『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』など、アニメ作品の劇場版が立て続けにヒットを飛ばしています。そして、作品に負けない人気を誇るのが、登場人物たちの“声”を担当する声優です。洋画に日本語の声を当てる“吹き替え”も、声優の大事な仕事の1つ。ベテランになると、ほとんど専任のようなかたちでハリウッド俳優の声を担当します。
山路和弘さんも、そんな声優の1人です。インタビュー第2回は、山路さんが吹き替えを担当するヒュー・ジャックマンのお話を伺います。
以前は、ただの“優男”にしか見えなかったのに
──『X-MEN』シリーズでウルヴァリン(=ローガン※1)を演じているヒュー・ジャックマンも数多く吹き替えをしていますね。
「すべて担当しているわけではないですが、かなりやっています。個人的にはシリーズ最終話になる『ローガン』が特に好きですね。本人も一番力を入れていたように感じます。作品にはローラという娘も登場するんですが、あの子がよかった」
(※1)ローガン:頭に銃弾を撃ち込まれても蘇生する不死身のミュータント。シリーズ最終話では、不老不死と思われてきた身体にも寿命が訪れる。何百年も孤独に生きてきたが、人生の晩年に家族の絆を知る物語。ローラはウルヴァリンのDNAで作られたクローンミュータント。
──『X-MEN』のシリーズは、近未来もののSFアクションでした。ミュータントという超能力をもった人種と人類とが共生する世界が舞台ですが、ヒュー・ジャックマン演じるウルヴァリン(ローガン)は、十字架のような重荷を背負った役柄で描かれています。
「そういう役を演じるのが好きなのかもしれませんね。『X-MEN』のシリーズ以外にも、『プリズナーズ』という映画では誘拐された子どもを捜しまわる父親の役でしたし、大統領候補として選挙に挑む『フロントランナー』のゲイリー・ハートも苦渋に満ちた役でした。『グレイティストショーマン』のようなエンタメ系の作品もありますけど、真正面から物事に挑む役が多いような気がします。
初めてヒュー・ジャックマンの吹き替えを担当したのは『ソードフィッシュ』だったと思います。あの頃は、ただの優男という印象でしたが、『X-MEN』のシリーズを重ねていくとともに、力強さが前面に出るようになったなという印象です」
息が上がってヨロヨロになりながら走り出すシーンがたまらない
──シリーズものになると、演じる期間も長くなります。シリーズが続くにつれて、吹き替えの演じ方が変化していくことはあるのでしょうか?
「『X-MEN』に関して言えば、不老不死とは言っても、シリーズが20年も続けば、ウルヴァリンを演じているジャックマン自身、年を取っていくわけじゃないですか。そうすると、外見とか、全体の雰囲気がちょっとずつ変わっていきます。ぼくも年を取っていくから“わかるわかる、オレも老けたよ”と共感していました。でも、そういった変化を見るのも楽しいんですよ」
──それは、年齢を重ねて深みが増していくということでしょうか? それとも、逆に老化していくということ?
「両方あります。ウルヴァリンの最晩年を描いた『ローガン』は、特にその両方が作品からにじみ出ていたので、ぼくも声を吹き込んでいて心地よかったですね。年端も行かぬミュータントたちの前で、彼は息が上がります。それでも、ヨロヨロになりながらも立ち上がって走り出す。決してスーパーマンではないところが、逆にたまらなかったです。
あの作品では、ジャックマン本人が本編にアフレコをしている動画をSNSで発信して、話題になりました。自分が演じているシーンにあとから自分の声を入れたんですが、走っているシーンや戦闘シーンなど、マイクの前でものすごく感情を込めて声を張り上げているんですよ。
あれをみたときは衝撃でした……、と言うか、“すみません!”という感じでしたね(笑)。“本人があんなに一生懸命やっているのだから、声を当てているオレも今以上に頑張らなきゃいけないな”と思いましたよ。彼のプロ根性には頭が下がりました」
ベテラン声優を憂鬱な気分にさせる、あのハリウッド俳優
──ジェイソン・ステイサムの吹き替えはそれほど大変じゃないと言われてましたが、ヒュー・ジャックマンはどうですか?
「あまり難しくないですね。声質はだいぶ違う気がしますけど、ぼくにはほとんど違和感がありません。ただ、呼吸の仕方とか、センテンスを区切るタイミングについては、ジャックマンは自由自在なところがあるんですよ。“え、ここでブレスが入るのか”みたいなね。ジェイソン・ステイサムは、息継ぎのコツをつかむのも意外と簡単でしたが、ヒュー・ジャックマンの場合はあまり気にしても仕方がないと割り切っています」
──俳優独特の間みたいなものは、実際に吹き替えを担当してみないとわからないものなんですね。やっぱり大変なお仕事ですね。
「大変さで言うと、ジェイソン・ステイサムやヒュー・ジャックマンより、ケビン・ベーコンをやっているときが一番つらいんですよ。実際の声は、ものすごく低音で、それでいて響くんです。ぼくの声とはぜんぜん違うし、残念ながらぼくにはそういう声が出せない。だから、“いや、自分の声でいいんだ”と言い聞かせながら吹き替えているつもりなんですが、気がつくと低く低くなっていく。収録が終わると、喉がものすごくつらくなっているんです。ベーコンの吹き替えの仕事が入ると、一瞬だけ憂鬱(ゆううつ)になりますね(笑)」
大物俳優より、無名の俳優を吹き替えるほうがプレッシャー
──ハリウッドの大物俳優を何人も吹き替えておられますが、プレッシャーを感じることは?
「あまりないです。それよりも、たとえば名前も知らなかったようなイギリスの舞台役者の吹き替えをやるときなど、“あ、この役者はいいな”と思うようなことがあるんです。そういうときのほうがプレッシャーを感じるんですよね。BBC(英国放送協会)のドラマには、そういう役者が結構います。
ハリウッド俳優は、“大物なんだから、いまさらジタバタしてもしょうがない”という感じで行けるんですけど、知らないところにすごくいい役者がいて、これからブレイクしそうな予感がすると、つい張り合ってしまうんでしょうね。“負けてなるものか”となってしまいます」
──山路さんがおやりになる前にヒュー・ジャックマンの吹き替えをしていた声優さんもおられますが、以前のバージョンをチェックしたりするんですか?
「ぼくは絶対に見ないです。見ると影響されてしまうことがあるんですよ。ぼくが初めて洋画の仕事をしたときは、“そんなに役を作らないでくれ”と言われました。ジェイソン・ステイサムにしろ、ヒュー・ジャックマンにしろ、演技はもう彼らがやっているから、こちらは淡々と台詞(せりふ)を合わせてくれと言われたんですね。
イメージを作り過ぎると、実際の収録のときにすごくズレていくんですよ。他の声優がやった吹き替えを見てしまうと、気づかないうちに、その声優の吹き替えに引きずられてしまうんです。だから、ぼくは見ないようにしています」
クリント・イーストウッドを山田康雄さんから引き継いだとき
「困るのは、古い作品をリメイクするようなときです。舞台をやっていた頃は自分が声優をやる日が来るなんて思ってもいませんから、何も身構えずに映画を楽しみますよね。ところが、むかし見た映画がリメイクされることになって、その吹き替えをぼくがやることになったとき、ときおり当時の吹き替えを覚えていることがあるんですよ。そうなったらどうしようもありません」
──『ゴッドファーザー』のアル・パチーノの吹き替えを新たに担当したときですか?
「いや、あのときは野沢(※2)さんが声を当てたものは見ていませんでした」
(※2)野沢那智(のざわ・なち):声優、ラジオパーソナリティー。俳優ではアラン・ドロン、ロバート・レッドフォード、ジュリアーノ・ジェンマ、アニメでは『エースをねらえ!』の宗方仁コーチなど、“二枚目俳優”の吹き替えで知られる声優界の大重鎮(2010年没)。
「古い吹き替え版をはっきり覚えていて“困ったな”と思ったのは、山田(康雄)さんや納谷(悟朗)さんです。説明するまでもないですよね、“ルパン三世”と“銭形警部”をやってらした声優です。お二人とももうお亡くなりになりましたが、本当に偉大な大先輩です。
とにかく個性が強く、イメージが固定されてしまっているから、彼らの吹き替えを引き継いだときは本当に困りました。無理やり自分流に変えるのは気持ちが悪いし、旧作に合わせるのも不自然だし、“どうしたらいいんだ!”というジレンマに陥りました」
──演技のクオリティに影響が出るほどですか?
「出ます、出ます。山田さんが演じた『夕日のガンマン』のクリント・イーストウッドの声を新たに入れ直したときがそうでした。“クリント・イーストウッドと言えば山田康雄”というイメージが定着していたので、あのときは本当に悩みに悩み抜きました」
──初めての吹き替えの仕事では“そんなに役を作らないでくれ”と言われたとのことですが、実際のところはどうなんですか。役に深く入り込むのも良しとしないものなのでしょうか?
「流れの中で、どうしても入り込んでしまうときはありますよ。『グラディエーター』のラッセル・クロウを担当したときがそうでした。ストーリーもそうだったし、彼の役柄も、ものすごく重たいところがありましたから」
──くしくも名前が挙がりましたので、次回はラッセル・クロウの話をメインに語っていただこうと思います。
『X-MEN』が始まったときは青年でも、シリーズが20年も続けばヒュー・ジャックマンも中年の域にさしかかってきます。そういった年齢的な変化にも共感できるのは、長らく吹き替えを担当した山路さんならではの思い入れがあるからかもしれません。百戦錬磨の山路さんでも、大ベテランの吹き替えを引き継いだときは悩みに悩み抜いたり、憂鬱になるくらい吹き替えに苦労する俳優がいるというエピソードは面白いですね。
次回は、『グラディエーター』や『ロビン・フッド』ほか、多彩な役を演じているラッセル・クロウの吹き替えについてお話を伺います。
◎第3回:山路和弘さん#3「ラッセル・クロウのアクションは、ナタでバッサバッサと殴り倒す感じかな」(9月30日19時公開予定)
(取材・文/キビタキビオ)
《PROFILE》
山路和弘(やまじ・かずひろ) 1954年、三重県生まれ。1979年に劇団青年座に入団後、舞台を中心にドラマ、映画で活躍。声優としても洋画の吹き替えを中心に多数の役を担当している。歌唱力にも定評があり、2011年に出演したミュージカル『宝塚BOYS』『アンナ・カレーニナ』で第36回菊田一夫演劇賞(演劇賞)を、2018年には第59回毎日芸術賞を受賞。近年はアニメーションの出演も多く、『進撃の巨人』『ONE PIECE』『SPY×FAMILY』などの人気作品にも出演。現在、放送中のNHK連続テレビ小説『ちむどんどん』では、前田善一役で出演している。