ひと月の出費は6〜7万円、労働と消費活動は最小限に抑える、という生活をしつつも「お金は好き」と語る、作家の大原扁理さん。そう語る理由は、お金を人格化しているからといいます。
低収入でありながら、「うまく使えばお金が喜ぶ」という価値観のもと、稼いだお金を人へのプレゼントや寄付にも使う大原さんに、お金についての価値観を伺いました。
(大原さんが25歳から始めた隠居生活については、第1弾で語っていただいています:「社会の価値観と自分の正解は別」東京で“ひと月6万円生活”をした大原扁理さんに学ぶ、低収入で楽しく生きるコツ)
お金を人格化することで新たな境地に達した
──大原さんは低収入で幸せ、というスタンスを一貫しながら、「お金が好き」と発言されていました。この矛盾って面白いなぁと感じたのですが、どういった発想からこのような感覚になったのでしょうか。
「私がコロナ禍になる前からやっていた、“お金を人格化する”っていう考え方からです。お金を使うときに第三者的な視点が入るのが面白くて、ずっとやっているんです。
例えば、“お金から見て、どういう稼ぎ方・使い方をされたらうれしいだろう?”って考えると、自分だけが得をする使い方と、周りの10人も得をする使い方だったら、後者の方がすごく幸せじゃないかって思うようになりました。
“自分がお金だったら、多くの人がハッピーになるほうがうれしいよな”って思うと、浪費やムダ遣いが減ったし、自分だけが得をするお金の使い方をすることが、だんだん許せなくなってきて、他人や社会のためにもお金を使えるようになったんですよね。
“お金が好き”っていうのは、“お金が私のところにいっぱいあってほしい”じゃなくて、“好きだから、私のところにいなくてもどこかで元気にしてくれていたらいいな”っていう感覚なんです」
──すごい感覚ですね。
「これって、友達感覚に近いんですよね。例えば、“お金が好き! お金がいっぱい欲しい!”って思っても、“じゃあ、あなたはお金に好かれるような人間でいられていますか?”っていう問いを自分に課しています。
お金を働かせるっていう言葉がありますけど、私がお金なら、“何様ですか?”って思いますし(笑)。
私利私欲のためだけにお金を使う人のもとには行きたくないですし、その使い方では、周りは幸せにならないんですよね。ひとりでも多くの人を幸せにする使い方をしてくれる人のところに行きたいんです。
だから、“私のところにずっといなくてもいいから幸せになってね。でも、たまには遊びに来てね”って思ってます」
──なんだか子育てみたいな感覚ですね。
「あー、確かにそうかも(笑)。“可愛い子には旅をさせよ”って感じですかね。
低収入なのにお金に困っていないと思えるのは、お金と親子みたいな、いい関係を築けているからかもしれません。
隠居時代はほかのものも擬人化して、家とかも、“どう住んでもらったらうれしいだろう”、野菜だったら、“根っことか皮とか、食べられるところは全部食べてもらえると喜ぶかな”っていうことを考えていたんです。これって、無料でできる遊びのひとつだったんですけど、それがお金を含めて、いろいろなところに派生していったのかなと。
だから少ないけれど寄付もするし、誰かへのちょっとしたお礼として、宝くじのスクラッチにして渡してみたりなど、お金が喜んでくれるような使い方はすごく意識しています」
──物を大切にするっていう考え方の究極系ですね。
「そうかもしれないです(笑)。そうすることで長生きしてくれるっていうか。そのおかげかはわからないですけど、6年以上使っているパソコンも、全然壊れないんですよね。物持ちはいいほうかなっていう自負はあります。この考え方があったからこそ、自分の生活スタイルが成り立っているのではないかと」
幸せの沸点が低い。極めることは考えていない
──ちなみに、今は移住先の台湾から日本に帰国されていますが、どのような生活をしているのでしょうか。
「31歳から3年半、台湾で隠居生活をしていました。一時帰国したときにコロナ禍になり、現在の収入源であるトラベルライターの仕事がゼロになってしまったんですよね。しかも、2年も続くとは思わなかったので、なかなか台湾にも帰れず。だから収入は落ちるなって思ったんですけど、オリエンタルラジオの中田敦彦さんが私の本を紹介してくれたんです。そこから売り上げが一気に伸びて、年収はそこまで変わっていないです。
仕事のペースとしては、1日2、3時間くらいを本の執筆にあてています。この2年で3冊くらい書いてるので、疲れちゃいました(笑)。今はあんまり何もしたくないです」
──世間のイメージだと、大原さんは“もともと何もしたくない人”みたいに見られていると思いますが、実際は、かなりエネルギッシュですよね」
「気になったことに対しては、エネルギーを集中させちゃいますね。けれど、好きなことをやっているから、“早く終わらせちゃおう”じゃなくて、“楽しいな”って思いながら作業ができています。満足度が一定に達したらいったん止めて、また再開して……ということを毎日繰り返している感じです」
──熱中しているあいだに1秒でも多くやって、飽きたら惰性で続けることはないんですね。
「そうですね。コロナ禍になってから、よくマンガを読んでいたんですけど、1日に2、3冊読んだら“よし、満足”って感じますね。たぶん、自分は幸せとか満足の沸点が低いんですよね。純粋に楽しいと思えることが目標ですし、どこかに到達しようとか、極めるってことをあんまり考えていないんです。そのほうが長続きしますしね」
展望とか夢とか目標は持たない
──大原さんの、今後の人生の展望はありますか?
「私の場合、夢とか目標とか、人生の展望を持たないようにしてきたんですよね。そうすると、いろいろと寄り道ができて、さまざまな可能性に気づけるので。ていうか、そもそも事前にいろいろ考えていたら、20代で隠居なんて発想には至らないですよね(笑)」
──確かにそうかもしれません(笑)。
「あと、自分のような生き方を人にすすめるつもりはなくて、誰かが己の価値観を固めるヒントになればいいなって思っています。“これをそのまんまやれば幸せ”っていうことはないし、当人に合ってるものは、人によって絶対それぞれ違うので。
私は現代社会の価値観には合わなかったですけど、合う人もいると思いますし、それはそれで全然いいことですしね。
でも、自分の価値観を探すのって個人的にはけっこう楽しいので、興味がある人はやってもいいんじゃないかなって思います(笑)」
──著書『フツーに方丈記』のなかで「今死んでも大丈夫」と断言していますが、その意図はなんでしょうか。
「死ぬのって、すごく怖いイメージが漠然とあるじゃないですか。けれど、死ってものすごく自然なことだと思うんですよね。誰もが生まれるし、誰もが死んでいく。ただそれだけの話なんで。それがいいか悪いかとかは考えないようにしています。
あと、死ぬことだけは“一度、体験してみるか”っていうことができないんですけど、両親がどちらも病気で死にかけたんです。そのときってどういう感じだったんだろうと気になって聞いてみたら、2人とも“なんにも覚えてない”っていうんですよ。当時、病院のベッドでいろいろと話していたのに。
そうなると最終的には、死ぬときの痛さ、つらさ、恐怖って、結局そんなものないんじゃないかなって感じたんです。
じゃあ、“死ぬのが怖いという植えつけをすると誰が得するのかな?”って考えてみると、いろいろ見えてくるものがあったり。だから、死ぬことが怖いなんて別に思わなくてもいいやって感じます。死ぬって感覚はわからないですけど、わからないからこそ、悪い方向にとらえなくてもいいかなと」
お金との接し方や死生観に対しても、一歩引いて、“当たり前と思われているものは本当にそうなんだろうか”という疑問を常に投げかける大原さん。自身にとって心地のいい価値観を探るヒントになるようなお話でした。
次回、インタビュー第3弾では、「現状維持のすばらしさ」「新著『フツーに方丈記』に込めたメッセージ」について語っていただきました。
(取材・文/翌檜 佑哉)
【PROFILE】
大原扁理(おおはら・へんり) ◎1985年、愛知県生まれ。トラベルライター、作家。高校卒業後に海外ひとり旅を経て25歳のときに東京・国分寺市で月7万円程度の隠居生活を送り始め、31歳で台湾に移住。一時帰国後、コロナ禍により台湾へ戻れないときに読み返した『方丈記』から着想を得て、自身の経験を交えながら現代に昇華させた『フツーに方丈記』(百万年書房刊)を上梓。そのほかの著書に『20代で隠居 週休5日の快適生活』(K&Bパブリッシャーズ刊)『年収90万円で東京ハッピーライフ』(太田出版刊)などがある。
公式ブログ→https://ameblo.jp/oharahenri
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