今年もいよいよこの時期だ。2022年12月18日(日)、笑いの祭典『M-1グランプリ』が開催される。すっかり”年末の風物詩”として定着したこのイベント、「毎年、家族で笑かしてもろてますー」というお茶の間も多いことだろう。個人的にも毎年、敗者復活戦から本戦までずーっと爆笑している。
毎回、無意識にゲラゲラ笑っているわけだが、ちょっといったん冷静に考えてみた。そもそも、どうして人は漫才で笑うのだろうか。「なぜ笑えるのか」が理解できれば、M-1をもっと楽しめるのではなかろうか。
そこで今回は、日本笑い学会会長、また立命館大学文学部特任教授として人間学の分野から長年「笑い」を研究している鳶野克己(とびの・かつみ)先生に「笑いが起きる仕組み」「驚きを覚えた漫才師」を伺ってみた。
人は「常識の範囲内で刺激を受けたとき」に笑顔になる
──今回は鳶野先生に「なぜ人は笑うのか」ということを、人間学の視点からお伺いしたいな、と考えております。どのようなメカニズムがあるのでしょうか。
「なかなか難しいテーマですね。あくまで人間学の視点からお伝えしますと、まず前提として、基本的に人は社会で生きていくなかで各々が“常識”という枠組みを設定し、その範囲内で生きています。
人間はベースとして“自分の常識のなかで安定・安心したい”という欲求を持っているんですね」
──なるほど。確かに誰にでもそれぞれの常識がありますし、安心・安全が保たれると気持ちがいいですよね。
「はい。しかし一方で安全なだけでは飽きてしまう。つまり人間には“刺激”や”驚き”を求める性質もあるんです」
──わかります。なんだろう……レベル100のポケモンでレベル3の敵を倒していても、負けることはないけど飽きちゃう、みたいな。
「そうそう。その刺激が、その人の常識の枠内に収まったとき、人は安心したうえで驚きを覚え、快感を得ることができ、笑いが生まれます。反対に刺激が常識外に出たときは、不安を覚えるとされています」
──ど、どういうことでしょうか。
「例えば、刺激を求めて寄席(よせ)にお笑いライブを見に行くとしましょう。寄席とはそもそも“芸人が客を笑わせる場所”という常識がありますよね。だから漫才師が大声を上げたり変な動きをしても“これは正しいことだ”と思って笑えるんです。
しかし、通勤中の電車を例にしましょう。電車内で変な動きをすることは、多くの方からすると“常識の範囲外”です。すると笑い・快感ではなく、不安・不快を感じるんですね。
電車内だとしても、親しい人が変な踊りをした場合は笑えます。それは“この人はひょうきんな人だ”という”常識”があるからです。でも初対面の相手や、普段はまじめな人が変な行動をすると引きますよね。
まとめると、前提として人間には、安心したいという気持ちがベースとしてありつつ、刺激(ズレ)が欲しいという感覚がある。安心するためには常識の枠内に収まる必要がある。そのため、常識の範囲内で安定から”ズレた”ときに人は笑える、といえるんですね」
NON STYLE・石田さん、ナイツ・塙さんは「革新性」と「ウケ」を両立させている
──確かに……。いつも無意識に笑っていましたが、メカニズムを教えてもらえると「なぜ自分が笑っているのか」を意識化できた気がします。
「人間っておかしいですよね。ですので、笑いが起きるための重要な要素は“その人の常識”です。同じネタでも年代・地域によってウケが違うのは、常識が違うからだといえますね。
もっと細分化すると、同い年で同じ地域の人でも、育った環境で常識の枠組みは違います。だから“ツボ”は人それぞれで違う、という理屈が成立しますね」
──おもしろいです……。芸人さんの言動が行動を“理解できること”で快感を得ているわけですね。
「そうですね。ただし漫才でいうと“ボケ”というのは、おかしなことを言ったり、変な動きをしたりすることです。つまり“変”なんです。私たちにとっては、違和感そのものであり、これは決して、気持ちがいい感情とはいえません。
そこで“ツッコミ”という存在が機能するわけですね。ツッコミは私たちに対して“あなたが変だと思ったそれは正しい感情ですよ”と正当化してくれるんです。そこで私たちは違和感から解放され“よかった。間違っていなかったんだ”と安心でき、心から笑えます。
ボケによって緊張が生まれ、ツッコミによって緩和される。一般的には、これが漫才で笑いが起こるメカニズムです」
──なるほど。理屈でわかるとすごくおもしろい……。ちなみに鳶野先生は「M-1グランプリ」は見られるんですか?
「もちろん、“おかしいなぁ。何言うてんねやろ”と笑いながら見ていますよ。M-1に出場された芸人さんだと、NON STYLEの石田さんや、ナイツの塙さんが好きですね。ボケの作り方が、一段階飛びぬけているなぁと思います」
──どういった部分にすごみを感じられるんでしょう。
「一般的にボケは、掛け合いのなかで違和感のある言葉・動きで常識をずらす形がスタンダードです。その点、石田さんと塙さんは漫才という枠組み自体を逆手にとって、ズレを生み出していらっしゃる部分に感動しますね。
例えばNON STYLEの漫才には、漫才の常套句である“もうええわ”を繰り返すネタがあります。またナイツの漫才では締めで“~ということで、これから我々の漫才をさっそく見ていただきたいんですが”というお決まりのボケがありますよね。
こうした漫才の構造自体をズラす、というボケは革新的だと思います。一般的にこうした尖(とが)ったことは、見る側の常識を超えすぎてウケないパターンが多いのですが、おふたりは毎回爆笑を取っています。この“革新性”と“ウケ”を両立させている点が好きですね」
桂枝雀さんの落語から感じる「しみじみとした”共感の笑い”」
──先ほどの「緊張と緩和」というお話について、個人的にはハーバート・スペンサーの『ずれ下がりの理論(※1)』にすごく近しいように感じます。もう逝去されたんですが、関西大学の木村洋二先生(※2)の論文でよく登場していました。
「木村先生は、私もよくお世話になりましたね。ぶっ飛んだ研究をなさっていて、尊敬していました。スペンサーの『ずれ下がりの理論』では〈笑いは意識が大きなところから小さなものへ不意に移されたときに生じる〉とされています。これは緊張と緩和に近いですね。
確かに、緊張が解放されたときに起こる笑いは、わかりやすいうえにインパクトがあるため、メインストリーム(主流)です。しかし“笑い”が生じるポイントは決してそれだけではない。もっと広い可能性があると考えています」
※1:1860年に哲学者のハーバート・スペンサーが考えた笑いに関する理論。その後、フロイトが「機知-その無意識との関係」という論文で発展させた
※2:元関西大学社会学部教授。「笑い」を主な研究テーマとし、「aH(アッハ)」を単位として笑いを定量的に測定する『笑い測定機』の発案などをしていた
──なるほど。他にはどういった笑いがあるのでしょうか。
「例えば桂枝雀(かつら・しじゃく)さんの落語の一部には、明確な“ツッコミ”という落としどころがあるわけでなく、必ずしも爆笑できないものがあります。テレビ向きではないと思いますが、ずっと“何を言うてんねやろ”としみじみ笑えるものです。
いい意味で”モヤモヤした笑い”という感じなんですね。でも人生ってそういうもので、全部が全部すっきり解決されるわけではない。常に何かを抱えながら“しゃあないなぁ”って諦めて納得することは、誰にでもあると思います。
私たちはその感覚を知っているから、桂枝雀さんの噺(はなし)に共感する。“共感できる”という安心感によって、ほんわかと笑えるんですね。これは緊張と緩和ではありませんが、笑いが生まれるポイントのひとつです」
※桂枝雀:1939年生まれの落語家。派手で型破りなアクションと軽妙な語りで多くのファンを魅了した
──あ、確かに! 明確なボケとツッコミがなくても「共感」による笑いはありますよね。「ものまね」とか「あるあるネタ」とかも同じかもしれない。
「そうですね。あえてツッコまないことで、私たちに想像の余地を残しているんですね。だから“わかるわかる”と共感ができる。その結果、安心感が生まれて笑えます」
──なるほど。似たポイントでいうと、あえてツッコミをなくして「見る側にツッコませる」ということもありますよね。いわゆる「シュール」といいますか。
「はい。爆笑が起きにくいのでテレビ向きではないかもですけど(笑)。笑いの可能性というのは計り知れませんね」
そもそも人間とは「ずっとボケ続けている存在」
──お話を伺うにつれ「笑い」の深さを感じます。
「そう。私も長年にわたって研究していますが、人がなぜ”笑う”という行動を求めるのかは、正直まだわかりません。生理学・人間行動学・社会学の観点でも調べていますが、なかなか腑(ふ)に落ちる理由がないんですね。
そもそも人間って不思議なもので、ずーっとボケ続けているんですよ」
──ボケ続けている……?
「そう。不思議ですよ。例えば、今あなたも私も服を着てますよね。着衣するのが常識だから着ているわけですが、そもそもなぜ服を着なくちゃいけないんでしょう。犬も猫もチンパンジーも裸なのに、人間だけがなぜか“裸は恥ずかしい”と感じますし、全裸で外を歩いたら逮捕されるんですよ」
──確かに(笑)。「服を着る理由」なんて考えたこともなかったです……。
「四六時中ずっと布を身にまとうなんて、他の動物から“いや何してんねん”ってツッコまれますよ(笑)。生まれてから、死ぬまで……いや死んでも棺桶の中で服着てますからね。
二足歩行もおかしいですよ。数十キロの体重をたった二十数センチの足で支えている。それで空いた手を使って、いいことも悪いこともする(笑)。動物界から見たら“前脚どうなっとんねん”って話ですからね」
──(笑)。
「排せつを恥じらうのも不思議ですよ。犬なんて、あんな誇らしげにマーキングしてるのに(笑)。“無防備になるがゆえに防衛本能が働いている”という理屈はあるかもしれませんが、それだけでは説明ができない」
──そういわれると、人間って本当におかしな生き物というか。
「そう。だから人間って大きな”ボケ”なんですよね。地球の主人公みたいな顔をしてるけど、他の動物から見てみると“自分ら何してんねん”って言われますよ(笑)。
他の動物は食べて、寝て、走って、一所懸命生きているのに、人間だけが“なんで生まれてきたんやろ”とか“なんで死ぬんやろ”とか、いろいろ考えてしまう。そもそも人間は、“おかしいなぁ”、“変やなぁ”という感覚に何度も出合う生き物なんです。
“おかしい”という言葉の意味は、Strange(変な)/Funny(滑稽な)/Interesting(興味深い・魅力的)に細分化できますが、人生にはそのどれもが詰まっています。“不思議だけど笑えるなぁ”とか“アホやけど、魅力的で素晴らしいなぁ”とかね。
そう考えると、人間学の分野を研究する立場としては“おかしみを感じる”という行為は人生そのものなのかな、とも思いますね」
──なるほど。考えれば考えるほど「笑う」って、本当に奥が深くておもしろいテーマですね。
「そうですね。人を笑わすって本当に複雑ですよ。私はあくまで研究者の立場であり、舞台には立てませんが、そんな深いテーマに考え抜いたネタで立ち向かう芸人さんは本当に素晴らしいです。M-1グランプリも“なぜ笑うのか”という根源を考えながら見てみると、また違った楽しみ方ができるかもしれません」
(取材・文/ジュウ・ショ、編集/FM中西)