ご縁はフィーリングとタイミングとハプニング──。現在公開中の渡辺いっけい主演映画『マリッジカウンセラー』の劇中で、結婚相談所の仲人が語るセリフである。
学生演劇からキャリアをスタートさせ、30歳のときに出演したNHK連続テレビ小説『ひらり』で一躍ブレイク。60歳の還暦を迎えてなお、出演作が相次ぐ渡辺いっけいの俳優人生もフィーリングとタイミングとハプニングの連続。数々の縁と出会いにいろどられた半生を駆け足でたどってみよう。
3日で覚えられるだけ覚えてこい!
「生まれは愛知県宝飯郡(ほいぐん)の一宮町というところです。“平成の大合併” で豊川市と一緒になりました。それで僕も “とよかわ広報大使” をやっています。
子どものころから特別に目立つ存在ではありませんでしたが、学芸会や文化祭のシーズンになると盛り上がるお祭り男タイプ。高校の文化祭で舞台に出たのをきっかけに、役者を目指すようになりました」
日大芸術学部を受験するも、マークシート(筆記)で脱落し実技まで進めず。1981年、当時は学科試験のなかった大阪芸術大学に進学する。
「舞台芸術学科といって演劇のコースです。4月に体力テストをかねた山登りがあったんですけど、僕ひとりだけへばって頂上まで行けなくて。先生に “もうお前、無理だな” “(役者じゃなくて)スタッフっていう手もあるから” ってダメ出しされました。
授業の一環として1年間を通して全員で『ロミオとジュリエット』(シェイクスピア・作)をつくって年度末に発表するっていう課題があったんですけど、そんなんだからロミオとか大きな役はつかず。最初にお客さんの前に出ていって “これから舞台でお見せするのは……” ってプロローグを語る役をもらって、あとの2時間は小道具係をやるはずでした」
ところが、ここで最初のハプニングが起こる。
「ロレンス神父っていう重要な役があるじゃないですか。ロミオとジュリエットを引き合わせる、まさに “マリッジカウンセラー” の役なんですが、その役に決まっていたカタヤマくんっていう役者さんが、夏休みすぎに大学やめちゃって戻ってこなかったんです。
もう誰もやれないんですよ、ぜんぶ役を振られてるんで。ロミオは2人いて、ジュリエットは5人いるんですけど、とにかく脇の人も含めてみんなビシッと決まってるんで “渡辺しかいないな……” と。それで僕がそのロレンス神父に抜擢(ばってき)されるんです」
代役の話が出て3日後には、次の授業を行うことになっていた。「とにかく3日でセリフを覚えられるだけ覚えてこい」と言われて必死になった。
「これはある意味チャンスだったので。けっこうな分量があるんですけど、ぜんぶ入れて授業に臨んだんです。そしたら同級生たちが “おおっ!”って反応してくれて。
のちのち聞いたんですけど、大学の先生も “あそこで本当にいっけいがやったのは偉かったし、セリフを覚えるっていうのは役者の資質のひとつなので、演技のうまい下手じゃなくて、アイツはそういう意味で資質があったよな” って、言ってくれたみたいです」
『ロミオとジュリエット』を上演したのはあくまで大阪芸大の学内の発表会で、観ているのは学生と家族ばかり。だが、そこでも出会いがあった。2学年先輩で『劇団☆新感線』を旗揚げする、いのうえひでのりが客席にいたのだ。
「“あいつ気持ち悪いやつだな” って、すごく印象が強かったんですって。それがきっかけで、いのうえさんから『劇団☆新感線』に呼ばれるんです。だから、ぜんぶ出会いですよ。出会いと別れっていうか、そのカタヤマくんが大学やめたおかげですかね」
「劇団☆新感線」から背中を押してくれたのは
3学年下の古田新太は、渡辺いっけいが勧誘した。初期の『劇団☆新感線』はオリジナルではなく、つかこうへい(劇作家、演出家、小説家/2010年没)の作品をかたっぱしから上演して人気を博していたが、活躍の場はまだ関西ローカルに限られていた。
「僕はやっぱり東京に行きたかったんですね。愛知県の人間はどうしても大阪よりも東京に目が向く。静岡県(浜松市)出身の筧利夫さんもそう。日芸を落ちて大阪芸大に流れて、新感線で同期になった。まったく僕と一緒なんです。
しかも今では考えられないんですけど、当時いのうえさんは東京をこわがっていて “もう俺は東京行かないで大阪でやる。東京に行きたいんだったら、うちをやめて行きなさい” って僕らの前で言いましたから」
卒業後の身の置きどころとして、東京の劇団のオーディションを受けた。それが早稲田大学を拠点に活動していた『第三舞台』(主宰・鴻上尚史)だった。
「いのうえさんが推薦してくれて “話を通しておくから受けてこいよ” って早稲田に行ったら、最初は200人ぐらいいたんですよ。それがいろいろ(実技を)やって戻ってきて、もう1回来てくれって言われて筧さんと行ったら3人しかいなかった。
で、東京のカプセルホテルに2人で泊まって明日は帰るだけってなったとき、“もう1人いたけどさ、正直お前か俺かどっちか受かるぜ” “どうする? 受かったら行く?” “どうなんだろうね。でも、いのうえさんが言うのは間違いないんじゃないの。ま、人気があるみたいだし” って2人で話したのは覚えてます。で、筧さんが受かって “俺、行くわ” って決めたんです」
渡辺いっけいも上京。1985年、アングラ演劇で知られる「状況劇場」(主宰・唐十郎)に入団するも、2年ちょっとで解散の憂き目にあう。アルバイト生活で食いつなぎながら、劇団の枠をこえたプロデュース公演を渡り歩く。
「第三舞台の劇団員の人たちともなんとなく仲良くなって飲み会に呼ばれたり。当時、レンタルビデオ屋でバイトしてて、エッチなビデオとかも扱ってる店だったんで、劇団の人にある女優さんのからみのところだけ編集して持ってきてくれとリクエストされたり(笑)。
今もテレビとかで活躍している勝村政信(第三舞台の看板俳優のひとり)とも、僕が26歳のときに初めて共演しました。『大恋愛』っていうプロデュース公演(作・演出は木野花)なんですけど、それに出られたのは筧さんのおかげです。
所属がない僕を心配して、第三舞台に “いっけいが状況(劇場)をやめて宙ぶらりんなんで、呼べないっすかね” “渡辺いっけいだったら、みんな(気心が知れて)やりやすいと思うんで” ってプレゼンしてくれたんです」
三谷幸喜さんが「もう帰ってください……」
「ただ、当時の僕はエゴの塊。てめえが面白くなることだけを考えていた時期なんで、“劇団荒らし” って呼ばれていましたね。とにかく共演者に嫌われてもいいから、お客に好かれようっていうことしか考えてなかったんで、本当にひどかったです……」
そんなときに出会った芝居が、三谷幸喜が率いる「東京サンシャインボーイズ」の『ショウ・マスト・ゴー・オン 幕を降ろすな』だった。
「三谷さんのお芝居を初めて見たときに、ガツンとやられて。芝居は “役者の品評会” じゃないっていうのがわかったんです。
もう運命的な感じがしますけど、僕が落ちた日芸のサンシャインボーイズの芝居にやられたんですね。演劇通の友達何人かから、“お前、見たほうがいいんじゃねえか” ってクチコミで。その(僕に対する)言い方がなんか妙に引っかかるなぁと思って見に行って。
ちょうど楽日(1991年6月19日)で、超満員の本多劇場(下北沢)の階段に座って見たんですけど、最初は “何がそんなにすごいんだろう!?” と思って。勝手に役者さんを品評しながら見てたんですよ……」
『ショウ・マスト・ゴー・オン』(※) は三谷幸喜の代表作のひとつで、『マクベス』を上演する役者やスタッフが、さまざまなハプニングに襲われつつも奮闘するさまを描く。主演は舞台監督役の西村雅彦(現・まさ彦)。
※1994年に再演。また2022年には28年ぶりにリニューアル版が上演され、舞台監督役が女性になり鈴木京香が演じた。
「いま思い出しても鳥肌が立つんですけど、だんだんストーリーにハマって、最後はもう本当に……。心の底からしびれて拍手して、スタンディングオベーションですよ。まあ千秋楽だし、すごい拍手で。それから客電がついても拍手が鳴りやまないし、誰も帰らないんですよ。
で、困り果てた三谷さんが……まだ当時の僕は三谷さんと面識ないですけど、やせた演出家が舞台の真ん中まで出てきて、“もうカーテンコールないんです。ごめんなさい、帰ってください” って。笑わせることも何もできない三谷さんがお客さんに言って、それでやっとみんな拍手をやめて帰ったんです」
「忘れられないですね、日本にこんな上質な喜劇を書く人がいるんだっていう驚きと。あと、あらためて舞台っていうのは、ひとつの作品をみんなで作り上げるものであって、面白い役者を探すための品評会じゃないんだっていうことを、28歳のそのときに、僕はガッツリやられたんですよ。その後何本か見に行って、見るたんびにやられて。
やっぱりサンシャインボーイズも、まだみんな映像(ドラマや映画)をやる前の上り調子のときで、いちばんガツッとした時期だったはずなんですよね。のちのちテレビの現場で一人ひとりと会うことになって、やっぱり “共通言語” が持てるっていうか、自分が客席から見た経験もお話しできる。梶原善ちゃんとかすごく仲良くなって、一緒にサッカーを見にいったりね」
──梶原善さんは『鎌倉殿の13人』の善児役が評判になりましたよね! 三谷さん本人とはからんだことがあるんですか?
「仕事は1回もないですね。最初にお話したのは、俳優・池田成志の結婚式(1992年9月15日)。お互い本格的にテレビをやる前ですね。
かみさん(当時は交際中)と僕と三谷さんの3人が同じテーブルだったんですが、かみさんとナルシの家の話をしてたんです。“やっぱりナルシのお父さんとお母さん、名前のつけ方のセンスが面白いよな。弟がエルシだもん” ってしゃべってたら、三谷さんが急に食いついてきて、“どういう字ですか、エルシ?” “うあー、ごめんなさい、そこまでちょっとわかんないです” “あー、うん、そうですか” と。
“どういう字だろう……”ってずっとブツブツ言ってて(※)、さすが劇作家だなぁと(笑)」
※池田成志さんにお聞きしたところ、彫志(えるし)と書くそうです。
妻も芸名の「いっけい」で呼ぶ
名前といえば「渡辺いっけい」は芸名。本名は「一惠」と書いてカズヨシと読む。
「小学生のころから漫画が大好きで、永井豪さんの『ハレンチ学園』とかを真似(まね)してちょっとエッチな絵とかも描いていました(笑)。一時は本気で漫画家を目指していて、そもそも “いっけい” も漫画家のペンネームとして自分で考えたものなんです。“一惠” だと女の子と間違われることもあったし、“だったら、音読みでいいじゃないか!” と。
中学3年のときにそれを発見して、高校の4月の最初の自己紹介のときに “いっけいって呼んでください” って宣言して。だから高校時代からの友達はみんな “いっけい” です」
──いっけいって声に出しやすい名前じゃないですか。みんなが「いっけい」「いっけい」って呼んでくれる。インパクトがあって目立つし、俳優として素晴らしいお名前。人格もちょっと社交的に変わるような気がします。
「現場に行くときは “渡辺いっけい” として行きますね。だからNODA MAP の『キル』をやったとき(1994年)に、中学の同級生が楽屋を訪ねてきて、廊下で “カズヨシくん” って声かけられて、顔から火が出るくらい恥ずかしかったですね。もう “渡辺一惠” じゃないんでね。
もちろん向こうは親しみを込めて言ってくれるんですけど、“ちょっとやめてくれよ〜” って思ったのをすごく覚えてますね」
ちなみに1993年3月に結婚した妻は元女優。舞台の共演が出会いだったため、家庭でも“いっけい” だという。
「でも、僕の実家から電話がかかってきて、おふくろとしゃべるときは “カズヨシくんは……” って言ってます。うまく使い分けてくれてますね」
松本若菜の明るいオーラに助けられた
主演映画『マリッジカウンセラー』は2022年9月より愛知県で先行ロードショー。2023年1月より東京でのロードショーが始まった。
最初に書いたように、いっけいが「とよかわ広報大使」を務めている関係もあって、豊川市を中心に愛知県内でロケーション。撮影にあたっては、地元の各団体・関係者が全面的なバックアップ体制を敷いてくれたという。
「やっぱり愛知県出身だし、いつか豊川でそういう仕事ができたらいいなと思っていました。ただ、コロナ禍の中で撮影だったので、あまり “故郷に錦を飾る” っていう雰囲気もなく。申し訳ないんですが、“見学もご遠慮ください” っていう。
友達もいるので飲み会とか誘われたんですけど、ぜんぶ断って “水くせえなお前” っていう感じで、もう特殊な “故郷に錦” になりました。逆に言うと、本当に作品のことだけを考えて濃密な3週間近くを過ごしたので、いいものになってる気がします」
映画は不動産会社の営業マン・赤羽昭雄(渡辺いっけい)が会社のブライダル部門進出にともない、結婚相談所を切り盛りする結衣(松本若菜)のもとへ出向し、心ならずも仲人としての研修に励むという物語。
最初はセクハラ・パワハラ気質まる出しだった “昭和のオヤジ” が、結衣の母親でカリスマ仲人の十和子(宮崎美子)など周囲からの気遣いに気づき、「結婚したい男女」のために全身全霊をかけて奮闘していく展開に──。
「僕が演じる主人公は、まあ信じられないぐらい空気の読めない人物。それが徐々に変わっていくっていうストーリーなのでいいんですけど、あまりにも強烈なので、撮影中は “お客さんがついてこないんじゃないか” って、すごく心配になりました。でも、できあがってみたら、“いるいる、こういう人” って反応が多くて(笑)。
そういえば『ひらり』(※) の時も最初は嫌われる役なんですよ。登場して1週間ぐらいは下町のみんなの悪口ばっかり言っている。それが町医者としてスキンシップがとれるようになって交流を深めていくっていう役だったんですね。当時、“これで大丈夫なんだろうか!?” と心配になったことを思い出しました」
※石田ひかり主演のNHK連続テレビ小説。両国診療所の医師・安藤竜太を演じてお茶の間の人気者になった。『ひらり』については、近日公開のインタビュー【後編】で詳しくご紹介します。
共演の松本若菜とは、ともに映画『母 小林多喜二の母の物語』(2017年公開)に出演しているが、一緒に芝居をしたのは初めてだという。
「松本若菜ちゃんは非常に明るくて助かりましたね。僕自身はもともとの根っこの部分が陰鬱な影のあるキャラクターだと思ってるんで。彼女は演者としてすごく明るいオーラが出る女優さん。バディとしてはすごくバランスがいいんですよね」
「 “遅咲き”の女優さんとも言われていますが、この『マリッジカウンセラー』を撮影しているとき(2021年10月)くらいから、テレビの連ドラの仕事も増えてどんどん忙しくなっていった。それでも今みたいにわーっていう感じじゃない、直前の段階だったと思います」
撮影チームが宿泊していたホテルの目の前に豊川市民体育館があり、そこの施設では一緒にトレーニングをしたという。
「300円ちょっと出すと利用できるっていうんで、時間が空くと僕は行ってたんです。若菜ちゃんもそれ聞きつけて、“私も行きたいです” って来たことがあって。あんな美人が来たりすると “おいおい”ってなるんで。ま、マスクをして顔は半分隠れてますけど、明らかにスタイルいいし。ちょっと心配になっちゃったけど、平気で汗かいてました。
いま同じように若菜ちゃんがジムに行ったら、大変なことになると思いますね」
撮影とトレーニングジムを除いてはほとんど外出せず、外食もしなかった。実家にも帰らなかったというが、1日だけ時間が空いたので、先祖代々の墓参りに行ったときのこと──。
「お花とお線香をあげて挨拶だけして戻ろうと思ったら、実家が見えるわけですよ。なんだかご先祖さまが “お前、寄ってけよ” って言ってるような気がして、ちょっと玄関先だけのぞこうかなって。いまも親父とおふくろが2人で住んでるんですけど、ホテルで借りた自転車をこぎながら見に行ったら、もう90歳近い親父が脚立に乗って、玄関先の屋根の上のゴミを取ろうとしてたんですよ。明らかにフラフラしていて、本当に冷や冷やしました。
驚かせないようにゆっくりと声をかけて降ろして僕が代わりにその作業をやったんですけど、もしあのとき寄っていなかったら、危なかったなぁって。すぐ近くに嫁いだ姉が知って “脚立禁止なのに!”って本当に怒っていました。まあ、親父の気持ちもわかるんですけどね」
虫の知らせか、ご先祖さまのご加護か……絶妙のフィーリングとタイミング! 出会いと縁を味方につけて、渡辺いっけいの俳優人生はさらに続いていく。
※インタビューの続きでは石田ゆり子・ひかり姉妹との共演エピソード(『ひらり』『不機嫌な果実』)などをお届けします。
(取材・文/川合文哉)
【作品情報】
映画『マリッジカウンセラー』
出演/渡辺いっけい 松本若菜 宮崎美子
監督/前田直樹 脚本/松井香奈
池袋シネマ・ロサ、kino cinema横浜みなとみらいにて公開中。
1月27日〜千葉劇場、2月4日〜大阪・第七藝術劇場ほか全国順次ロードショー
NEWS!
2023年1月14〜22日にバングラデシュで開催された「第21回ダッカ国際映画祭アジア映画コンペティション部門」にて、渡辺いっけいが「ベストアクター賞(最優秀俳優賞)」を受賞。
●渡辺いっけいコメント
「異国の映画祭での受賞は何だか他人事のような不思議な気持ちですが、現地に出向いた前田監督はきっと僕以上に喜んでいる事でしょう。少しでも多くの方にこの映画が届きますように」
《PROFILE》
渡辺いっけい(わたなべ・いっけい) 1962年10月27日、愛知県生まれ。大阪芸術大学卒。「劇団☆新感線」「状況劇場」を経て、1992年NHK連続テレビ小説『ひらり』で注目を集め、舞台、ドラマ、映画、バラエティーなどで幅広く活躍。主演映画『マリッジカウンセラー』が公開中。映画『シャイロックの子供たち』が2月17日、『Winny』が3月10日公開。深夜ドラマ『夫を社会的に抹殺する5つの方法』(テレビ東京系)が放送中。アニメ『おしりたんてい』(NHK Eテレ)のナレーション・マルチーズ署長役など声の仕事も多い。