NHK連続テレビ小説『あぐり』(1997年)で主人公を演じた田中美里。芸能界入りのきっかけは前年の「東宝シンデレラ」オーディションで、朝ドラが正真正銘のデビュー作だった。『あぐり』は2021年にBSプレミアムでアンコール放送されたばかりなので、あらためて初々しい姿を目にした人も多いはず。
デビュー当時からの伸びやかなスタイルはそのまま、45歳の大人の女性になった田中美里。新作映画『人』の公開を控える彼女にインタビュー。
『あぐり』は初めて昨年見ました!
──田中美里さんといえば、やはり朝ドラヒロインを演じた『あぐり』が思い出されます。昨年のアンコール放送はご覧になりましたか?
「私、初めてちゃんと全部見たんです。実は撮影していた当時は、とてもじゃないけれど自信がなくて見られなくって。まだプロとしての自覚も実力もまったくないまま主演に抜擢されて、いただいた台本を読んでセリフを覚えるのにとにかく必死で……。だから今ようやく落ち着いて見られるようになった感じです。
25年前の自分って、もう他人に見えるというか。ようやく“ひとりの19歳の女の子が一生懸命演じているんだな”って思えるところまでは年月がたったのかなと。もちろん今の自分だったらこうするだろうな、というのはあるんですけど、あのときできる範囲では、精いっぱい頑張ってたのかなって、冷静に見られるようになりました」
──撮影当時の思い出が、よみがえってきたのではないでしょうか。
「本当にいっぱいいっぱいで、楽しめていたのかどうかも記憶になくて。あぐりの両親を演じてくださった里見浩太朗さん、星由里子さんをはじめ、本当に素晴らしい俳優さんたちが入れかわり立ちかわり、順番にっていう感じでしたが、そのすごさもわからないまま。
何も知らなかったからこそ、大胆にできたこともあったんじゃないかなと思います」
──だって、本当にデビュー作なんですよね。
「そうなんです。バミリ(※) に止まれない(笑)。“ここで止まるんだよ”って言われても立ち止まらず、もうカメラ(の画角)には誰もいない状態とかもありましたし。業界用語もわからなくて、“わらって。そこからわらって”って言われてニコニコしてたら、“どいて”という意味だったりとか。ひとつひとつが学びで。仕事のようで学校のようでもありました。
(※立ち位置を示す目印。床にテープで貼ってある)
今でもNHKの中を通るとスタッフの方が“あぐりちゃん”って声をかけてくださったりして、私にとっては親戚のいる故郷に帰ったような感覚というか。ほかの局に行くのとは違った安心感や、そのときの学びがよみがえる感覚がありますね」
野村萬斎さんが教えてくれたこと
『あぐり』は女性の美容師の草分けで、戦前から戦後90歳を超えてまで現役として活躍した吉行あぐりさんがモデルの一代記。のちに長男は作家・吉行淳之介、長女は女優・吉行和子として有名になるが、ドラマ化されたことで最初の夫・吉行エイスケ(ダダイスト作家)にも注目が集まった。演じたのは狂言師の野村萬斎(当時31歳)だ。
「萬斎さんからは、俳優という仕事の楽しさを教えてもらいました。エイスケさんがいつも身につけていた赤いマフラーは、萬斎さんが衣裳さんにオーダーしたものです。小道具もこういうのを用意してっていうアイデアを出されていたみたいです。
そうしたことの積み重ねで、台本のほんの2〜3行が萬斎さんのおかげで豊かになっていて。台本を膨らまして、そこに持っていくっていうのが俳優さんの仕事なんだって知ったときに “これは楽しいな”って思いました」
──目からウロコですね!
「私は本が大好きだったので、本は無限大に自分の想像のままに読めるけど、俳優は映像の中に入らなきゃいけないから、すごく制限されるのかなっていうふうに思ってたんですね。
でも、萬斎さんが台本になかったような小道具を用意されたりとか、自由に動く感じだったりとか。こんなにも台本から飛び出たら、ああ、もっともっと俳優さんの力でさらに面白いものができるんだなと思って、それですごく俳優の仕事に興味がわきました」
──『あぐり』は視聴率も好調で。エイスケさんの赤いマフラーには視聴者の女性たちが胸をキュンキュンさせていましたね。
「そうですね。みなさん、あの赤いマフラーっていうとエイスケさんをイメージされて。エイスケさんが途中で亡くなる場面だったり、最後の最後まで象徴として使われていました。
私自身、今でもそういう何かを探す作業は続けていて、ずっとエイスケさんを演じていた萬斎さんから影響を受けてるんじゃないかなって思うんですね」
──吉行あぐりさんご本人とはお会いになりましたか?
「はい。あぐりさんご自身がスタジオに撮影を見に来られたときがあって。エイスケさんって萬斎さんが素敵にかっこよく演じていらっしゃいましたが、よくよく考えるとひどい男性じゃないですか。外に女性を作ったり、経済的な感覚が抜けてたり(笑)。
だから “ひどい人だと思ってたけど、本当はかっこよかったのよね〜” “惚れ直しちゃった”って、あぐりさんご本人がおっしゃられて。その感覚がすごい素敵だなと思いました」
「時代考証で(ヘアカットの)ハサミが先かレザーが先かの順番が反対になっちゃったかもっていうときも、あぐりさんがたまたまスタジオにいらしていて。美容の世界ですごい実績をなしとげてきた方だから、そんな順番を間違えるなんて申し訳ないと思って “もしかしたら逆にやってしまったかもしれないんですよ” “本当にすみません”ってお話をさせていただいたんですけど、あぐりさんは “わかんない、わかんない。いいのよ、どっちだって” と。その当時90歳ぐらいだったので、“そんなことわかってる人なんて、もうほとんど今いないから”って(笑)。
ご自身が一生懸命こだわりを持ってやってきたことに対して、笑い飛ばせるっていう、その豪快さとおおらかさが本当に素敵で、女性として見習いたい部分だなぁと思いました」
──そういうふうに思える田中さんも素敵です。
「本当はどっちでもよくはないんでしょうけど、ひとつひとつ選択される言葉が人に圧迫感を与えずに、明るく笑い飛ばしてくれる。自分も一生懸命こだわってやりたいけど、何かそういう場面になったときには笑い飛ばせるような女性でいたいと思います」
規格外の「シンデレラ」
デビューのきっかけは「東宝シンデレラ」オーディション。第1回グランプリが沢口靖子で、その後も長澤まさみ、上白石萌音、上白石萌歌、浜辺美波などを輩出している芸能界への登竜門。1996年、第4回の審査員特別賞を受賞した。
「東宝シンデレラを受けたのは19歳のとき。家族が書類を送ってくれました。私自身は芸能界にはまったく興味がありませんでしたし、向いているとも思ってなくて。それでも家族は向いてると思ったみたいで、それまでもいろんなオーディションに書類を送られて。そのつど “受かったから行ってみたら?”って言われて、それが恥ずかしいし嫌で嫌でたまらなくって。
で、これで最後だよって、もうほかのことをするんだって意思表示をして最後に受けたのが東宝シンデレラだったんです。もう高校も卒業していたので友達も海外に行ったりしはじめてて、私も英語を勉強して海外に行こうかと思っていて」
「なので、“海外に行ったらナメられちゃいけない” と思って、髪の毛をばっさり短く切っちゃったんですね。でも、その当時の東宝シンデレラって、《きれいなお姉さんが好きですか》の水野真紀さん(第3回審査員特別賞)のイメージ。本当にベリーショートにしたので、私が出ていったら何か会場がザワザワして(笑)。
それまでは私もすごい長かったんですよ。髪の毛が長い写真を家族が送ったのに、ぜんぜん違う人が現れた。履歴書も自分では書いていないし受かる気もなかったので、“履歴書に何て書いてあるんですか?” みたいなことを聞いて、“へー”ってなってたのを覚えてますね」
審査員特別賞を受賞し、地元の石川県から上京する準備を進めていた時期に、連続テレビ小説『あぐり』のオーディションがあった。これまた無欲で参加したのが幸いしたのか見事に主役の座を射止め、半年間(撮影は9か月間)お茶の間の顔となる。
その後は民放の連ドラ『WITH LOVE』『お熱いのがお好き?』などでヒロインを演じ、映画『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』では主人公でゴジラ打倒に闘志を燃やす特殊部隊のリーダーに。
順風満帆なスタートを切ったように見えたのだが……。
「年齢のわりに顔がちょっと大人っぽかったので、『あぐり』をやり終えてからほかの現場に行くと“何年やられてるんですか?”みたいなことを言われることが多くて。できることがたくさんあると思われて要求されるんですけど、まだ20代前半だし実力が伴っていなくて、やりこなすので精いっぱいな時期もありました」
──ぱっと見の印象で、5〜6歳は上に見られたかもしれません。
「そうです、そうです。セーラー服がもう世界一似合わないっていう(笑)。これはデビュー前の話ですけど、本当の高校生なのにコスプレだと思われたみたいで、“どこのお店の娘?”って聞かれたことがあります(笑)」
──大人っぽく見られて得することもあれば、そうでないときもあったでしょうね。
「その当時はギャルの全盛期。コギャルやヤマンバギャルがフィーチャーされていて、そういう言葉遣いをしてほしいって言われることもすごく多くて。自分とはかけ離れた言葉遣いができなくて戸惑ったこともありました。
番宣だったりバラエティーに出たりしたときに、“○○とかでー”とかっていうふうにフランクに話してほしいっていうキャラづけをされることがあって。あまりにも自分っぽくないので、うまくできなくて落ち込んだり」
3か月の完全休養
パニック障害を発症した苦しい時期も体験している。最初に異変を感じたのはNHKで主演ドラマの『一絃の琴』(2000年に放送)を撮っている最中のことだった。
「身体がおかしいなって思い始めて、撮影ができないっていうときがあったんです。あと怖くてリハーサル室に入れなかったりという症状が出たことがありました。
NHKの7階にリハーサル室があるんですけど、エレベーターに乗れなくて階段で上ったり」
──そんなことがあったんですか……。
「その中で発作みたいなってしまったらどうしようって。何かおかしいな、おかしいなって思っているうちに、どんどん不安になっていって。とてもじゃないけど、エレベーターは無理で。手すりに添いながらやっと上っていっているような感じだったんです。でも、そのときも本当に素晴らしい俳優さんたちと共演させていただいて。
あとから監督に聞いたんですが、竹下景子さんは私がどうしても現場に入れなかったとき “監督、何か私にできることないですか?”って何回もおっしゃられていたそうです。
本番なのに楽屋から出られないこともありました。時代劇なので、共演者の方も(衣装とかカツラとか)ぜんぶ用意しなくちゃいけなくて、本当に申し訳なくて……。そのときは山本陽子さんが楽屋にいらしてくれました。山本陽子さんって厳しいイメージがあると思うんですけど、すごくあったかくて優しい方で。トントンって(ドアをノックして)来たんですけど、“あ、そのまま出なくていいよ” “顔を合わせなくていいから、このまま聞いてね”っておっしゃって、“ぜんぜん大丈夫だよー。わかってるから”って、お帰りになったりとか」
──声が聞こえるようです。
「本当にあたたかい先輩方に囲まれてこの仕事をやってきました。年を重ねて魅力的な役者さんばっかりなので、私も一歩でも近づけたらいいなと思うんですけど。
そのとき監督に“どうしてみんながあなたに対して怒らないかわかる?”って言われてわからなかったんですけど、“みんな同じ経験してるからだよ”っておっしゃってくださって」
ドラマの収録を終えたあと病気のことを公表し、すべての仕事を完全にストップさせ、3か月間しっかり休みをとってリフレッシュ。映画『みすゞ』の撮影から現場に復帰した。
その『一絃の琴』の監督、NHKの大森青児ディレクターからは、さらにあたたかい励ましの言葉をもらったという。
「“今は抜け出せないかもしれないけど、諦めないで女優さんを続けてね” ともおっしゃってくださいました。“いま壁にぶち当たったんでしょう? よかったね” って。
最初 “え、なんでいいんだろう?”って思ったんですけど、“『あぐり』のときはがむしゃらで、まだ何もわからないから突っ切ることができたけど、少し経験を重ねていろんなことがわかるようになったから、壁ができたんだよ”って。“(自分は)それにとことん付き合うよ” と監督がおっしゃってくださって、いま私はここにいることができています」
この役は「絶対にやりたい」と
最新作はまもなく劇場公開される映画『人』(山口龍大朗監督)。幽霊になった青年と残された母の3日間を描くもので、39分間の短編ながら見ごたえのある内容になっている。
──田中さんが演じる母・彩子は亡くなった人の姿を見ることができる体質で、吉村界人さんが演じる息子・健一の幽霊と普通に会話しますよね。ちょっとファンタジー色がありながら、人間とは? 家族とは? みたいなテーマが伝わってくる作品でした。
「最初に脚本をいただいたときに本当に面白くて。絶対この役はやりたいと思って、すぐに OKを出してほしいとマネージャーに言いました。
違う人には演じてほしくないと、本当に心の底から思いました」
──どのへんが心を揺さぶられるポイントだったんでしょうか?
「説明過多じゃなかったことです。しかも、息子との会話がユーモアにあふれていて、はたから見るとケンカしているみたいな、ちょっと言葉遣いが悪い感じなんですけど、素直に言葉をぶつけ合っているなかに親子ふたりの絆や信頼感みたいなものをすごく感じました。
とても仲いいですよっていう説明とか、泣ける映画ですよとか、笑えますよっていう感じではなくて、ちょっとした会話の端々(はしばし)にクスッとしたものがあったり、親子にしかわからない関係性があったり。すごくバランスがいいなと思って」
──息子に先立たれた母の悲しみというのが大前提としてありながら、彩子さんには普通に幽霊が見えるものだから、死んだことに腹を立てたり、けっこうキツくあたったりもします。演じていても楽しかったのではないでしょうか。
「はい。言葉ですごく付け足されると逆に引いて演じないといけないときがありますが、本当に素直に自分の気持ちのままやっても大丈夫だなって思えるような作品でしたね。説明が少なければ少ないほど自由に動けて、どんどんイメージがわくような。動きの制限がなくなって、ふたりの空気感、親子の空気感みたいなものが作れたなって思います。
あと、撮影に入る前に “これは楽しくなりそうだな” と思ったのは、衣装合わせのとき。衣装さんが亡くなっている方にピンクの衣装を用意してきたんですね。もう限りなく自由度があって、いい意味でお洒落で、だけどリアリティーがないわけでもないっていう」
──映画の一家が暮らす家は、ひなびた海辺のサーフィンショップ。セットに貼ってある家族写真はクランクインする前に撮ったんでしょうか。
「はい。読み合わせだったか衣装合わせのときに、お互い“初めまして”に近いかたちで撮ったんですけど、吉村界人くんがすごく感性がナチュラルな方なので、感想がひとつひとつ面白いんです(笑)。親子3人の写真を撮るのに、私と津田寛治さんは息子だと思っていっぱいさわりまくって、髪の毛とかウワーってやってたんですけど、(界人くんは)“オレ初めて会ったんだけどあり得ない” “そんなんどうやってできるんですか!? ”みたいな感じで(笑)。
“まだ距離感がつかめない” みたいにおっしゃってましたけど、そういう心の内をそのまま素朴に疑問として出す俳優さんっていらっしゃらないし珍しいので、すごく愛される方だし、みんながクスリと笑ってしまう。その嘘のなさが家族だったり親子の関係を作るうえで、すんなり入れる要素になりました」
──亡くなった人たちとともに生きている彩子さん。でもどこか明るくてあっけらかん。あのへんも田中美里さんの持ち味が生きているなって思います。
「ありがとうございます。今までになくお酒をカパカパ飲み、煙草をスパスパ吸いみたいなシーンもあります。予告編を見たファンの方には “煙草を持ってらっしゃるんですね!? ”なんて言われたりとかもしました(笑)。そんなイメージないんだなぁって思ったりもするんですけど、いちおう役者なので、いろんな役を幅広くやりたいと思っています(笑)」
──こういうエッジの立った作品にも出るんだというのも発見でした。
「そうですね。40代になってからは、少しずつひとつひとつ丁寧に。最初は右も左も分からないまま、すぐに『あぐり』という作品から女優人生が始まったので。特に20代のころは、現場でどんどん見られながら学んでいったり、成長したりしなくちゃいけませんでした。
そういう意味でとても苦しいときもあったんですけど、今は落ち着いてじっくり作品に取り組んでいる実感がありますね」
◇ ◇ ◇
インタビューの続き(8月24日公開予定)では、あの『冬のソナタ』での吹き替え秘話や所属事務所からの独立など、たっぷり語っていただきます。
(取材・文/川合文哉 撮影/齋藤周造 ヘアメイク/根津しずえ)
《出演情報》
映画『人』
2022年8月26日(金)より池袋HUMAXシネマズほか全国で順次公開。
出演/吉村界人 田中美里 津田寛治 冨手麻妙 木ノ本嶺浩 五歩一豊
監督/山口龍大朗 脚本/敦賀零
映画『人』公式ウェブサイト https://eigahito.com/
Instagram hito_2022_eiga
Twitter @hito_2022_eiga
Facebook @hito.eiga.2022
《PROFILE》
田中美里(たなか・みさと) 1977年2月9日生まれ。石川出身。1997年、NHK連続テレビ小説『あぐり』のヒロインに抜擢されデビュー。出演作に映画『みすゞ』『ゴジラVSメガギラス G消滅作戦』『能登の花ヨメ』『もみの家』、ドラマ『WITH LOVE』『一絃の琴』『利家とまつ 〜加賀百万石物語〜』『開拓者たち』『小暮写眞館』など。『冬のソナタ』のチェ・ジウの吹き替えや、ナレーションなどでも活躍している。
個人事務所『アンプレ』 https://www.am-ple.co.jp
田中美里 Instagram misatotanaka77