1988年から1996年まで、芸人・明石家さんまさんが先生となって、生徒である子どもたちと軽快なスタジオトークを繰り広げる伝説のバラエティ番組が放送されていた。その名も『あっぱれさんま大先生』。
このたび2023年7月1日に、『あっぱれさんま大先生2023同窓会スペシャル』(フジテレビ系)の放送が決定。特番として帰ってくる同番組に、初回放送から出演していた人気生徒の“ゆうた”こと、山崎裕太さん(42)も出演する。
当時、番組に出演していた生徒たちのほとんどは、すでに芸能界を引退して一般人に。今回は、そんな生徒たちに働きかけ、1年の歳月をかけて同窓会を実現させた山崎さんにロングインタビューを敢行! 3歳のころ、迷子になったことをきっかけに芸能界入りし『あっぱれさんま大先生』に出演する話や、思春期時代の葛藤、そして現在の芸能界でのあり方などを、じっくり語っていただきました。
さんまさんに「頑張れよ」って言われたら、「お前も頑張れよ!」って
僕が『あっぱれさんま大先生』に出ていたのは約7年4か月。思い出がたくさんあるので、もっとも印象的なエピソードを聞かれると、“全部です”と答えたいくらいなんです。むしろ、どんなエピソードを聞きたいですか? っていうくらい。ただ、さんまさんは僕がヘソを曲げたら何もしなくなってしまうことを、わかっていた。だから、怒るってことはしませんでした。そのあたりはすごく絶妙なバランスで接してくれていたと思います。生徒たちの年齢はバラバラで、僕は男の中でいちばん年上。最後のほうは、みんなの子守りをしているようでした(笑)。
思えば小学2年生から中学2年生まで、いわゆる思春期を『あっぱれさんま大先生』で過ごしたなって。芸能界は、小学校高学年から中学に入るくらいまでが、いちばん辞めたかった時期です。やりたくなかったけど、仕事だから……と割り切っていた。番組では、ちゃんと笑いをとりにいかなきゃいけないよなっていう思いがあった。見た目はどんどんやんちゃになっていったけど、出演している以上、責任を持ちたかったんです。
番組が終わってからは、さんまさんとお会いする頻度は年に1回くらいかな。コロナ禍もあったし、ここ数年はあまり会えていなかったですけど、毎年、連絡はとっていました。誕生日とかね。「おめでとう」って連絡すると、「ありがとう」って、それくらい。僕の誕生日には何も来ないですよ。さんまさん、人の誕生日は覚えてないから(笑)。芸能界で不祥事が起こると、ちょっと冗談で「僕は何もやってません!」「ホンマか〜?」とか送り合うんです。最後はいつも「頑張れよ」って言ってくれるので、僕は「お前も頑張れよ」って。そうすると「合格!」って返ってきます(笑)。
初めは芝居なんてやりたくなかった、でもやらざるを得なかった
芸能界に入ったきっかけは3歳のころ。僕が迷子になって、助けてくれたのが当時の事務所の社長だったんですよ。今の僕の見た目からは想像できないかもしれませんが、もう、すっごい愛くるしくて、僕!(笑)。その社長が「すごく可愛いからデビューさせなさい」ってことで親にかけあって、翌日からキッズモデルとして活動していました。某ファッション誌とか、某子ども服のモデルとか。
芝居で初めて大役を任されたのが、秋元康さんの初監督映画『グッバイ・ママ』(’91年)。僕は当時、芝居なんかやりたくなかったけど、受かってしまったので。そこから『あっぱれ〜』にも出て、ドラマにも出て、主演をやらせてもらうようになって。右肩上がりの状態ですね。その流れに任せて、なんのありがたみを感じることもなく、振られる仕事をこなしていた感じです。憧れて入った世界じゃなかったから、ただただ、やっていた感覚。
小さなころから芸能界の仕事をやっていたので、ドラマや映画が入ったりすると学校に行けないことが、僕の中では普通でした。高学年くらいになってくると、周りと比べて学力は劣るし、運動もすごく足が速いやつには勝てないし。サッカーをやっていたけど、いちばんうまくはなれないし。何かで頂点に立てないことが悔しかったですね。だからそのころから、やりたくない反面、“自分にはこの仕事しかないのかな”とも思っていました。
地元の同級生とは、やんちゃも散々しました。例えばもし、すごく優等生の子たちと一緒に遊んでいれば、僕もそうなっていたかもしれない。だけど、今でも地元の友達はすごく大切だし、彼らがいてくれたから仕事を頑張れていたっていうのも事実です。
自分のやりたいことが初めて叶ったのはSTARSでのバンド活動
僕が20歳のときだったかな。『大江戸ロケット』という舞台で、
芸能界に入って、自分のやりたいことを初めてやらせてもらったのはバンド活動かな。当時の社長が「裕太、好きな音楽をやっていいよ」と言ってくださって、メジャーデビューさせてもらったのがSTARSというバンドです。先が見えない中でやっていた芸能界で、何か自分から生み出したいって思っていたので、やりたいようにさせてくれた会社には感謝しています。全然、成功には至らなかったけど、本当にいい経験をさせてもらいました。
そのころには、露出も昔よりは減っていたのが事実で。世間の人たちって、言い方は悪いですけど、人気者しか応援しないというか。メディアに出ているから応援するわけであって、露出が減ると「あいつまだ生きてんの?」みたいな空気になるじゃないですか。でも、業界の中には「山崎とドラマをやりたい」って言ってくれる人がいたし、応援してくれるファンの人たちもいた。その人たちに応えたいと思って、ここまで続けてきました。
自分をブラさず、発言に責任を持って堂々と生きていきたい
若いときはやんちゃもたくさんしたと言いましたが、実際、今よりずっと尖(とが)っていたと思います。見た目も、中身も。この年になれば、自分の心境にかかわらず頭を下げられるけど、昔はできなかった。周りの方もそんな僕に気を遣ってくださるというか、本当にとっつきづらいヤツだったと思うんですよね(笑)。でも、仕事をしながら社会の仕組みというか、流れを学んで、臨機応変に動いてきたつもりです。だからこそ、今もここでこうして活動できているんじゃないかなと。
いい意味でも悪い意味でも、僕自身は竹を割ったような性格だし、ウソをつけないタイプ。若いときは何も考えずとも、自分の行動範囲の中でいろんな人との交友関係が広がっていって。そのうちの誰かが不祥事を起こしてしまえば、「あいつはその友達だ」って目で見られるんですよ。でも、自分も何か疑われたときに「どうぞ調べてください。怪しければ家宅捜査なり薬物検査なり、毎日してください」って堂々と言える人間でありたいとは、ずっと思っています。
今の時代、過去なんて簡単に暴かれるじゃないですか。ウソをついたらボロが出るし、やましいことがあったら隠しきれない。でも、それでいいんだとも思います。反省できる人は反省してまた頑張ればいいし、それで(芸能界から)いなくなる人は、向いてないということだから。
僕がここまでずっといるのはやましいことがないからであって、それは生き方で証明していくしかない。やっていいこと、悪いことはちゃんと自分で気をつけているし、自分自身がブレなきゃいいだけ。そこは胸を張って言い切れます。もう40歳を超えているんでね。自分の発言には責任を持ちますし、堂々とした生き方をしたいんです。
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終始、まっすぐにこちらを向いて語ってくれた山崎さん。ご自身のいいところだけでなく、未熟さや至らなさもすべて受け止めたうえで成長を重ねてきたことが、その真摯(しんし)な話しぶりから伝わってきました。インタビュー第2弾では、大親友・UVERworldのTAKUYA∞との忘れられない思い出や、10代、20代からの変化、今後の展望や結婚願望についてもじっくりお聞きしています!
(取材・文/高橋もも子、スタイリスト/上井大輔、メイク/要海奈々)
【PROFILE】
山崎裕太(やまざき・ゆうた) ◎俳優。1981年生まれ、AB型。3歳で芸能活動を始め、小学2年生から7年以上、『あっぱれさんま大先生』に出演し人気を誇る。劇団☆新感線の舞台『大江戸ロケット』でゴールデン・
『あっぱれさんま大先生2023同窓会スペシャル』
<放送日時>7月1日(土) 15時30分~17時 ※関東ローカル
<出演>明石家さんま/上野秀樹/歌代未央/内山信二/小嶋亜由美/中武佳奈子/鳴海晃司/福長康一/増川浩行/村岡綾佳/矢川菜穂美/山崎裕太/湯山絵梨(※五十音順) ナレーター:加藤 諒
◎山崎裕太公式YouTube「あれこれ言うた!!」→https://www.youtube.com/channel/UCrUHIz9QJEyTojiwHuH8wkA
◎山崎裕太公式Instagram→https://www.instagram.com/yuta.yamazaki0308_official/?igshid=YmMyMTA2M2Y%3D
◎山崎裕太公式Twitter→@YUTA_YAMAZAKI