「ラーメン」という料理は不思議だ。これほど中毒性が高いメニューは他に類を見ない。他の料理に比べてオタクの数が圧倒的に多く、「行列ができる店」の代表格だ。ハマる人は本当にハマる、うますぎて危険な食べ物だ。
全国各地のラーメンを食べては動画をアップしているラーメンYouTuber・SUSURUさんもラーメンに魅せられた人のひとりである。彼は「毎日ラーメン健康生活」を始めて7年目、2400日以上連続でラーメンを食べている、凄まじいレベルのオタクだ。
今回はそんなSUSURUさんへのインタビューを3回に分けてお届け。「なぜラーメンにどっぷり浸かっていったのか」「ここまで人を惹きつけるラーメンの魅力はどこにあるのか」を伺った。
「なにより食が好き」カントリーマアムを食べてほめられる
──SUSURUさんは「毎日ラーメン健康生活」として、毎日ラーメンを食べる動画をYouTubeにアップしています。配信をする前からラーメンはお好きだったんですか?
「好きでした。大学生のころは、週に3、4回は『ラーメン二郎』に通ってましたね。われながらほんと怠惰なやつだったんで、食べたあとの“あぁもう腹いっぱい。もう今日なんもやる気出ない”っていう感覚がたまらなかったんです。満腹になっても、まだ食べたくて“はしご”してたくらい」
──本格的にラーメンオタクになったのは大学からだったんですね。ちなみに小学生くらいのときは?
「ラーメンよりハンバーグやカレーのほうが好きでしたけど、週1くらいで、青森県弘前市の実家の近所にある『らあめん花月嵐』に家族で行くのが恒例になってました。
そのときは自分でタレをかけて混ぜて食べる鉄板イタめしのほうが好きでしたけど。子ども心ながら、ラーメンにエンタメ感を覚えてたんですよね。あと、当時は無料でアイスキャンディーがもらえたのもうれしかった。ラーメンは食べてなかったけど、ラーメン店は小さいころから、めちゃめちゃ楽しみな場所だった記憶があります」
──なるほど、そのときの経験が見事に今の仕事につながってるというか……。
「いやほんと、いやしいというか意地汚いというか……。実家に仏壇が置いてある部屋があるんですけど、こそっと忍び込んでお中元のお菓子を食べ漁る、みたいなことをしていました。仏壇ってめずらしいお菓子がたくさんあって魅力的なんですよ。で、母親に見つかって怒られてましたね」
──「太るから食べるのやめなさい!」みたいな?
「いや“食べるならごはんにしなさい”って。食べる量じゃなくて、栄養価的な話ですよね」
──(笑)。それで、ごはんも食べる。
「そうそう。で、ごはん食べ終わったらまた仏壇の部屋にこそこそ行って、お菓子を食べてました(笑)。それくらい食欲旺盛というか、食べるのが好きな子どもだったんですよね。
小学生のときなんてカントリーマアム食ってるだけで、友だちに“おまえ、ほんっとにうまそうに食うよな”って言われたのを覚えてます。そんなことある?って感じなんですけど(笑)。そんなヤツいないでしょ。ほんと、いやしいというか」
──いやいや。それくらい食いしん坊なんですよね。だって今もラーメン食べてるとき、ほんと美味しそうですもん。「この人のラーメン好きはガチだわ。ビジネスじゃないわ」っていうのが伝わるというか。
「ありがたいことに、よく言われます。自分では“うまそうに食うぞ”とか思ってないんで、天性のものなんでしょうね」
尾崎豊とTHE BLUE HEARTSが好きだった、パンクな少年時代
──小学生のころは食べること以外にハマっていたことはありますか?
「ピアノを習っていたのと、野球をしてました」
──インドアもアウトドアも両方やられていたんですね。
「親が結構アウトドア派で、家の庭でバーベキューしたりキャンプ行ったりしていたので、どっちかというと、小学生のときはアウトドア派で、活発な子どもでしたね」
──では中学校でも野球部に?
「いや、野球は小学生で辞めて、中学では吹奏楽部に入りました。ピアノをしていたので“これなら、できるかな”と思って始めたのがきっかけです。それでパーカッションパートに所属して、ドラムを始めました」
──そうなんですね。当時好きだった音楽とかありますか?
「そうですね。THE BLUE HEARTSと尾崎豊をよく聴いていました」
──おぉ、小学生にしては渋いっすね。パンクというかロックというか。だいぶ反体制的なラインアップですけど、きっかけは?
「THE BLUE HEARTSは友だちに教えてもらったんですよね。親がロック好きだったのかもですけど、その子からいろんなバンドを教えてもらってました。
尾崎豊は『学校へ行こう!』(TBS系)のB-RAPハイスクールというコーナーに出ていた尾崎豆をきっかけに聴き始めました」
──うわぁ、超懐かしい!同世代なのでわかるんですが、尾崎豆から本家の尾崎豊を聴き始めるのって、めちゃめちゃ珍しいパターン(笑)。
「ですよね(笑)。でも僕、いま小室哲哉さんの大ファンなんですけど、これも同じコーナーに出ていた軟式globeをきっかけに本家のglobeを聴いたからなんですよ。尾崎豊も小室哲哉もB-RAPハイスクールがきっかけなんで、人に言うのがちょっと恥ずいというか、ガチのファンの人から怒られそうなんですけど(笑)」
──じゃあ、もともと好きなものはとことん掘っていくというか、オタク気質なところがあるのかも……。
「そうっすね。この後も音楽はいろいろ聴きましたが、われながら”狭く深いタイプ”だと思ってます」
──THE BLUE HEARTSとか尾崎豊は、歌詞が好きだったんですか?
「はい。当時は歌詞を聴いてました。そう考えたら、僕の人生にかなりの影響を与えていると思います。20代前半までは“抑制されるほど反発しちゃう性格”でしたからね。“やりたくねぇことはやらねぇ”みたいな。いまは、全然そんなことないですけど」
──なるほど。吹奏楽は高校に入っても続けていくんですか?
「いや、吹奏楽は中学の途中で辞めて、その後すぐにバンドを始めました。なので高校では軽音楽部に入ってましたね」
──そりゃそうですよね。『THE BLUE HEARTS』が好きな子はバンドのほうに進むと思います。
「でも吹奏楽部のときはバンドが好きだったのに、軽音楽部に入ってからは、むしろクラシックを聴いてましたね」
──めちゃめちゃ尖(とが)ってますね(笑)。
「いやほんとに、すごいひねくれた高校生でしたよ。僕らはオリジナルの曲をつくっていたんです。でも高校生と一緒に出演するバンドは、基本はコピーバンドが多いじゃないですか。それを見て“他人の曲で盛り上がってんじゃねぇよ”とか思ってました(笑)」
──それはもう完全に尾崎豊と甲本ヒロトの影響なんじゃないかと(笑)。
「そうかもしれないです。よく弘前市の『スタミナ一番』っていうラーメン店に集まってバンドメンバーと話してましたね。『スタミナ一番』は当時500円だったので、高校生のお小遣いでも通えたんですよ。思い出深いお店ですね」
──青春感強いですね。当時は「バンドで売れるぞ」みたいな夢とかあったんですか?
「いや、それが『SUSURU TV.』を始めるまで夢とか持ったことなくて……。ほんと漫然とダラダラ生きてきた人間なので。“コピバンで盛り上がって何が嬉しいんだよ”ってことばっかり話してました(笑)。
だから、そこは『SUSURU TV.』を始めてよかったな、と思いますね。ほんとラーメンに人生を変えられましたよ」
◇ ◇ ◇
第2回では大学進学からYouTubeをはじめるまでの経緯について、二郎系ラーメンの思い出とともにお届けする。「もう、過去の自分をひっぱたいてやりたい」と連呼したSUSURUさん。その大学時代を振り返っていただいた。
【第2弾→「親を泣かせてしまったことがショックだった」SUSURUさんが語る、ラーメンYouTuberになる前の”怠惰な自分”】
(取材・文/ジュウ・ショ)