人生の折り返し地点を過ぎると、親しい人との別れが身近になってきます。親や配偶者、友人たち……。大切な人を見送ったあとをどう過ごすかは、人生100年時代の大きな課題でもあります。
サカキシンイチロウさんは、これまで1000社以上の飲食店を育成してきた、知る人ぞ知る外食産業コンサルタント。ほぼ365日、朝・昼・晩問わず、あらゆるレストランへ出かける、いわば“食べることのプロ”。ブログやFacebookでは、おいしい店の見つけ方、付き合い方を発信していますが、そこには、2年前に亡くなったパートナーとの思い出も度々登場し、「おいしい記憶を分かち合える人がいる幸せ」を読み手に気づかせてくれます。
「つらいときほど、食べることを大切にしなくちゃいけない」というサカキさんに、ご自身の体験を綴っていただく短期集中エッセイ最終回です。
◎第1回:【サカキシンイチロウさんが綴るパートナーとのおいしい記憶#1】最愛の人を失った夜、ひとりで食べた冷凍うどん
◎第2回:【サカキシンイチロウさんが綴るパートナーとのおいしい記憶#2】ボクらがたどり着いた“世界一のサンドイッチ”
◎第3回:【サカキシンイチロウさんが綴るパートナーとのおいしい記憶#3】残りもののおかずを“よそ行き”に変える魔法
◎第4回:【サカキシンイチロウさんが綴るパートナーとのおいしい記憶#4】遠くの有名店より“おなじみ”があるシアワセ
毎週、お互いに行きたいお店をプレゼン対決
ボクらふたりで「どっちのお店ゲーム」っていうのを毎週、土曜日の夜にしていました。
翌週にふたりで一緒に行くお店を決めるゲーム。
雑誌やネットで調べたお店。知り合いに教えてもらったお店や、長い間行ってなかったオキニイリのお店を、ひとり1軒選んで互いにプレゼンをする。
そのお店の特徴や行きたい理由を説明し、ふたりで相談して1軒決めて、そこに行くことを次の週のメインイベントに1週間のスケジュールを決めていく。
予約が必要なお店があったり、とても気軽な食堂みたいなお店もあったり。バーや喫茶店の場合は〆のお店や、前後のイベントも考えプレゼンしていくのです。
たのしかったなぁ……、自分の好みの店をどうやったら彼の行きたいお店にできるか。相手がびっくりするような予想外のお店を一生懸命さがしたり、それはそれはたのしかった。実際にお店に行ったらがっかりだったこともある。でもふたりで決めた店なんだと思えば、そのがっかりもいい思い出になるんですよね。
ふたりとも大好きな六本木のイタリア料理店
まれにふたりが同じお店を選ぶこともあった。そんなときには「つながってるね」なんて言って、お店に行く前からワクワクしたもの。
ゲームの勝敗はたぶん、7対3でボクの勝ちって感じだったんじゃないかなぁ……。「口では絶対パパには勝てない」って、あきらめ顔で言っていました。なつかしい。
このゲームにはオールマイティーのジョーカーカードがありました。そのお店の店名を告げれば抗しがたいほど、ふたりにとってのオキニイリの店。10軒ほどもありましたか……。強力なカードだから頻繁に使うわけにもいかず、特別な日が控えているときなんかに出していた。
そんなジョーカーカードのひとつに『オステリアナカムラ』という六本木のイタリア料理のお店がありました。
タナカくんが探してきた店。ごきげんなご主人が料理を作り、凛々しくほがらかな奥さんがサービスをする気軽なお店。キッチンの前のカウンターがボクらの定席。カウンターの一番左端がボクの席。ボクの右側にタナカくん。目の前で次々料理が出来ていくのを見ながら食事をするのがタナカくんは大好きでした。
カウンターの左端の席から見ていた景色
そのタナカくんのうれしそうな表情を見ながら食事ができるのが、ボクにとっては最高のゴチソウだった。
向かい合って座ると互いの顔が正面にある。どんなに好き合っていても、見つめ合うのは照れくさい。横に並ぶと見つめ合わなくてすむのです。それに同じ景色を一緒に見ているという一体感が、ふたりの気持ちを親密にする。
しかもカウンターの真ん中で作業をしているナカムラシェフを左端から見ようとすると、必ず視野のどこかに右側に座っているタナカくんがいてくれる。だからこの店ではボクは必ず左側。食べていたのもタナカくんが好きな料理ばかりでした。ボクはもともと内臓モノが好きでなく、けれどタナカくんはモツやトリッパが大好きで、ここで食べてるうちにボクも好きな素材になったほど。
マッシュルームをたっぷり使ったサラダがあって、シェフがそれを作りはじめると、「食べたいんでしょう」ってタナカくんは必ず聞く。ボクはフレッシュマッシュルームが大好きで、でもタナカくんはキノコが苦手。だから「今日はマッシュルームの気持ちじゃないんだ」って、ずっと食べずにいたのです。
あれから2年たっても足を向けられずに
大学の同級生と一緒にきたとき、はじめてそれを食べておいしいことにびっくりしたけど、タナカくんがいないことのほうが気になって、さみしくなったことがある。
考えてみればオステリアナカムラに、タナカくん抜きで訪れたのはその日以外になくってつまり、オステリアナカムラに行くということは、タナカくんのよろこぶ顔を見に行くことであったわけ。
だから今でも行けません。
彼が逝ったときにお花を頂戴したり、ことあるごとに気遣っていただいているのだけれど、行っていつもの料理を食べたら泣いちゃうだろうなぁ……、と思って、2年たった今でも行けない。
ごめんなさいネ……、ってメールをしたら、
〈サカキさんがひとりで食べてるところをみたら泣いてしまうから、まだ来ちゃだめよって、うちのかみさんも言ってます〉
そんな返事をもらったから、まだしばらく行かずにいます。
タナカくんと出会って変わった、いろいろなこと
ふたりでいたからたのしかったこと。
ふたりで食べたからおいしかった料理。
ひとりでさみしくしていると、ふたりで作った思い出におしつぶされそうになってしまう。
果たしてタナカくんと会う前のボクは一体、なにものだったんだろう?
仕事が中心の生活で、家で料理を作ることなんてまずなかった。
ボクの好きなものだけ置いた部屋。
外食するのも自分の好きなお店で自分の好きな料理を食べてた。
今のボクは料理を作る。
タナカくんが好きな料理を食べたり、タナカくんが好きだった店に行くと、気持ちがざわつきながらもホッとする。
タナカくんが着ていた服や集めていたものが部屋にはたくさん残ってる。
タナカくんが好きだった歌をふとしたはずみに口ずさみ、いつの間にかタナカくんが好きだったホラー映画やアニメをボクも好きになってる。
ボクの生活と彼の生活が、出会って25年という月日でボクの生活になったんだなぁ……。
ボクの今の生活を大切にすれば、タナカくんとの生活を続けていける。それがボクの気持ちのおきどころ。
でもね……。
やっぱり一緒に歳をとりたかったなぁ……、って思う。
かなわぬ贅沢。
さようなら。
オステリアナカムラ
東京都港区六本木7-6-5 六本木栄ビル2F
営業時間:18:00~23:00(22:00ラストオーダー)
月曜・第2日曜休み
《PROFILE》
さかき・しんいちろう 1960年、愛媛県松山市生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、店と客をつなぐコンサルタントとして1000社にものぼる地域一番飲食店を育成。現在は、飲食店経営のみならず、「食」全般にわたるプロデュースやアドバイスも手がけている。「ほぼ日刊イトイ新聞」の連載をまとめた『おいしい店とのつきあい方。』(角川文庫)など、著書多数。ブログ、FB、note等を毎日更新。食べることの楽しみを発信している。