2022年10月に幕を開ける舞台『女の一生』に主演する大竹しのぶさん。主人公・布引けいは、日本の演劇界をけん引してきた故・杉村春子さんが947回にわたり演じており、2020年に大竹さんの主演で初演。前回に続き、喝采(かっさい)を浴びた同作に再挑戦。
明治から昭和にかけ、家業を守るために好きではない男性と結婚しながらも、たくましく生き抜いた女性の一生を描いており、大竹さんは布引けいの10代から50代までを演じわける。同作にかける意気込みを、ご自身の半生や性格と照らし合わせながら語ってもらった。
主人公と同じく、自分のやってきたことに対して後悔はあまりしない
──『女の一生』が再演されますが、初演に際しての思い、さらに2度目の今回は、どのように取り組みたいと思われますか?
「初めてお話をいただいたときは、まさか自分がこの作品を演じる機会があるとは思ってもいませんでしたので、驚きました。初演は、’20年に新橋演舞場で、コロナ禍の真っ最中に始まりました。“文学座の宝”とも言える名作で、実際に演じてみて改めて、すばらしい作品であることに感動を覚えました。杉村さんが947回も上演されてきた理由が、この戯曲と向き合ってよくわかりましたし、45年間も演じる中で掘り下げてこられた、なかなか巡り合えない、いい作品だと思います。演出家で夫役の段田(安則)さんも、“俺たち役者は本に書かれたことをそのままやればいいんだ”とおっしゃるほどです。
何より、1945年(昭和20年)の4月に初演を迎えたというところに、胸に迫るものがあります。戦時中にこの芝居をあえてやろうと決めた、幕を開けたいとがんばっていた。空襲警報が鳴ったら、いつ幕が下りるかわからない……そんな状況の中でも、芝居をやりたい。そういう思いが、ちょうど私たちが初演時に、“コロナ禍の中で本当にできるだろうか”と不安を感じていたことと重なります。
初演は、“それでも足を運んでくれるお客様がいらっしゃる。だから、私たちもお客様が来てくださる限り芝居を続けます”という必死な思いもあり、感慨深い公演になりました。今回も、まだまだ劇場に不安がないとは言えないのですが、それでもいらしてくれるお客様がいる限り、お芝居を届けていきたいと痛切に感じています」
──脚本がすばらしいことが、長く続いてきたゆえんでもあるかと思いますが、再演ということで、特にブラッシュアップしていきたいところはありますか。
「これは、森本薫さん(享年34)が亡くなる前に書かれた作品です。今回は、布引けいが16歳から56歳ごろまでの設定で演じますが、10代の台詞(せりふ)から晩年の夫婦の会話まで、“あの年齢で、よくこれだけ人間の心情をうまく表現できるな”と感銘を受けました。この作品の最大の魅力は、まさに珠玉の台詞の数々です。
“誰が選んでくれたのでもない。自分で選んで歩き出した道ですもの。間違いと知ったら、自分で間違いでないようにしなくちゃ”という有名な台詞があるのですが、今の時代にも響くような言葉ですよね。また、森本さんは、“おかしみ”も加味されていて、ところどころ笑えるニュアンスもあります。
主人公の人生を通して、時系列どおりに話が進んでいくのですが、明治・大正・昭和を生き抜いた健気なヒロインが明るくがんばって生き抜き、苦労しながらやっと成功する、という単なる女の一代記ではありません。家を支える使命感の強さゆえに夫や娘に去られるつらさ、細腕で家を切り盛りする苦難を背負い、ときには周囲に冷酷な態度をとりながらも、優しさをにじませる。そういったヒロインの陰影がきちんと描かれています。それを台詞でうまく伝えていきたいですね」
──本作は戦災孤児の布引けいが、清国との貿易で成功した堤家に拾われ、次男・栄二への恋心を隠して跡取りの長男・伸太郎の妻になり一家を切り盛りしていく物語ですが、ヒロインの試練をご自身の「女の一生」に投影されるところはありますか?
「やはり、先ほどお伝えした、“誰が選んでくれたのでもない、自分で選んで歩きだした道ですもの……”という台詞に共感しています。私も自分がやってきたことを、“あそこでこうしたらよかった”という後悔は、あまりしない性格です。
私は1度目の結婚が25歳のときで、相手が17歳上ということもあり周囲には反対されましたが、自分の意志を貫きました。自分の心に嘘(うそ)をつくことは、できないと思いました。また、20歳のときに父親を亡くし、“大好きだったお父さんが亡くなって、もうこれ以上、悲しいことはないだろう”と思っていたら、34歳のときに夫をがんで亡くし、“父を亡くすよりも悲しいことが起こるのだ”と知りました。
再婚して子育てに専念したときは、細胞が叫んでいるのを感じるほど“お芝居がしたい”という思いが募り、芝居を少しずつ再開しました。子育てと仕事を両立させるのは大変ですが、我慢はしたくないと思ったんです。振り返ると、30代で離婚してからは、子どもを幸せにしたいと必死でした。“お母さんが働いて、あなたたちにご飯を食べさせているのよ”と子どもたちに言い聞かせ、仕事に行く背中を見せて育てました。母親としては、中途半端だったかもしれない。でも、自分のできる限りのことは全うできたと思っています。
この作品で描かれる夫婦間の冷たい関係は、自分も通ってきた道です。別れの悲しみはずっと続くものではあるのですが、それと同じくらい、喜びにも幸せにも出会うものだと、この年になってわかってきました。また、老いていく様(さま)を母を見ながら学び、母を亡くしてからは、自分ひとりで歳をとっていく寂しさも感じているところです。
でも、性格的には、“まぁ、しょうがないか”と考えるタチなので、つらいことはもちろんありましたけど、切り替えも早い。しんどいときこそ大きな力が働いて、“よっしゃ、がんばりどきだ”と思うので、試練とも思わないし、たとえ挫折したとしても、自分では気づいていないんです。人生、いろいろあったほうが面白いですよね」
“魅力ある少女”に変身すべく奮闘中。60歳で男の子役を演じたのは楽しかった
──10代から50代までを演じますが、役作りに苦労するところはありますか?
「ひとりの人物を若いときから老年に差しかかるまで演じられることは、俳優にとって魅力的です。もちろん、声の出し方、トーンなども年をとるにつれ、変えていくのですが、声色や紛争を変えるだけでは足りません。内面をきちんと解釈をしたうえで、自然と10代、20代にも見えるようにしなければなりません。内側からわき出てくる変化を自然に出せれば、魅力ある少女に変身できるのではないかと思い、表現を模索しています」
──16歳役での登場となりますが、杉村さんは84歳のときに16歳役を演じられています。今の年齢でどのように演じようと思われますか?
「杉村さんが80代で16歳役を演じる。それを楽しみに、見にいらしていた方も多いと思います。森光子さんの名舞台『放浪記』でも、若い時代からだんだん森さんの芝居が変わっていくところが見どころです。この戯曲には、ひとりの役者がどんなふうに年を重ねていくか、その芝居を楽しんでいただける面もあります。
16歳を演じるにあたって、演出家で夫役の段田さんから私への注文は、特にありませんでした。5年前には、20歳のときに主演したミュージカル『にんじん』で、主人公の男の子役を再び演じたのですが、60歳でやったときのほうが芝居をしないですんだ、というか、開き直って楽しかったんです。見た目は仕方ないとしても、気持ちは理解できる。“子ども役を演じれば、子どもの心になれる”というところが、芝居の醍醐味(だいごみ)ですね」
──杉村さんの当たり役を演じることに対して思うことはありますか。なにか杉村さんとの思い出がありましたら教えてください。
「杉村さんがご病気になってしまい、作品自体がこの世に出なかったのですが、実は、テレビドラマの現場で2日ほど一緒に撮影したことがありました。あの杉村さんとお話ができると思い、ずっと隣に座っていて、お身体の調子がいいときには言葉をかわしました。そのとき、“あなたたちは、いいときに生まれたわね。私たちはやりたい芝居ができないときもあったし、やっても憲兵が後ろに立っていて、それはだめだ、と怒鳴られる時代だった。それでも私たちはやりましたけどね。だからあなたたちは、いい時代なのよ、言いたいことを言えて”とおっしゃってくださったことが思い出されます。そうか、それが今回の芝居のことだったんだと、感慨深いものがありました。演技で勝つか負けるかとなったら、負けるに決まっています。ですから、杉村さんのように演じようと思ってはいないんです」
ウクライナ戦争を受け「当たり前だと思っていた世界が変わっていくのでは」
──演出の段田安則さんは、「補欠が4番バッターのコーチをしていいのか、という気持ちにもなる」と、ご自分を補欠、大女優・大竹さんを4番バッターにたとえていますが、段田さんとは演出についてなにか話をされていますか?
「普段、役者同士で芝居の話をするには難しいところがあります。“こうすればいいんじゃないかな”と言えそうで言えない、変な遠慮があって、演出家がそこを仕切らなければならないのですが、段ちゃんは、それが言える唯一の役者仲間。30年近く一緒に芝居をしていて、稽古中はもちろん、幕が開いてからも、特に翻訳劇などは、一緒にとことん掘り下げてくれます。
初演のときは、コロナ禍でしたから、出番の少ない人は稽古には出ないで帰らなくてはいけない状況だったのですが、そんな難局でもなんとか芝居を続けていけたのは、段ちゃんの手腕があってこそ。私たちの仕事は、しつこく粘ってどこまでも追求していくべきであり、それができるいい演出家だと、信頼しきっています」
──今年に入って戦争をより身近に感じることが起こり、作品の背景と共鳴するところもあると思うのですが、’22年の今、この作品を上演することの意義、作品に臨むにあたっての思いについて伺えますか。
「この物語は日露戦争が終わったころから始まります。そして、焼け野原になった東京で終わります。終戦から10年くらいたってから生まれた私たちが演じるわけですが、世界中で紛争や戦争があるなか、われわれの時代の日本では、平和にのほほんと生きることができた。今では、戦争を知らない人がほとんどになってきています。
でも、ウクライナの戦争が始まったところで、“当たり前だと思っていた世界が、これからも変わっていくのではないか”と考えました。これは反戦的な芝居ではないので、無理に反戦心を抱いてもらう必要はないのですが、“生きていく上では、何が起こるかわからないし、何が起こっても生きていくんだ”というメッセージを感じます。明治・大正・昭和という激動の時代の中で生きなければならず、その時代に流される自分を受け入れながらも前を向く布引けいの生き方を、特に若い人に見ていただきたいと切に思っています。
思えば、ちょうど’22年に出演した舞台『ピアフ』の初日が2月24日で、ウクライナにロシアが侵攻した日でした。劇場で主人公のピアフが歌っているところに、“戦争です、戦争が始まりました!”と、ドイツ軍が侵攻してきたことを知らせる台詞があるんです。5度目の『ピアフ』上演だったのですが、これまでに感じたことのないリアリティをもって、“戦争が始まりました”のひと言が伝わってきたんです。“これまで私たちは、なんという薄っぺらいお芝居をしてきたのだろう”と反省も込めて、言葉を伝えることの意味を、改めて考えさせられました。やはり、私たちは常にリアリティを持って演じなければならないのです」
──コロナ禍での再演となりますが、改めて、どのように舞台をパワーアップしたいと考えていますか?
「初演のときは、大きな演舞場にお客様が半分も入っていない日もありました。実は、最初の日は、“これだけなんだ”とショックを受けました。いつもお客様がいっぱいであることを当たり前のように思っていたことを恥じ、“この状況でも劇場に足を運んでくださる方がひとりでもいるのであれば、私たちは演劇を続けよう”と思いを新たにした、衝撃的な1か月でした。初心に戻らせてくれた舞台です。それから2年過ぎて、まだコロナは続いているのですが、やはり、お客様がいらして、喜んだり泣いたりしてくださる、その熱気をパワーにしながら芝居をしていけることを願っています。
ただ、私は、あまり先のことを考えることはできなくて、1週間先ぐらいしか見えていないんです。お芝居をやっているときは、その1回のためだけに生きているかもしれません。今日がいちばん最高でなくてはいけないし、今日より明日をもっとよくしていきたいです」
──これからの女性の生き方はどうなると思われますか。
「女性とか男性とか、性別は関係ないという考え方も今はありますが、私は、女性にしかないものは絶対にあるし、また、男性にしかないものも絶対あると考えています。でも、性別問わずいちばん大切なことは、自分の心に嘘をつかないで生きていくことです。自分の意見をはっきり言うこと。一人ひとり、そういうふうに生きてほしいですね。何事も“どうでもいいや”と思わず、自分は何をどう考えて生きていくのか、きちんと把握しながら生きていきたいと、私も思っています」
(取材・文/Miki D’Angelo Yamashita)
2022年10月18〜10月23日@東京・新橋演舞場
2022年10月27〜11月8日@京都・南座
2022年11月8日〜30日@福岡・博多座
作:森本薫/演出:段田安則
キャスト:大竹しのぶ、高橋克実、段田安則、西尾まり、大和田美帆、森田涼花、林翔太、銀粉蝶、風間杜夫
※講演詳細、チケット情報は松竹公式HPへ→https://www.shochiku.co.jp/play/schedules/detail/202210_enbujo/