1995年に日本公開され、今なお映画ファンから絶大な人気を誇る映画『LEON』。孤高の殺し屋と身寄りのなくなった少女の、筆舌に尽くし難い関係をスタイリッシュかつロマンチックに描いた本作は、後に『Taxi』シリーズや『トランスポーター』シリーズを手がけるリュック・ベッソン監督の代表作である。
渋い魅力を包含したキャラクターたちや、鑑賞後も長く余韻を残すストーリーは、公開から20年以上たった今も観客の心をつかんでやまない。本稿ではそんなアクション/ロマンス映画史に残る不朽の名作について、劇中に登場する特徴的なモチーフを挙げ、隠された意味を考察してみたい。
殺し屋・レオン、少女・マチルダが見せる、奇妙な生活
まずは軽いあらすじ紹介から。与えられた任務を必ず遂行する凄腕の殺し屋・レオンは任務をこなす単調な毎日を送っていた。ある日、一家を惨殺され自分のもとに助けを求めにやってきた少女・マチルダと出会う。唯一愛していた弟の仇(かたき)を討つため殺しを教えてほしいと懇願する彼女を、幼さゆえ最初は拒否していたレオン。だが次第に心を通わせ合い、彼女に殺しにまつわるさまざまな掟(おきて)を教えることに。
孤独を持て余したふたりは、寄り添い合うようにひっそりと日々を過ごす。そうして殺し屋の男と12歳の少女の奇妙な共同生活が始まるのだった。
天涯孤独だったレオンは突然自分のそばにあどけない少女がやってきたことで動揺するが、生活をともにするうちに次第に打ち解けていくようになる。マチルダもまた、その幼さには不釣り合いともいえる成熟した精神でレオンに心を許していく。
やがて身も心も捧げたい、という陶酔に変化していくマチルダの思いは、観る者の心を切なく締めつける。年齢差に関係なく、世界の片隅で寄り添い合う2人は、異性間の関係構築における既成概念を打ち破るほどの稀有(けう)な絆で結ばれる。「大人と子ども」という関係性に新たなカテゴリを誕生させたそれこそが物語の目玉であり──ときにそれは現実で「問題作」と批評され、監督の嗜好(しこう)を嫌悪する声が上がってもなお──フィクションに限定すれば作品を傑作たらしめていると言っていいだろう。
ミルクから読み解く、成長の物語
映画にはさまざまなモチーフが登場するが、まずはレオンが日課として飲んでいるミルクに注目したい。
劇中では何度もミルクを飲む姿が見られ、そこにはレオンとマチルダという2人に相対する「成長」というキーワードが隠されているのではないか、と考える。ミルク、といって思い浮かぶのは、成長期の少年少女が好んで飲むものであり、飲むことで身体が成長していくもの──いわば成長という身体・精神的変化のメタファーだということだ。しかし、それを飲むレオンは成人男性であり、いくら飲んだところで彼の成長は止まってしまっている。
しかし言及したいのは、本作の裏テーマが”レオンという男の成長”なのではないだろうかということであり、それを踏まえると暗喩的な意味合いとして本来子どもが好むであろうミルクを飲むレオン、という図式が存在する。ミルクを飲まないマチルダは、身体に反して心が大人のそれ以上に成熟している。レオンは孤独を極めたゆえ、人から愛されることや愛することに慣れていない。そんなレオンがミルクを飲む、というのはつまり、彼がマチルダに出会ったことで、停滞していた”愛”の成長を示唆(しさ)している、と考えることもできるだろう。
ドレスが織りなす、成熟と幼さの対比
また中盤では、レオンがマチルダにドレスを贈るシーンがある。そのドレスはピンクで、胸元に花飾りがあしらわれている。マチルダはそれを着て、「素敵?」とレオンに聞く。レオンは「ああ」と言う。しかし大人びたマチルダには幼いデザインで、彼女の成熟しきった性格からいうとそれは少し”幼稚”だ。
このシーンでは、あえて幼さのあるデザインのドレスをマチルダに着せることで、彼女が抱いている”大人としての女性らしさ”を強調する役割を担っている。レオンはマチルダを子どもだと認識し、大人の女性として見ることができておらず、過去に愛した女性のこと、彼女と死に別れたこと、それ以来ひとりも女性を愛せない、という会話に続いていく。
レオンの話を聞いて涙を流すマチルダ。彼女はあえてレオンに「素敵?」と聞いたのだ。外見ではなく、内面に眼差しを向けてもらいたいがために。
ドレス、というモチーフによって”子どもっぽさ、幼さ” を顕在化させ、大人と子ども、成熟と幼さの対比が見事に行われたシーンである。
彼はなぜ、観葉植物を愛したか
もうひとつ、この映画には重要なモチーフが登場する。孤独な生活を送っていたレオンが相棒のように育てていた観葉植物だ。
住処(すみか)を転々とする中で、レオンは決して観葉植物を手放さなかった。そして終盤、窮地に追いやられたときも、マチルダとともに観葉植物を危険から遠ざけようとする。
なぜ、そこまでして植物を愛したのか? それは彼の人生が、今までどこにも根を張ることなく、安定した暮らしをすることが叶(かな)わなかったからだと考える。
レオンはいつか殺し屋から足を洗い、愛するマチルダとともに穏やかな生活を送りたかったに違いない。しかしそれは叶わなかった。どこか自由な場所で伸び伸びと生きていってほしいと、自身の思いを告げる代わりに、今まで手をかけて育ててきた植物を彼女の手に渡らせたのだ。
レオンと別れた後、再び孤独となったマチルダはレオンから託された植物を地に埋める。そうすることによって愛した彼への哀悼を捧げると同時に、レオンという人間への尊厳と永遠の愛を示したのだ。ひとりの男の生涯と、ひとりの少女に出会ったことによる変容を意図させる観葉植物は、本作で最も意味のあるモチーフなのかもしれない。
ひとつの愛の形を描いた作品として、世界の片隅でしか生きられない密やかな関係を巧みに活写し、歪(いびつ)であるがゆえの美しさを確立させた『LEON』。レオンとマチルダ、ふたりが交わした愛はいつまでも映画の中で色あせず、観客の心の中にほろ苦い余韻を残しながら深く根づいていくだろう。
(文・安藤エヌ/編集・FM中西)