大好きな少女まんがに囲まれながら、自宅で寝っ転がるようにして読めたらいいのに……という夢を実現するべく、1997年、東京の外れに私設の「少女まんが館」(通称「女ま館」)を開設した作家の中野純さん・大井夏代さん夫妻。現在はさまざまな人からの支援もあり、蔵書は6万冊を超えているというのだから驚きだ。さらに、全国に姉妹図書館も存在し、「少女まんが館」ネットワークは広がりつつある。
第1弾記事では中野さん・大井さん夫妻に、紆余曲折あった「女ま館」の開設や運営について尋ねた。第2弾となる今回は、開設から20年以上の間、蔵書はどのように変化し、どんな人が訪れ、どんな交流があったのかを聞いていく。
【第1弾:山中にひっそり佇む『少女まんが館』とは? 無一文になっても諦めない、少女まんがに人生をかけた夫婦の覚悟】
明治からから平成まで、時代の変遷を感じる蔵書のラインナップ
波瀾万丈の歩みを進めてきた「女ま館」。立ち退きトラブルをへて、今の場所に新たに開設した当初は、「蔵書が3万冊だった」と大井さんは話す。
蔵のような2階建ての建物に入って館内をのぞくと、びっしりと本棚で埋め尽くされているほか、寄贈イラストが展示されている。
手に取るとよみがえる若き時代の思い出。60年代〜90年代に思春期を過ごした人がここを訪れたならば、きっとそう思うだろう。月刊誌の『りぼん』や『なかよし』をはじめ、創刊当時は週刊誌だった『マーガレット』『少女フレンド』などの雑誌、コミックスの数々が、床から天井までの書棚に目いっぱい保存されている。あまりにも蔵書がありすぎて、階段の裏や、天井の梁にまで差し込まれており、さながら宝探し気分だ。
それぞれの年代によって「懐かしい」と感じるマンガも異なるだろう。ちなみに取材班は『りぼん』『なかよし』がど真ん中のアラフォー世代で、書棚で『美少女戦士セーラームーン』『姫ちゃんのリボン』『こどものおもちゃ』『ちびまる子ちゃん』などの単行本を見つけるたびに「懐かしい!」と歓声を上げては読みふけってしまい、取材を忘れるという事態であった。
もちろん、さらに歴史を遡るまんがも充実している。『アタックNo.1』『ガラスの仮面』『ベルサイユのばら』『ポーの一族』『有閑倶楽部』など、昭和40〜50年代を代表する名作も並ぶ。さらには大正時代に発行された少女まんが雑誌の前身である「少女雑誌」など、今では手に入れることができない貴重な資料までそろっている。
中野さんによると、少女まんがの始まりは「明治時代後期の少女雑誌だった」という(諸説あり)。当時はまんが雑誌ではなく、文章に挿絵が入っているという少女小説が主流。家族や友達の間で揺れる少女の繊細な心情を描き、現代の少女まんがに近いものだったのだ。
「うちには、いちばん古いものは明治時代発行の少女雑誌がありますが、見てもらうとわかるけど、今の雑誌と違って薄いんです。主な情報がイラストではなく、読み物で文字ばかりだから。今では考えられないでしょう? こんな感じで、時代によって少女雑誌の内容や表現形式ってものすごく変化しているんですよ」(大井さん)と歴史について話してくれた。
時代は昭和へと移り、戦後の1960年代前半に『マーガレット』『少女フレンド』という少女週刊誌が誕生。以降は現在も販売しているような月刊誌、隔週刊誌などのまんが雑誌スタイルに変化を遂げていったのだそう。
「60年代以前の少女まんがは、日本が貧しい時代だったので、その時代の共通認識がないと面白く読めないと思います。作者もほとんど男性で、良妻賢母になるためのストーリーだったり、“女の子にはこういう話で十分だろう”という思いも透けて見えます。
まんが雑誌ひとつとっても、時代や社会背景がよく見えるんですよ。そういう観点からもまんがってとても面白いですし、奥深いんです」(中野さん)
誰だかわからない、“あしながおじさん”たちから助けてもらう
ところで、「女ま館」の蔵書はいったいどのようにして集めているのか、と不思議に思う人もいるかもしれない。実は、開設当初の蔵書以外は、大半が全国のファンからの寄贈で成り立っているというのだから驚きだ。
「女ま館」の取り組みが話題になり新聞や雑誌など、メディアに多く取り上げられてきた。それを見た全国の人たちから蔵書が寄贈されるようになったのだそう。蔵書は膨れ上がり続けて、現在の約6万冊になったというのだ。
「ありがたいことにみなさん、段ボール箱単位でどんどん送ってくださるんですよ。本当に圧倒的なボリュームで届くから、ご覧のとおり整理が追いつかなくて、段ボールの山積み状態なんです。棚もいっぱいだから、そもそも棚を作る作業をしないと……。だから段ボール箱から出すこともできなくて、大忙しなんです」と苦笑いの中野さん。
寄贈者は女性が多いのかと思いきや、実は男性が多いのだとか。少女まんが愛好家の男性はコレクションすることを好む人が多く、ひとしきり集めて読んだ後に、まとめて寄贈してくれているのでは、と中野さん・大井さんは推測している。
「寄贈してくれるのは顔も知らない、会ったことのない人がほとんどなんです。一度も顔を合わせない状況で、何年もただただ送ってくれている人もいます」と中野さん。
「荷物の伝票に書かれた名前と住所を見て、“今年もこの人からだ。こんな人なのかな? あんな人なのかな?”と想像するんですよ。なんだか文通のような感じ。
中にはオークションなどで一気に競り落とした後、直送で『女ま館』へと送ってくださる人も。貴重な古い雑誌などは、もはやオークションなどでないと手に入らないんです。それをわかっていて送ってくださる方がいます」と大井さんが続ける。
なんだかまるで、あしながおじさんのようなストーリーだ。姿形の見えない仲間たちが20年以上も中野さん・大井さんを支え続けている。不思議なつながりだが、温かくて優しい気持ちになる。
ここで育った娘や新たな世代にとっても、1周回って面白い場所になる
では、「女ま館」の来訪者は、どんな人なのだろうか。開館しているのは毎週土曜日の午後のみ、事前予約制と、準備が必要でプレミア感がある。
1997年の開館からしばらくは、少女まんがを愛読していた中野さん・大井さんと同世代くらいの男女が、少年少女時代を懐かしむために訪れていたという。
「開設当時って、“少女マンガが好き”って大っぴらに言いにくい雰囲気もあったんですよね。だけど、“好き”な気持ちをどこかで分かち合いたいという思いもあって、それを体感しにここへ訪れている人が多かった、という印象がありますね」と、大井さんは振り返る。
ところが10年ほど前から、この傾向が変わり、訪れる人の幅はどんどん広がっている。
「新型コロナウイルスの感染が拡大する前は、日本のアニメ・マンガブームの影響で、海外から観光でここへ訪れたり、研究・勉強の一環で訪ねてくる外国人もいたんです」
それに相まって日本人の来館者の年齢層も変化を遂げ、若い世代の来訪が増えているのだそうだ。
「うちの娘はもうすぐ20代になるんですが、彼女と同じくらいの世代の人たちがたくさんいらっしゃるんです。でも、2001年以降のまんがって、うちにはほとんどないんです。なので、楽しいのかしら? と思うんですけど、彼らに言わせれば、昔のまんがが新鮮で面白いんだそう。時代が1周回って、“少女まんがの文化継承”が生まれているなと感じました」(大井さん)
さらには、「女ま館」の意志を継いで「私も女ま館をつくりたい」という担い手も現れた。現在、三重県多気郡多気町と佐賀県唐津市にて姉妹館が開設されている。
「あきる野とはまた特徴が異なるんです。多気町にある『少女まんが館 TAKI 1735』は、2001年以降の少女まんがも充実していて、さらにカフェを併設しています。一方の『唐津ゲストハウス 少女まんが館Saga』は、“歴史もの少女まんが”というテーマで蔵書をそろえていて、ゲストハウスも併設しているので、まんがを読みながら泊まることができるんです。それぞれ思い思いの工夫を凝らしていて、3箇所ともに担い手の個性があふれていますよ」(中野さん)
少女まんがを甘く見るな! 社会的意義のある少女まんが文化をもっと広めたい
今やすっかり日本のカルチャーとして世界に誇れるようになった少女まんが。とはいえ、いち個人として財を投げ打って、なぜここまで少女まんがに人生を捧げているのだろうか。そこには中野さんと大井さんに悔しさや憤りがあったから。
「少女まんがって、これほど社会の変化や歴史をはらんでいる文化なのに、少年まんがよりずっと扱いがぞんざいだったんですよ。少年まんがの名作は図書館にありましたが、少女まんがはほとんどありませんでした。このことからも、男尊女卑の一端が垣間見えます」(大井さん)
中野さん・大井さんによると、少女まんがは60年代から“女性による女性のためのもの”として劇的に変わっていって、70年代に花開いていった。こうした少女まんがの歴史の変遷は、女性が解放され、社会に認められ、社会進出していく過程と呼応しているのだそう。それを体現した漫画家というのが、萩尾望都や一条ゆかりをはじめとする、高度経済成長期に現れた団塊世代の女性漫画家たちだった。
「女性自身の感性で、少年まんがにはなかったさまざまな世界を作り上げてくださった先生方。彼女たちが少女まんがの時代を切り開いたと言っても過言ではないと思います」(大井さん)
何気なく読んでいたまんがに、そんな意味があったと考えたことがあっただろうか。夢中になって読んでいたストーリーを俯瞰して見てみると、実は学べることがたくさんあるのかもしれない。
「『女ま館』開設当初に、この図書館の話をすると、地域の人や行政の人からは“少女まんがを集めて意味があるの?”という反応をされることも多かったんですよね……。少女まんがの図書館なんて、ゴミの集積所だと思われていたのだと思います。苦い思いをしたことも多かった数十年ですけど、時代は変化し、少女まんがの社会的な地位が上がってきていて、認知度も高まってきています。それはとてもうれしいことですね」(中野さん)
60歳を迎えた中野さん・大井さん夫婦だが、この先も人生をかけて「女ま館」の運営を続けていくのだろうか。大井さんは言う。
「ここで生まれ育った娘が、“私は『女ま館』の娘です”って自分から言うんですよ。ああ、こうして継承されていくのか、って実感できたというか。本当に継ぐかはわからないけど、姉妹館を含めて、若い世代の方が担い手として手を挙げてくれています。だから安心ですね。こうした担い手がいつか引き継いでくれることを願いながら、大切な少女まんがの地位向上のためにも、私たちはこれからもできる限り活動を続けたいですね」
(取材・文/永見薫)
〈施設情報〉
■少女まんが館
住所/東京都あきる野市網代155ー5
アクセス/JR五日市線武蔵増戸駅より徒歩25分(2.2km)
入館料/無料
定期開館日/4月〜10月の毎土曜日 13:00〜18:00
冬期休館/11月〜3月
※来館の際は事前に要予約。詳しくはホームページを参照。
〈PROFILE〉
中野純(なかの・じゅん)
少女まんが館共同館主、体験作家、闇歩きガイド。1961年、東京都生まれ。年子の姉と妹に挟まれて少女まんがにまみれて育ち、やがて姉や妹よりも少女まんがに詳しくなる。パルコでイベント企画、宣伝を担当後、フリーに。1989年に大井らと有限会社さるすべりを設立、1997年に大井らと少女まんが館を創立。『闇で味わう日本文学』(笠間書院)、『「闇学」入門』(集英社)、『闇と暮らす。』(誠文堂新光社)、『月で遊ぶ』『闇を歩く』(アスペクト)などの暗闇関係の著書のほか、地獄の婆鬼、奪衣婆について熱く語った著書『庶民に愛された地獄信仰の謎』(講談社)も。
大井夏代(おおい・なつよ)
少女まんが館共同館主、研究編集者。1961年、神奈川県生まれ。少女時代、『ポーの一族』主人公の吸血鬼エドガーがいつでも入ってこれるようにと2階の自室の窓を開けて寝た。大学の卒論のテーマは少女まんが。パルコ『アクロス』編集室を経て、フリーの編集者、ライター、ストリートファッション考現者に。最近は雑誌の少女まんが特集の監修も。著書に『あこがれの、少女まんが家に会いにいく。』(けやき出版)など。中野純との共著に『少女まんがは吸血鬼でできている:古典バンパイア・コミックガイド』(方丈社)。