「日本一」とまではいかないまでも、間違いなく「有名猫」の一員だったのが、スコティッシュ・フォールドの「まる」。解剖学者で作家でもある養老孟司さんちの男の子だ。
2020年12月21日、猫年齢で推定18歳、人間の年齢に換算したら90歳の高齢で天国に旅立ったが、生前は養老先生を取材するテレビ番組にたびたび登場。コンパスで描いたようなまんまる顔と、お尻を床にペタンとつけて後ろ足を前に投げ出す「スコ座り」で一躍人気者となり、NHKの『まいにち 養老先生、ときどき まる』というレギュラー番組を持つほどだったから、ご存じの方も多いだろう。
どこまでもマイペースな生き方で養老先生からの愛情を一身に集めたばかりか、近著の『まる ありがとう』(西日本出版社刊)では養老先生に、「まるは生き方の“ものさし”である」とさえ言わしめたまるちゃん。
その別れは、箱根でテレビ番組の取材を受けている最中だったと養老先生。奥さまから「もうダメみたい」との電話を受けてあわてて鎌倉のご自宅まで戻ったところ、たどりつくその前に事切れていたという。
一家総出で見送ったが、はやりのペット葬儀やお経も上げることなく火葬にふした。その際にはカメラが入り、後日放送されたから、有名猫にふさわしい最期だったと言えるだろう。
亡くなった“うちの子”が夢に出てきたら?
あれから1年以上の月日が流れたが、先生ならずとも愛猫家ならきっと心当たりがあるのが、亡くなっても決して消えない“うちの子”たちの存在感だ。
たとえば、ついつい家の引き戸に10センチぐらいの隙間を残してしまう、ソファの陰から飛び出たしっぽを踏んづけないよう無意識のうちに気をつけて歩いている、スーパーの「ペットフード20%引き」のポップについつい引き寄せられてしまう……etc.。猫を失った飼い主なら、きっと心当たりがあるはずだ。
養老先生もそんな一人であったようで、苦笑を交えながら語り始める。
「(そうしたものが)ちょっと遠くなったと思いますね。でも次を迎える気持ちにはまだならない。個性的な猫だったから、どうしても比べてしまう。そしたら次の猫がかわいそうだからね」
「死んでしまった猫のことが忘れられず、いまでも亡き猫の夢ばかり見る」
そんな愛猫家も多いことだろう。その心境を、養老先生が脳科学の観点から解説する。
「記憶って必要だから残っているわけだけど、必要ない記憶ってたくさんできるわけでしょう? それを整理しているのが夢だっていうのが最近の説なんです。記憶に残すか残さないか、その境界線上にある情報が夢になるわけ。必要ならば記憶として残すし、必要なければそのまま捨てる。夢に見るということは、取っておくかそれとも捨てるか、脳が悩んでいる状態なんですよ」
いまは亡き“うちの子”の夢は、あなたの脳が新しい子を迎えるべきかどうか、悩みに悩んでいる状態なのだ。
養老先生とまるのベタベタしない関係
さて、大の虫好きとして知られるばかりか、動物好きとしても知られ、子どものころから常に家に動物がいたという養老先生。中学生のころには猿を飼っていたこともある。まるちゃんの前には、チロちゃんという女の子とも暮らした。
「チロは自己主張の強い猫でね、よくテーブルの上に上がって食べ物に手をつけていた。それで女房がすっかり猫嫌いになってしまった。ところが、まるは行儀のいい猫でね、そこがよかった」
そんなまるちゃんは、2002年に養老家にやってきた子猫のころから泰然として、大物感漂う猫だったそうな。
「気まぐれだし、決まったところで寝てばっかだし。若い時から置物的でしたね。猫は人間のように社会性の動物じゃありませんから、誰かに遠慮したり、忖度(そんたく)したりということがない。嫌なことはしない」
まるちゃんはチロちゃんのように、日常的ないたずらで自己主張をする猫じゃなかった。フードをねだるとき以外は、自分からは養老先生にも近寄ろうともしない。決してベタベタしない猫だったと語るが、そう語る養老先生のまるちゃんとのつきあい方もまた、ベタベタしない、淡々したものだった。
「仕事から帰ると、まるの頭をポンとたたくのがあいさつがわり。そのたびに振り返って、“なんだよ?”と言った表情で私のほうを見る」
こうした淡々としたつきあい方は、先生のもともとの性格だけでなく、職業からもきているらしい。
「医者という職業の影響でね。僕、若いころ、臨床のまね事をしたけれど、臨床で患者さんが亡くなるんですよね。そうすると、こちらもダメージを受ける。別に冷淡っていうわけじゃないんだけど、いつもある程度、気持ちからは離しておかなくちゃならない」
こうした気持ちの持ち方は、ペットとのつきあいに対しても同じだった。
「子どものころから生き物が好きだったので、常に動物が身近にいた。こうした動物に対しても患者さんと同じで、“切れたら致命的”という関係は持たないほうがいいと思っていた」
ペットロスはどうしたら治せますか?
そんな淡々としたつきあいが、いや淡々としたついあいであればこそ、先生の中でまるちゃんの占める割合が増していく。
「いそうな場所にふと視線を向けるといない。そんな時に、“なんでいねえんだよ”と思い、少したって“ああそうか、死んだんだ”と気がつく」
どんなラブラブなカップルや夫婦でも、24時間1年365日のベタベタでは、見ないでいい部分まで見えるようになってしまう。友人との関係だって、破滅的なほどの破局は、あいさつ程度の人よりも仲がよい友人との間で起こる。ほどほどのつきあいこそが、関係を長続きさせ、真冬のストーブのおき火のように心地よいものにし続けるための秘訣(ひけつ)なのだ。
でも、そうとはわかっていても、つい濃厚な関係になり、失うとぼう然となってしまうのが猫好きの常。残されたカラー(首輪)を見ては涙をこぼし、フード用のボウルを見ては鼻の奥をツンツンとさせている人も多いに違いない。あるいはペットを失う恐怖におびえたり、ペットが夫婦のかすがいで、そのかすがいを亡くしたいまは、パートナーとの会話がどうも続かない。そんなご夫婦もいるだろう。そこで先生にお聞きしてみた。
「愛するペットを亡くしたこの痛み、どうしたら治せますか──?」
「よく“また飼えばいい”って言っています。治すにはまた猫を飼うしかない。ようするに治らないってことです。(飼っている動物の)数を増やせばいいとも言っていますね」
先生が言うには、死は自然の法則のなかに厳然とある事実であり、人も猫もかならず通る道とのこと。かならず通る道ならば避けることはできないし、ロスの悲しみがなくなる時は、絶対にやってこないものであるらしい。
それを前提にしつつ、新たな家族を迎える。そして新たなその子のよさを見つけ出す作業を続けることで、こころ(脳)が痛む時間を短くしていく。そうやって脳をあざむき続けることこそが、ペットロスから抜け出す唯一の方法だと、脳科学の第一人者は言うのだ。
そう語る養老先生だが、前述のとおり、まだまだまるちゃんの跡継ぎを迎える体制ではないようだ。
「次の猫は、家にいる家族、なにより奥さんの意見を聞かなくちゃいけない。なかなか注文がやかましいからね。でも“いい”と言ってくれれば飼うかもしれないね」
とはいえ、まるちゃんの写真を見つめる目はかぎりなくやさしく、まるちゃんへの薄れぬ思いにあふれて見える。
どうやら養老先生も、まだまだ脳をあざむくところまでは、行き着けていないようである──。
※後編《「どうして猫のように生きないんだろう」養老孟司先生が教える“楽に生きるヒント”》
(取材・文/千羽ひとみ)
《PROFILE》
養老孟司(ようろう・たけし)
1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。幼少時から親しむ昆虫採集と解剖学者としての視点から、自然環境から文明批判まで幅広く論じる。東大医学部の教授時代に発表した『からだの見方』で89年、サントリー学芸賞。2003年刊行の『バカの壁』は450万部を超える大ベストセラーとなった