「私な、子どもが欲しいと思ったことがないねん」
大学を卒業して、2年くらいたったころだったと思う。
私は、新卒で就職した会社で仲よくなった同期数人とカフェにいた。全員、女性だった。
恋愛と仕事に夢中だった私たちの話題は、ほとんど“恋バナ”である。妊娠や出産に関しては、まだリアルなものだと感じていなかった。
「子どもが欲しいと思わない」は言ってはいけないこと?
だから私は話の流れで、何気なくそう言った。
瞬間、その場が静まり返った。
「なんで?」
そう聞かれて、どう返事をしたらいいのか、わからなくなった。
まだ「子どもを産むか産まないか選ばないと」という差し迫った気持ちはなく、自分が子どもを望まない理由を考えたことがなかったからだ。
その場にいたほとんどの友人が、口々に言った。
「出産も子育ても貴重な人生経験になるから、私はいつか産みたいなあ」
「たぶん自分の子どもが生まれたら、可愛いと思うで」
「少子化やし、ひとりでいいから産んだほうが、世の中のためにもいいんちゃうかな」
グループ内での私の立ち位置は「よく変なことを言うボケキャラ」だったので、みんな「また、りおちゃんが天然ボケかましてるわ」と思ったのかもしれない。
「大丈夫、すぐに子どもが欲しいと思えるって」
そう諭すみんなの口調は、妹を励ます姉のようだった。
不思議だった。
どうして励まされるのだろう? 私はそのことで悩んでいるなんて、一言も言っていないのに。
友人の中のひとりが、じっと私を見ているのに気づいた。彼女はほかの人たちと異なり、落ち着いた口調で言った。
「子どもが欲しいのに授からなくてつらい思いをしている人もたくさんいるんやから、そういうこと、外で言わないほうがいいんちゃう? りおちゃん無神経やで」
がん、と頭に固いものがぶつかったような気分になった。
そうか。これは言ってはいけないことなのか。
でも、あれから10年経った今、思う。
どうして言ってはいけないことだったのだろう?
将来、多嚢胞性卵巣症候群になる可能性があると言われて
20代前半のころは、自分自身「まだ若いからそう思うだけで、アラサーくらいになれば考えが変わるかも」と楽観的に考えていた。
しかし、私は30歳になっても子どもが欲しいと思えなかった。
子どもを産むか産まないかの選択についてリアルに考え始めたのは、30代前半だった。
10代から生理不順で、25歳のとき、無月経になり婦人科を受診すると、「黒い丸いのが見える?」と卵巣の中のエコー写真を見せてもらった。医師の言葉どおり、黒い大きな丸があった。
「無駄になっている卵みたいなものでね、これが多くなると、多嚢胞性(たのうほうせい)卵巣症候群(PCOS)といって、妊娠しづらくなることもあるの。まだ若いから大丈夫だと思うけど」
特に衝撃は受けなかった。
時を経て33歳のとき、無月経になって婦人科に行くと、エコー写真の黒い丸が増えていた。
「この状態が続くと多嚢胞性卵巣症候群になるから、子どもを望むなら早めに不妊治療専門のクリニックに行ったほうがいい。望まないなら、生理が3か月こなくなったときに婦人科を受診して、ピルを飲んだり注射をしたりすれば大丈夫」
ショックだった。
不妊外来を勧められたからではなく、「産むために治療をする」もしくは「自分の意志で産まない」、その選択をしなければならない時期が迫っていると知ったから。
だが、診察室で「どうする?」と医師に言われてからの返事は早かったと思う。
「大丈夫です、子どもは望んでいないので」
はっきりと言ったが、家に帰ってから落ち込んだ。
妊娠しにくいと知って「産まない選択」がリアルに
本当に、いいのだろうか。
夫には子どものいない人生をともに歩んでもらうことになるし、老後、子どもや孫がいない人生は寂しくないだろうか。
私は自分の経験を振り返ってみることにした。
幼いころから、将来、自分が子どもを産んだり一緒に暮らしたりする姿を想像したことがなかった。
1歳のころ、実の両親が離婚して親権を母が持ち、6歳のときに母が再婚をするまで、私の生活に「父」はいなかった。
子どもが欲しいと思えないと母に言うと、「両親が離婚したせいかな」と母は自分を責めるが、私の実父は不倫を隠さないような人だったそうだし、離婚は母の人生のために必要なことだったので、気にしなくてもいいと考えている。
ただ、自分が将来、結婚して子どもができたときに、夫が子どもを可愛がっているのを見るのは嫌だなと思っていた。
自分が父親に可愛がられた経験がないからだ。
これは、私が子どもを持たない選択をしたいと思うようになった理由のひとつではある。
だけど、「理由」はこれだけではない気もするし、そもそも、子どもが欲しくないと感じることに理由を求める必要はあるのだろうか。
私の知る範囲では、日本でこういった調査はあまりさかんではないように思えた。
そこで、英国のジャーナリストが、産まない選択をした50人の女性に取材する『「産まない」時代の女たち チャイルド・フリーという生き方』(ジェーン・バートレット・著/遠藤公美絵・訳)を読んだ。
いろいろな側面から「産まない選択をするということ」について書かれたノンフィクションであり、新鮮だった。
原書は1993年に出版されたようだが、「自分の意志で産まない」と言える人が、30年前からこんなにいたのか、という驚きもあった。
私が特に注目したのは、インタビューした多くの人が《自分の意志で産まないと決めるまでの経緯を断定するのが難しいと答えた》という箇所で、著者も《ひとつ・ふたつの要因を拾い出して「理由」にすることが無意味だ》と述べている。
まさに、私が父を知らずに育ったのはその「ひとつ・ふたつの要因」に含まれる。
「自分は、子どもを生まないという選択をする」
周囲に言うだけでも勇気のいることだが、「なんで?」と聞かれたとき、答えを用意しないといけないという、もうひとつのハードルがある。
「寂しいから産むものじゃない」妹のひと言が契機に
前述したように、30代で多嚢胞性卵巣症候群の可能性があると言われた私は、子どもを産む方向で治療を始めるか、もしくは産まない選択をして人生を送るか、選択を迫られているような気分になった。
自分の老後を考える。
子どもも孫もいなくて、夫に先立たれたらどうしよう。
そのとき、「子どもを産めばよかった」という気持ちにならないだろうか。
周囲の友人は、すでに子どもがいたり、不妊治療をしていたりして、だれに相談してもお互いに傷つけ合うことにならないか心配だった。
とりあえず家族なら遠慮のない意見を言ってくれるだろうと思い、当時、独身だった妹に相談してみた。
話を聞いた妹は「私は将来、子どもが欲しいと思っているけど」と前置きをしたうえで言った。
「自分の老後のために子どもを産むのは違うよね? 産む選択をした理由が老後のためって人は、ほとんどおらんと思うで。子どもには子どもの人生があるねんから、親がしばったらあかんやろ」
20代の妹は、私よりずっと大人だった。
そうだ、子どもを産む選択をしたとしても、それが自分の寂しさを埋める手段になってはいけない。
長いあいだ考えたが、私は、自分の考えではなく自分の老後や国の少子高齢化、周囲の「産んだほうがいい」という意見に影響されていることに気づいた。
だんだんと「自分の意志で産まない選択をしている」と友人にも言えるようになった。
すると、30代半ばになるにつれて、周りの友人でも同じように考えている人が増えていった。
彼女たちもまた、「自分の意志で子どもを産まない」と言えずに悩んでいた。家族にさえ、打ち明けられないでいる人もいた──。
(文/若林理央)
【30代半ば以降、周囲の声を聞いて新たに考えたこと、経験したことをつづった第2弾は、3/31の12時に公開予定です】