものでもある。自分の中に、現実とは違う世界ができあがるのだ。こんなぜい沢な遊びはないのかもしれない。そして奈々福さんは、客の笑顔を見るために、今日も東奔西走、浪曲界を盛り上げている。
(取材・文/亀山早苗)
【※奈々福さんが浪曲界に飛び込むまでの詳しい経緯、及び、新たな世界で築いた人間関係については前編《元編集者の浪曲師、100人に満たない話芸の世界へ飛び込んでつかんだ「最大の幸せ」》に綴っています】
玉川奈々福さん出演公演
『第54回豪華浪曲大会記念「浪曲、未来を拓くために!」』
2021年10月23日(土)、江戸東京博物館大ホールにて、昼の部・夜の部の2公演開催。
詳細は日本浪曲協会のホームページへ