徹底した役の掘り下げに裏づけされた演技力と圧倒的な存在感を放ち、第一線で活躍し続ける俳優の内野聖陽さん。勇壮な戦国武将から優しい父親まで、さまざまな役柄を演じ分け、見る者をワクワクさせてくれる。映像での活躍とともに、自身の原点でもある舞台の活動も大切にしてきた内野さんの主演舞台『M(エム).バタフライ』が、東京の新国立劇場・小劇場にて上演中。7月には大阪の梅田芸術劇場シアター・ドラマシティほか、福岡、愛知でも上演されます。32年ぶりに日本で上演される名作に挑む思いや作品の魅力について、プライベートで大切にしている時間、毎日のルーティンなど……、たっぷり語っていただきました。
受難の男の姿を楽しんでいただきたい
──今作『M.バタフライ』は実際に起きた事件から着想を得て創作された作品ということですが、最初に作品に触れたときは、どんな印象をもたれましたか?
「やはり実際に起こった事件を題材にしているということに、衝撃を受けました。僕が演じるフランス人外交官が、プラトニックではなく肉体関係もあったのに、恋人が性別を偽ったスパイであることに20数年間も気づかなかった。それっていったい何?というところは、強烈にきましたよね。そして、その事件をヒントにフィクションとして、2人の関係を幻想の中で描いた見事な戯曲だなと思いました」
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『M.バタフライ』
中国・北京に駐在経験のあるフランス人外交官ルネ・ガリマール(内野聖陽)は、国家機密情報漏洩により投獄されている。なぜ彼は、そんな大罪を犯すに至ったのか。オペラ『蝶々夫人』と対比させながら、彼が自らの物語として、その「正しさ」を説いていくうちに、ことの全貌が見えてくる。
時は1960年代、文化大革命前夜の中国・北京。駐在フランス人外交官のルネ・ガリマールは、社交の場でオペラ『蝶々夫人』を披露した京劇のスター女優ソン・リリン(岡本圭人)に出会う。「東洋人らしい」慎み深さと奥ゆかしい色香をたたえたソンに、瞬く間に魅了され恋に堕ちていくルネ。やがて男女の仲になり人目を忍びつつも20年に渡り関係が続くが……。その実、ソンは毛沢東のスパイであり、男だった──。
実在の事件をヒントに劇作家のデイヴィット・ヘンリー・ファンが創りあげた戯曲。ブロードウェイで上演されると、京劇のもつエキゾチシズムや興味深い登場人物たち、そして、重層的な戯曲の構成が絶賛され、1988年トニー賞最優秀演劇賞を受賞。世界30か国以上で上演されてきた。日本では1990年に上演されて以来、32年ぶりの上演。
──心ひかれたのは今作のどのような部分ですか?
「恋愛の初期の頃って、自分が相手にそうであってほしいと願う幻想を抱いてしまうじゃないですか。そういう感情をテーマにしている作品なので、状況や時代背景は特殊ではありますけど、誰にでもあり得る話でもあるなと思って。すごく大変な役ですが、チャレンジしてみたいと思いました」
──今回演じられるルネ・ガリマールは、実は男性スパイである京劇スター女優のソン・リリンに恋をしてほんろうされる人物。内野さんが役作りでこだわりたいと思われていることは?
「まず、非常に難しい男だなというのはあって。男性にも女性にも振り分けられないファジーで不安定なところにいる人なので、こういう人物であると決めつけられない感じがします。この話は、フランスの刑務所の小汚い独房にいるガリマールの心のうちに生起する話。つまり、彼の脳内劇場みたいなものです。こうあってほしいという理想の物語をへこまされてボコボコにされていく、受難の男の姿を楽しんでいただきたい気持ちもあるので(笑)。お客さまを脳内の旅路に、いかに心地よく自然に導いていくかってことが、この物語を成功させるひとつのカギであるのかなと思っています」
──徹底した役の掘り下げをされることで知られる内野さん。新しい役をつくるときに心がけていること、常に大事にされていることはあるのでしょうか?
「僕は熟成させたもののほうが、お料理でもなんでも美味しいと思うんです。化学調味料でもうまみは出せるでしょうけど、やっぱり熟成させたもののほうが、芳醇(ほうじゅん)な広がりがあるじゃないですか。そういうものが演技の中にあったらいいなという思いはあります。きらびやかな味よりも、時間をかけて熟成させた味を演技でも提供できるならば、みたいな志はどこかにありますね。だから、分かりやすく口当たりがいい演技ばかりしていてはいかんと。僕の背負っている空気からとか、僕の毛穴からとか、そんな表現をしたいなっていう……まあ志のレベルですけどね」
──観客がそれぞれの感じ方で受け取れるような演技をしたいと?
「そうですね。そういう余白を残したいというか。そんな野望はありますね」
──相手役のソン・リリンを演じる岡本圭人さんの印象は?
「今作で舞台はまだ2度目ですから、ほんとに初々しくて。一番驚いたのは、彼は海外の学校で演劇の英才教育を受けている、すごい演劇オタクというか。演劇に対して向上心が強い。難しい役だけれど、彼のガッツと探求心があれば頑張れると期待しています」
──岡本さんに何かアドバイスをされたりすることもあるのですか?
「役の話とかは、役者同士ってあまりしないものなんですよね。でも、役にかける気持ちはひしひしと伝わってきます。とても感性豊かだしいろいろ勉強をしていますしね。ただ、ちょっと考えすぎるところもあるので、そこは少し心配になるときもありますけど(笑)。でも、今回、圭人くんのような若い人と向き合うことで、教えられることもあると思うんですね。初心の頃にあった感受性とか、キャリアがあることで失ったものを教えられる瞬間があるはずなので楽しみですね」
──演出の日澤雄介さんとは初タッグですが、どんなことを期待されていますか?
「内野さんをいじめれば、もっと何か出てくるんじゃないか、っていう追い込み方を稽古場でされそうだなと(笑)。実は、日澤さんに最初の頃、言われたんです。僕はどちらかというとオス文化のほうが強めの人間ではあったりするけれども、“それはもしかしたら内野さんの鎧(よろい)であって。内野さんを見ていると、すごく弱くて繊細なところも絶対に持っているように見える。その鎧をバキって割ったら、きっと面白いものが出てくるはずだ”って。“当たり!”って思いましたけど(笑)。今回は受難の役なので、大いにいじめられたいと思っています」
百変化したい欲求が役を選ぶ基準
──内野さんが多忙な中、ご自身の出発点でもある舞台に立ち続けていらっしゃる理由はなんですか?
「お芝居の稽古はしんどいことのほうが多いですが、生みの苦しみがあるほど、いい作品になるようです。今回も非常に苦しむのだろうなというのはあるんですけど。そのぶん初日を迎えて、自分で及第点だと思える作品を出せたときは、やっぱりうれしいですし。それが毎公演の中でどんどん育っていって、より豊かなものをお客さまに提示できるという喜びもありますよね。あと、観客から反応がダイレクトに伝わってくるので、演じながらお客さまのエネルギーを取り込んでいるんですよ。そういう劇場の空間で、なんか勝手にトランスして自分でも思いもよらないところまで行ってしまうという経験は、映像の現場ではなかなかできないことかもしれないです」
──それは役者としての快感でもあるのでしょうか?
「生みの苦しみが嫌いなら、役者をやめたほうがいい(笑)」
──ゲイカップルの日常を描いた大ヒットドラマ『きのう何食べた?』の主人公のひとり、美容師のケンジ役を内野さんが演じられたのは、いい意味で視聴者を裏切り、新たなハマり役の誕生となりました。役柄や作品を選ぶときのポイントは何ですか?
「僕は役者という仕事をさせてもらっているので、役を生きつくすことが僕のミッションなんです。常にいろいろな役にチャレンジしたいという欲望はあって。だから、『何食べ』のケンジさんもそうですけど、“俺、これやるの? 無理でしょ?”って思うくらい違和感があったほうがうれしいんですよ。以前、似たようなイメージの役をやったから今回もそういうふうにやってほしいという依頼が来ると、実はあまり食指が動きません。七変化どころか百変化したいみたいな欲求が、選ぶ基準になっているところはあります。あとは、プロデューサーさんや監督さんの本気度を感じて、“ぜひ! 一緒に戦わせてください”ってなるときですね」
──『きのう何食べた?』のように、まさか演じると思っていなかった役がくると、してやったりと?
「新しいチャレンジですので、それは闘志がメラメラとわきます(笑)」
毎朝、ニュースを見ながらストレッチ
──お忙しい毎日だと思いますが、プライベートで大事にしているのはどんな時間ですか?
「やっぱり友達とお酒を飲んで、バカ話をするのが一番楽しいかな。でも、コロナ禍でなかなかそういう時間もなくて、家メシが多くなりましたけど」
──舞台に向けての体づくりなど、日々の生活でこだわっていることやルーティンにされていることはありますか?
「毎朝、起きたら緑茶を1杯飲んで、録りためたニュース番組を見ながらストレッチをします。けっこう念入りに、頭の上から爪先まで、関節という関節は全部見て回りたいので、1セットやると40分くらいかかってしまうんですけど。50代になると、朝起きたときの身体の動きがよくなかったりするので、ストレッチは大事だなと思いますね」
──その習慣は何年も続けていらっしゃるんですか?
「何年もじゃないですけど、書斎にこもって台本や資料を見たりして、机に向かうことがすごく多いので、椅子に座っている時間が長くなってしまうと、身体の血の巡りが悪くなるじゃないですか。ストレッチのあとはジョギングですね。毎日ではないですけど、時間があるときに8~10kmくらいを1時間くらいかけてゆっくり走ります。台詞を覚えながらだと、もっとゆっくりしたペースになりますけど。やっぱり有酸素運動がいちばん脂肪を燃焼できるので、減量にはおすすめです(笑)」
──食事のこだわりもありますか?
「朝ごはんは必ず食べるようにしています。ごはんと味噌汁と焼き魚みたいな定番の和食が基本になっていますね。あとは、納豆、キムチ、ヨーグルトなど発酵食品はとるように意識しています」
──朝ごはんは大事ですか?
「そうですね。この仕事にいちばん大事な集中力は、朝ごはんをちゃんと食べないと出ないんです。役に向かうときって、気迫というか念力みたいな挑みかかるパワーがすごく重要なんですけど、空腹だと力が入らない。僕のパワーの源は朝ごはんです」
──来年、俳優生活30周年を迎えられますが、演じることへの興味や思いは変化してくるものですか?
「そんなに経つんですね(笑)。作品によって、ありたい演技の形は少しずつ違う感じがするので、一概には言えませんけど。でも、役によって自分の興味の持ち方が変わってくるから、そのぶん興味も衰えないし、もっとこういう芝居がしたいという気持ちも強くなっていますね」
──デビューされた頃と変わらず、役者という仕事が好きだという強い気持ちがおありになるんですね?
「強いかどうかはわかりませんけど(笑)、やるからには本気だから、というのはいつもあります」
(取材・文/井ノ口裕子)
《PROFILE》
うちの・せいよう 1968年9月16日、神奈川県出身。’93年俳優デビューし初舞台を踏む。同年にドラマ『街角』(NHK)の主演に抜擢される。以来、舞台・映画・TVドラマと第一線で活躍。第33回紀伊國屋演劇賞個人賞、第6回読売演劇大賞最優秀男優賞、第44回モンテカルロ国際テレビ祭ゴールドニンフ賞(主演男優賞)、第31回菊田一夫演劇賞、第76回文化庁芸術祭賞演劇部門優秀賞など受賞歴多数。2021年、紫綬褒章を受章。近年の主な出演作に、【舞台】『ハムレット』(’17)、『最貧前線』(’19)、『化粧二題』(’19、’21)。【TVドラマ】『きのう何食べた?』(TX/’19)、『スローな武士にしてくれ』(NHK BS/’19)、『連続ドラマW 鉄の骨』(WOWOW/’20)、連続テレビ小説『おかえりモネ』(NHK/’21)。【映画】『初恋』(’20)、『ホムンクルス』(’21)、『劇場版 きのう何食べた?』(’21)、『鋼の錬金術師 完結編 復讐者スカー/最後の錬成』 (’22)など。
●公演情報
『M.バタフライ』“M. BUTTERFLY” By David Henry Hwang
原作:デイヴィット・ヘンリー・ファン
翻訳:吉田美枝
演出:日澤雄介(劇団チョコレートケーキ)
出演:内野聖陽 岡本圭人 朝海ひかる 占部房子 藤谷理子 三上市朗 みのすけ
日程・会場:
【東京公演】2022年6月24日(金)~7月10日(日)新国立劇場 小劇場
【大阪公演】2022年7月13日(木)~7月15日(金)梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ
【福岡公演】2022年7月23日(土)、24日(日)キャナルシティ劇場
【愛知公演】2022年7月30日(土)、31日(日)ウインクあいち 大ホール
企画・制作:梅田芸術劇場