北イタリアを舞台に、儚(はかな)くも鮮烈な青年同士が織り成す恋を描いた珠玉の名作『君の名前で僕を呼んで』。2017年に製作、翌’18年に日本で公開されて5周年を迎える。
アニバーサリーイヤーを記念し、1月27日(金)から1月29日(日)には、恵比寿ザ・ガーデンホールにて朗読劇とトークショーが開催されることが決定。フムフムニュースでは、イベントのメインキャストである醍醐虎汰朗×阿部顕嵐の対談インタビューをお届けした。【醍醐虎汰朗×阿部顕嵐が『君の名前で僕を呼んで~5th anniversary~』で朗読劇に初挑戦! 取材中に明らかになった共通点とは】
本稿では、世代を問わず愛される作品の素晴らしさを改めて振り返ってみたい。
物語のあらすじ
物語は両親とともに北イタリアの避暑地を訪れ、そこで悠々自適に過ごしていたエリオが大学生のオリヴァーと出会う場面から始まる。オリヴァーは大学教授であるエリオの父親に連れられ、研究助手としてエリオの家へやって来たのだった。自信と知性に満ちあふれたオリヴァーに、エリオは最初、突き放すような態度を取るものの、やがて彼の内面に深く惹(ひ)かれていく。そしてふたりは性別の垣根を超え、ひと夏の恋に落ちる。
しかし、夏の間の滞在だったためにオリヴァーが別荘を離れる日が近づき、エリオは彼との耐え難い別れを経験することとなる。『君の名前で僕を呼んで』はそんな短い夏の間の瑞々しい恋模様を描いた、ひりつきと愛おしさを感じる傑作青春映画だ。
原作小説『Call Me by Your Name』は、彼らの経験した恋と別れをおよそ300ページ超にわたり書き上げており、その内容は非常に哲学的で深く、印象的なセリフも多数登場する。映画では原作の世界観を壊さぬよう最大限の注意が払われ、監督であるルカ・グァダニーノが映し取った北イタリアの自然豊かな景色、エリオとオリヴァーの間に漂う空気感の描写、夜の静寂や早朝の美しさなど、美的感覚に訴えかける映像で観客を魅了した。
※以下、作品の本筋に触れる記述あり
I remenber everything
本作のラストは、ひと夏の経験を経て冬を迎えたエリオが、自宅の暖炉の前でさめざめと涙する姿が3分30秒にわたり長回しされたカットで締めくくられる。エリオを演じるティモシー・シャラメが演技に集中できるようにするため定点カメラを用いたこのシーンでは、彼の胸に迫る表情をフルサイズで映している。観客は彼がひと夏に享受した経験、そしてその喪失はすぐに癒えるものではないことを知る。
また、このシーンの手前でエリオはオリヴァーと電話をするが、このとき彼がすでに女性と結婚していることを知らされる。その決断からは「ゲイということを隠して生きる」すなわち”クローゼット”であるオリヴァーの、胸の内に潜んでいた苦渋の思いも垣間見ることができる。
このとき「I remenber everything.」とオリヴァー演じるアーミー・ハマーは発しており、直訳すると「何もかもを覚えている」となる。しかし字幕では「何ひとつ忘れない」というニュアンスに換えることによって、元の台詞よりさらにエモーショナルな響きを持たせることに成功している。心から愛した相手と別れを告げ、未来を生きる決意をしたオリヴァーの切なる胸の内を見事に表現した名訳といえるだろう。
蜜月の終わりを迎えたふたりの痛ましくも繊細な姿は、恋とは時たま、自分の半身のような存在になりうること。えもいわれぬ複雑な胸中から成り立つこと。また喪失や記憶といったものが人にもたらすものの大きさを、私たちに問いかけてくれる。
オリヴァーと別れたあとのエリオを、マイケル・スタールバーグ演じる父親が優しく諭す。
「今はまだひたすら悲しく、苦しいだろう。だがその痛みを葬るな。感じた喜びも忘れずに」
父は以前自分もエリオと同じような恋にまつわる経験をしたことを彼に明かし、そのうえで、傷心しているエリオに優しく言葉を投げかける。この台詞は原作小説にも登場し、本作の中でも屈指の名セリフとして観客の印象に残るフレーズだ。
本作はホモフォビア(同性愛嫌悪)なキャラクターを登場させず、ただ心から互いを愛するふたりとそれをまた別の愛情として見守る周囲の人々を描くことに徹底している。だからこそ「ひとつの愛の形を洞察することによって得られる学び」を、美しい映像から、そして登場人物の心の動きから観客に投げかけることができるのだと感じる。
君の名前で僕を呼んで、僕の名前で君を呼ぶ
エリオとオリヴァーのつながりは、中盤で見せる夜中のラブシーンや別れの抱擁など、身体的な部分が際立つゆえに、よりいっそう本質は精神的な部分にあることが強調されている。題名の由来にもなり、2人がベッドに横たわりながら交わす「君の名前で僕を呼んで、僕の名前で君を呼ぶ」という台詞は、それを最も具体的に表現している言葉である。他者の存在を自分自身に置き換えて呼ぶことで、身体という“絶対的な他者との別離”を生まれながらに備えている人間には、本来不可能であるはずの”身体的な超越”を行っているのである。
惹かれ合う速度と刹那的な季節が重なり、プールの水面に晒(さら)された皮膚や鼓動を打つ心臓をも乗り越えて、その先へと向かおうとする。それはひとりの人間として、誰かを愛するという行為の臨界点であり、彼らはあの夏に運命のつがいである”君”であり”僕”と出会ったのだ。
そんな究極の愛の形を描いた本作は、「器(身体)がどんな形をしていても、互いを深く愛することができれば、その愛は羽化のごとくメタモルフォーゼを遂げ、生涯に刻みつけられる」ということ、そして「愛とは平等に痛みや喪失を人にもたらし、それこそが人を人たらしめる」ということを深く考えさせてくれる。
声、視線、匂い、手ざわり、味わい。五感を開いてすべてを受容し、慈しみ、そこにあるがままの自然とともに寄り添ったふたりのことを、私は忘れることができない。今、公開から5年の月日がたっても変わらず感じるのは、本作が奇跡のような愛の痛みと歓びに満ちた作品であり、季節や時間を飛び越えて人々の心を震わせる芸術のひとつであるということだ。
これからも私は、ふたりが出会った夏日の眩(まぶ)しさを反芻(はんすう)し、こぼれ落ちていく宝石のような本作の煌(きら)めきを愛していくだろう。
(文/安藤エヌ、編集/FM中西)
第1部の朗読劇では、醍醐虎汰朗がエリオ、阿部顕嵐がオリヴァーを演じる。脚本・演出は『私の頭の中の消しゴム』などで知られる朗読劇の名手・岡本貴也。音楽監督は映像や舞台・TVアニメなどの劇中音楽を手がけた土屋雄作が務め、永田ジョージ(ピアノ)、眞鍋香我(ギター)とともに劇世界を彩る。醍醐と阿部は、第2部の「映画スペシャルトーク」にも登壇。司会に映画ライターのよしひろまさみちを迎える。
★公式サイト:https://culture-pub.jp/cmbyn-5th/
★チケット購入サイト:https://l-tike.com/kimiboku5th