のけぞったり、踊ったり、変顔したり。一生懸命に生きる外ネコたちを愛を込めて撮影し、3年半かけて撮りためた20万枚以上の中から厳選した写真集『必死すぎるネコ』(辰巳出版刊)や、5年間におよぶ撮影期間をかけた22万枚の中から選りすぐりの「残念な瞬間」を集めた写真集『残念すぎるネコ』(大和書房刊)が大ヒット。今や“ネコ写真界のカリスマ”となった猫写真家・沖昌之さんの撮影現場に密着! ネコ写真を撮り始めたきっかけから、写真家としての夢まで、熱く語っていただきました。
ネコに会いに毎日、公園へ「距離感を保ちながら、タイミングを選んで撮ります」
沖さんが連れて行ってくれたのは、なじみのネコたちがいる下町の小さな公園。小ぶりの池があり、芝や木々は手入れが行き届いている。まわりは閑静な住宅地で、いかにも近隣住民にとっての憩いの場。ベンチがいくつか置かれているが、その日、人影はなかった。
ゆっくり歩いて20分ほどの公園を何度もまわり、ネコたちとの出会いを待つ沖さん。日々のルーティンどおりの撮影風景を取材スタッフに案内してくれる。さて、本日のネコさんたちは、よい被写体になってくれるだろうか?
「毎日のように昼ごろから日没まで、こんな風に同じエリアを歩きまわります。3、4時間かけて、公園内とその周辺のネコを探している感じです。暑い日は、陽射しが弱まってくる2時半ぐらいから、なじみのネコたちが、ちらほら出てきます。自分は、ただただ待ちの姿勢で、ネコが好きにしているのを邪魔しないようにしながら、シャッターチャンスをうかがいます」
30分ほど公園の内外を観察していると、草むらの中に、寝ているぶちのネコさんを発見。沖さんは、じっと佇(たたず)んで静かに様子をうかがっている。
「生い茂る草の陰で寝ているようなので、ゆっくり寝させてあげたいな、と思うんですよね」
ネコの暮らしを守り、ネコの意志を尊重する沖さんのネコへの目線。やみくもにネコに近づくことはしない。そんななか、どこからかネコさんたちが三々五々に集まってきた。近所のおじさんが、ベンチに座ってお皿にエサをわけ始めたからだ。これぞ下町、映画にでも出てくるような和みの光景が広がっている。沖さんは、その場をそっと離れた。ネコさんたちのご飯の時間を邪魔してはいけない。それがマナーである。
「撮影するネコとは距離感を保っています。ナデナデぐらいはしますけど、ご飯はあげないし、おもちゃで遊んだりもしないですね。このあたりのネコは、半野良の状態が多くて、さくら耳(去勢済みの印で、桜の花びらの形にカットされている耳)の子も多いのですが、ご飯はお世話をしているご近所の方々が適宜あげているようです。地域ネコとともに生活していこうとする、下町らしいほっこりした雰囲気に満ちていますね」
沖さんもその下町の風景に溶け込んでいる。ネコさんを見かけても、なかなかシャッターを切る様子は見られない。じっとネコさんたちを眺めている沖さん。
「普段とは違うところで休んでいるとか、枝で楽しそうに遊んでいるとか、気持ちよさそうに昼寝しているとか、ネコの様子をまずはじっと見て、“そっとしておこうか、ああ、でも可愛いなぁ”と自分の心が揺れたらシャッターを押すんです。ネコの動作から勝手に想像して、“なんで盆踊りしてるの”、“いや、盆踊りと違うでしょ”と、自分にツッコミを入れながら、ネコと勝手に会話しています。ネコの本当の気持ちはわからなくても、上を向いていたら“何かいいことがあったのかな”とか思いをめぐらせながら、タイミングを選んで撮ります。そういう意味では、なんだか途方もないことをやっています。根気がないとできないですよね」
地域ネコのお世話をしている人たちとの交流も、ネコたちの無事を知るために必要不可欠。「今日の〇〇ちゃんは元気ですか?」と、安否確認も欠かせません。
「ネコを守ってくれる人たちがいる地域っていいですよね。大変だとは思いますけど。ネコのバックグラウンドもわかっていて、1匹1匹、ネコに合わせたケアをしようとしてくれています」
“ぶさにゃん先輩。”にひと目ぼれ、カメラを学び会社を辞めて写真家の道へ
沖さんの撮るネコたちには、人間が一生懸命に何かをやっている姿を思わず投影してしまう。必死になっている姿は、おかしくもあり、切なくもあり、そこがたまらなく愛おしい。沖さんでなければ撮れないネコの世界観だ。そんな沖さんが初めて写真集を出版したのは、2015年の『ぶさにゃん』(新潮社刊)。’13年の大みそかに運命の出会いがあった。“ぶさにゃん先輩。”に、ひと目ぼれしたのである。
「そのころ勤めていた婦人服屋さんの近くにある公園で休憩していていたときです。目の前を、グレーのアメリカンショートヘア風の渦巻き柄のネコが通っていきました。顔がくしゃっとつぶれていて、エキゾチックショートヘアのようなネコでした。
──ぶさ可愛い! ひと目でその子が気に入ってしまったんです。その子を“ぶさにゃん先輩。”と呼んで、ぜひ撮りたくなって、カメラを抱えて公園に通いつめました。ネコは昔から好きだったのですが、写真撮影の知識はまったくありません。なぜ、そのときカメラを持っていたかというと、当時勤めていた婦人服屋で商品の撮影をしなくてはならなかったから。店のブログで写真をアップするため、物撮りをしていたんです。初めは自己流で撮っていたのですが、たまたま社長の趣味が写真だったこともあって、少しずつ技術を教えてもらうようになりました。
もともとカメラは苦手。写真を撮られるのが嫌いだったので、写すのもイヤだと思って敬遠していたほどなのですが、仕事で頻繁にカメラを使うようになったら、少しずつうまく写せるようになり、ついには、趣味としていろいろ撮るようにまでなったんです。そんな中で、被写体としてネコを撮りたい気持ちが強くなっていきました」
社長に教えてもらった基礎をベースに、その後、写真家・テラウチマサトさんの写真教室に月1回、通うようになった沖さん。
「“春の訪れ”とか、毎回課題を与えられるのですが、その課題に無理やり合わせて、ネコの写真ばかり撮っていました。どんなテーマでもネコ写真を持ってくるので、呆(あき)れられましたけど(笑)。その教室は、テクニカルなレッスンは少なくて、“どう感じて撮るかということが大切だ”と教えられました。“やみくもに撮らず、1回ずつ考えてシャッターを押しなさい”と」
仕事をしていた初めのころは、週に一度の休みに、朝から日没までずっと撮影。その日に撮った写真を、個人で始めたInstagramにアップしていった。じわじわとフォロワーが増えていき、最終的には長期にわたり、猫ブログランキング1位に君臨するように。
「ある日、魔がさして仕事を辞めてしまったんです。Facebookでお客様とつながっていて、僕のことを弟や息子のように思っていてくださる方がいらしたんですが、Facebookを更新しなかったら“あの子、何やってるんだろう”と心配されそうな気がして、とりあえず“猫写真家”の名刺を作り、その日にブログを立ち上げて、ネコ写真をアップしてみました。そうしたら、わりとすぐ人気ブログの仲間入りができたので、お店のお客様だった方たちにも、“ブログをクリックしてください”とお願いして、どんどん写真を上げていきました。そうしたら、猫ブログランキングで1位が取れたんです。それを見た新潮社の編集者さんから、“写真集を作りたい”と連絡をいただいたのがきっかけでした」
「ネコノミクス」と呼ばれたネコブームが沸き起こったことがあった。大御所の動物写真家・岩合光昭さんを頂点に、アマチュアのネコ写真家たちも、こぞって個性的なネコを撮ってSNSで発信する時代。ネコの写真集は、軒並みベストセラーになった。中でも、猫写真家にとっての目玉商品は、ネコカレンダー。沖さんも仲間に触発されて、カレンダー作りの営業を始めることにした。それがベストセラー写真集の誕生への足がかりとなる。
「ネコ写真家の仲間たちが、来年の“ネコカレンダー”をどうやって作るか、楽しそうに話しているのを聞いて、その夜、カレンダーを作っている出版社のお問い合わせフォームに片っ端から、“ネコの写真を撮っています。カレンダーを作りたいのですが”と営業メールを送りました。返事なんかこないだろうな、と思っていたら、辰巳出版の雑誌『猫びより』から連絡が来たんです。編集会議で次の猫連載をどうしようか、という絶妙のタイミングだったそうです。
ラッキーなことに、すぐに連載が決まり、コンセプトとタイトルを考えていたところ、編集さんから、“沖さんの写真に出てくるネコを見ると、なんか、みんな必死ですね。『必死すぎるネコ』で連載しましょうか。うまくいけば将来、写真集にできるかも”と言われ、トントン拍子に話が進んでいきました」
『必死すぎるネコ』はインパクトが絶大だった。糸井重里さんの推薦文も功を奏して、大ヒットになる。その中で活躍するいちばんのベテランモデルは、“さとちゃん”。沖さんの写真集には頻繁に登場しており、ファンも多い。何より、『必死すぎるネコ』の表紙ネコが、“さとちゃん”なのだ。
“さとちゃん”登場! 『必死すぎるネコ』の写真は「もう絶対に撮れない」
取材当日に話を戻そう。公園の隣にある駐車場を、ネコを訪ねて歩いていると、なんと、その“さとちゃん”が不意に現れた。地面に背中をこすりつけて転がりながら、ゴロゴロと喉(のど)を鳴らして沖さんに目線を向けている。背の高い沖さんが道に腹ばいになって、“さとちゃん”と同じ高さでカメラを向けると、次々とポーズをとり始めた。
「見た目はもちろん可愛いのオンパレードなんですけど、実は、ネコって内面もめちゃくちゃキュートなんです。そこに射抜かれちゃいますよね。外見もだけど、内面の可愛さもたまんないなぁと。
自分で飼ってしまうと、溺愛(できあい)して、仕事もやめて引きこもりになってしまいそう。ネコが布団にいたら、ずっと一緒に寝ていると思う。そんなことを想像すると、ネコファーストの人生で終わりそうで怖いです(笑)」
“さとちゃん”がほかのネコさんたちを紹介してくれて、写真のバラエティも多彩になってきた。今なら、“このあたりにいる”とわかっていて場所を探さずにすむが、以前はどこにネコがいるかわからないので、公園周辺をくまなく歩いていた沖さん。駐車場の隅や袋小路の奥に潜んでいることなどを学んでいき、テリトリーを広げていった。
「出会ったらラッキーと思いながら徘徊(はいかい)していますが、ネコを見つけたからといって、面白いポーズをしてくれるわけでもない。宝くじを買って当たりを待っているような気持ちです。『必死すぎるネコ』の写真は、もう1回撮れと言われても絶対に撮れないです。このポーズをしているときに、たまたまカメラを持ってそこにいた、というありえない奇跡が起こっただけなんですよね。でも、写真が撮れなかったとしても、ネコたちに出会えて元気でいることがわかるだけでも、幸せな気持ちになれます」
初恋のネコ、“ぶさにゃん先輩。”の導きにより、ネコ写真家としてデビュー。可愛い表情・しぐさに変顔、脱力ポーズに癒される。ネコ好きなのに、実家では飼えなかったという沖さんだが、母親が子どものころ飼っていたネコの話を聞かされて育ち、身近にネコを感じていた。伸びて転がってジャンプして、あくびに昼寝、ときどきケンカ。下町でのんびり暮らす外ネコたちの自由気ままな日常を、今日も撮影し続ける沖さん。
「“ぶさにゃん先輩。”のおかげで猫写真家としての一歩を踏み出したのですが、’15年ごろ、見かけなくなってしまったんです。心配のあまり、テレビ番組の『志村どうぶつ園』でも探してもらったところ、老夫婦にもらわれて家ネコになったとのこと。安心して、その後はいろいろなネコを探して歩きました。
実際には飼ったことがないから、自分の妄想の中で、ネコの可愛さを膨らませていました。ネコ写真を撮り始めるまで、僕の中ではネコって喜怒哀楽のない生き物だったんです。ところが、ファインダーを通してずっと見ていると、感情が豊か。態度にも顔にもすぐ出るし、毛の動きとかしっぽの揺れだけでも、うれしいとかイライラしているとか、微妙な気持ちが表れる。孤高に生きていると思いきや、ネコにはネコのコミュニティがあって、上下関係があったり、仲よしだったり敵対していたり、人間と同じ複雑な毎日を過ごしているんだ、ということをしみじみ感じました。それぞれのネコには人みたいに心がある、そんな当たり前のことを理解していなかった。それから、撮影するときはネコの心を撮れたらいいな、と努力するようになったんです」
絶望感を味わった日々を乗り越え、大人気に。ここまでの歩みは「運命だった」
プロになったと自覚できたのは、『必死すぎるネコ』が売れてから。そこから次々と仕事が舞い込み、沖さんは猫写真家としての地位をさらに確立していった。
「会社を辞めて、’15年の12月に『ぶさにゃん』を出してから、『必死すぎるネコ』まで2年半かかりました。そのあいだは毎日、毎日、ネコを撮るだけ。将来どうなるかもわからない。ネコを撮っていたグループで一緒だった人たちが、みんなヒット作を出していて、“自分もそういう写真家のひとりになれるんだろうな”とたかをくくっていたのですが、『ぶさにゃん』を出しても、すぐには重版にならなかった。
“なんで自分だけダメなんだろう、理解されないんだろう”と、挫折感を味わう毎日。“もうダメだな”と絶望的になりました。それくらい、その写真集に賭けていたんです。編集者は、頑張れと励ましてくれたのですが、お金にはまったくつながらなかった。生活費が尽きたら、前の会社に頭を下げて戻るか……とか、焦るばかりの日々を送っていました。お金がないから気持ちもすさんでいきました。それでも、“ネコを撮るしかない”と、ネコを探して歩き続けました」
そんな不遇な時代も乗り越え、今では写真集の出版は17冊にもなる。雑誌の連載を何本もこなし、’23年のJTBカレンダー『ゆるにゃん』も大人気だ。
「今は、“続けることってやっぱり大切なんだな”と思います。洋服屋で働き始めたところから、今までたどってきた道を振り返ると、“運命だった”と感慨深いです。その会社で働いていて、あの日、休憩時間に公園に行かなければ、ネコに会えなかったわけです。たまたま出会えたネコを、技術があるわけでもないのに、ただただ待って撮り続けた。人の心を動かすポーズの写真が撮れたという、万に一度の奇跡。時間をかけてその奇跡を待つことができる、それが自分のいちばんの才能かもしれないですね。
これからも身体が動く限り、ずっとネコを撮り続けていたいと思います。最近では、台湾で写真展を開く機会もあって、海外でも話題になってくれているようでありがたいですね。これからは、日本の外に出て世界のネコも撮っていきたいです。日本も含め世界のネコと出会いたい、と夢はふくらんでいます」
(取材・文/Miki D’Angelo Yamashita)
【PROFILE】
沖昌之(おき・まさゆき) ◎猫写真家。1978年、神戸生まれ。アパレル会社を経て、偶然出会った猫“ぶさにゃん先輩。”の導きにより’15年、独立。“必死すぎるネコ”、“ネコザイル”、“無重力猫”など、どの猫写真家も追随できない激写系ネコシャを発表。2022年12月現在までに17冊の写真集を刊行している。2023年版JTBのカレンダー『ゆるにゃん』も好評。
◎沖昌之Instagram→https://www.instagram.com/okirakuoki/
◎沖昌之Twitter→https://twitter.com/okirakuoki