2020年12月21日に、2002年から19年連れ添った(?)愛猫のまるちゃんを見送った解剖学者で作家の養老孟司先生。インタビュー前編《養老孟司先生に聞く、愛猫「まる」との別れと『ペットロス』からの“唯一の脱却法”》では、まるちゃんと築き上げた関係や、いなくなってからの日々について伺った。
お互いにつかず離れず、飄々(ひょうひょう)としたその毎日は、NHKの『まいにち 養老先生、ときどき まる』や、『ネコメンタリー 猫も、杓子(しゃくし)も 。特別編』などで目にした人も多いはず。
そんなまるちゃんとの毎日を、この解剖学者はこんなふうに解剖してみせる。
「猫を飼って問題なのは、やる気がうせるところだね。社会を作って生きる社会性の動物じゃないから、おなかがいっぱいになればゴロっと寝ちゃうし、嫌なやつとは会わない。こちらも働く気がなくなっちゃう(笑)」
まるちゃんのこの生き方、実は養老先生の理想の生き方だという。そして、そんなまるちゃんについて尋ねられるたび、先生は「まるは“ものさし”です」と語ってきた。
「猿も犬も社会性の動物で、人間もそう。だから浮世の義理が大変なんですよ。仲間のことを考えなくちゃならないからね。猫は“本当にそれでいいのか?”と教えてくれる動物なんです」
「マヨネーズがあれば100。それで完璧」
浮世の義理に縛られて仕事をこなし、嫌な上役や同僚にげんなりしつつ、断ることも遠慮して残業をこなし続ける私たち。仕事を離れてさえ、SNS上の会ったこともない人からの評価が気になって、「いいね!」に一喜一憂して暮らす。
一方、猫はといえば、そんな浮世の義理や評価とは無縁のまま、生きたいように生きている。自分と他猫(?)を見比べてねたむこともなければ、「いいね!」を気にして落ち込むこともない。物欲にも淡泊だ。ちなみにまるちゃんの場合はマヨネーズが大好きで、これさえあれば、どんなときでもご機嫌でいられた。
「マヨネーズがあれば100。それで完璧。満ち足りていられるんだよ(笑)」
おなかがいっぱいになれば満ち足りて、プイと好きなところへ行ってお昼寝。飼い主である養老先生への義理やお愛想なんてどこへやら、自分の生き方だけを頑固につらぬく。
「本当になんにもしないんです、あいつ(笑)。でも生きているだけなら、ああやっても生きていけるんだ、と」
猫には義理やしがらみ、他者の視線といった社会性動物が縛られている常識がない。常識がないから、生きるうえで大切な本質や、これさえあれば大丈夫という基準を見失うこともない。それゆえ猫は、人間にとってなにが余分なのかを判断する、いい「ものさし」になりうると、養老先生は語るのだ。
ちなみに、まるちゃんの死に直面して養老先生が考えたことをまとめた新刊『まる ありがとう』(西日本出版社刊)では、49ページの写真が先生の一番のお気に入りだ。「自然の中で、“あ、いるな”って感じの存在感がいい」とのこと。
「足るを知る」ことが大切
以前、誰かに、中国の思想家・老子の言葉で「足るを知る」という言葉があると教えてもらったことがある。この言葉には続きがあって、「足るを知るものは富む」と続くという。最後の「富む」は、金銭のことだけを言っているのではないだろう。
「自分にとって本当に必要なものは何か?」それを知り、不必要なものを取り除いていく。必要不可欠で身の丈にあった生活にこそ、満ち足りた毎日、精神の豊かさにつながるヒントがあると、おそらく老子は言いたいのだ。
インタビュー中、先生は「居心地の悪いところから立ち去ると、居心地のいいところに自然と収まる」と言葉にされた。遠回りな言い方ではあるけれど、これはきっと、同じ意味に違いない。
老子が言うように、猫のように温かな寝床、大好きなマヨネーズなど、必要不可欠なものを知り、それ以外を取り除けば居心地よくいられるだろう。だが社会性の動物である人間は、そう簡単にはいかない。
仕事は定時までで十分と考えて残業を断れば幸せでいられるが、ほかの誰かに残業を押し付けることになる。人間の世界では、それでは人づきあいの悪い勝手な人間ということになり、ついには孤独になってしまうだろう。孤独に陥る前に職を失い、生活が立ち行かなくなるのは確実だ。
「だから、無理や我慢をしない、あるいは100%居心地が悪いわけでもない、自分が一番安定していられる状態ってところを見つけるのが大切だけど、それが結構むずかしい。でも女性は男性より見つけやすい気がするよ。それなのにダンナの尻をたたいたり、勉強しろと子どもの尻をたたいたり。それって“ちゃんと生活できているけど、もっと収入がほしいから”だったり、“お隣の子と比べてどうして?”ってことでしょう? どうして猫のように“足るを知って”生きないんだろうと思いますね」
“好きに生きたい”思いを猫に託して
他人の目なんか気にしない。必要と不必要を見極めて、不必要なものとは距離を取る生き方。それができれば、どんなに心穏やかに生きられることか……。
そんな絶妙な距離感の取り方も、実は猫との生活にヒントが隠れていると養老先生は言う。
猫は非社会性の動物で、人間社会を支配する常識や忖度(そんたく)はみじんも意に介さない。だがペットとして社会性の動物と同居している以上、その生活や居心地は、人間との関係のうえに成り立っている。“おなかがいっぱいになればゴロっと寝るし、嫌なやつとは会わない”状態であったとしても、人間とうまくやっていくことができるのなら、そんな猫の人間との距離感、人間とのつきあい方には、世間と自分との距離感、人とのつきあい方のヒントとなるものがきっと存在するはずだ。
「猫を飼っているということは、なにかいいところ、惹かれるところがあるからじゃないですか? たとえば、“ああいうふうにいられたら”とか。昨今、猫ブームが言われますが、その理由はここにあると思います。人間は犬を見ても“ものさし”にすることができません。同じ社会性の動物で、同じように社会にがんじがらめにされているから惹かれないんですね。人間は人間の“好きに生きたい”という思いを、猫に託しているんだと思います」
仕事に疲れ果て、「好きに生きたい」と感じたら、猫と暮らそう。人間関係に困り果てたら、猫とつきあってみよう。そして猫の毎日と生き方を、じっくりと観察するのだ。
猫と暮らす毎日には、もっとよく、もっと気楽に生きるための、ヒントがぎっしりと詰まってる──。
(取材・文/千羽ひとみ)
《PROFILE》
養老孟司(ようろう・たけし)
1937年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。幼少時から親しむ昆虫採集と解剖学者としての視点から、自然環境から文明批判まで幅広く論じる。東大医学部の教授時代に発表した『からだの見方』で89年、サントリー学芸賞。2003年刊行の『バカの壁』は450万部を超える大ベストセラーとなった