コロナ禍をきっかけに、環境や心境の変化があり、異業種の仕事にチャレンジする人は結構います。そんな中、これまで映画『彼女がその名を知らない鳥たち』や『ピース オブ ケイク』などを手がけてきた映画プロデューサーの西口典子さんが、東京・笹塚にクラフトビール店「OURDAYs Brewery & Club house(アワーデイズ ブルワリー アンド クラブハウス)」を今年4月にオープンさせ、自らクラフトビールブリュワーとしてビールを作っています。
飲食店経営ビギナーの西口さんが「どうやって、クラフトビール店を作り上げたのか」についてお話しいただきました。
コロナ禍で目にしたニュースがきっかけのひとつに
──クラフトビールのお店を始めたきっかけは何でしょうか?
「もともとは“いい年した大人が、仕事以外で集まれる場所”を作りたいとずっと考えていたんです。大人の部室みたいな感じで、みんなで集まって何か趣味をやりたい、と。でも、ただ場所を作っても誰も集まらないので、何かフックが必要だと考え、“クラフトビール醸造所があるといいのではないか”と思ったんです。
人が集まって一杯やろうとなると、ビールを飲みますよね。ではなぜクラフトビール? と思われるでしょうが、実は形から入りました。ビールを発酵させるタンクがステンレス製で、銀びかりしてカッコいいんです。撮影機材のカッコよさに通じる“プロっぽい”感じがあるというか。自家製造できるアルコール飲料として、ビールは狭小スペースでもできるというのもあります」
──実際に行動に移されたのには、コロナ禍の影響はありましたか?
「ありました。コロナ禍での行動制限が本格的になって、ステイホームが当たり前の感覚になったとき、あるニュースを目にしたんです。“バイトが減ったせいで、大学生が生理用品も買えないほど追いつめられている”と。
人ごとのようにやり過ごすのではなく、そういう人が“困っています”とフラグが立てられる場所があったら、救われるんじゃないかと考えました。
今はまだオープンしたばかりなので、そこまでの空間にはなっていませんが、少しずつ、“ここに来れば、何かしら心の支えになるような場所”にしていきたいと考えています」
──あとは、本業のほうの変化も後押しをしたのだとか?
「映画のプロデュースは、コロナの影響や心境の変化などがいろいろとあり、作品が作りにくくなっていました。そこで、映画に限らず、“何か新しいものをプロデュースしたい”と思うようになったところもあります。
“1人で完結できるもの”を、何か獲得したかったんです。映画のプロデュースは、監督や出演者など他の人たちのお力を借りて、調整することが必要です。映画は1人では作れないけど、ビール作りは1人でも何とかなります。
自分1人でできることだけれど、そこに人が集まって結びつくことで、掛け算になっていく。そんな環境が作りたかったんです」
「映画を作る」ようにクラフトビール店をプロデュース!
──初めてのお店作りは、大変なことが多かったのではないでしょうか?
「大変でしたが、意外にもお店を作るのと映画のプロデュースは、行うことが似ているんです。調べて、取材して、吸収して、予算を工面して、実行する。企画をしたら最後までやり遂げる、というスタイルは今までと同じです」
──どのようにして、クラフトビールのお店を作っていったのでしょうか。ビールの作り方はどうやって学びました?
「まずは、クラフトビールのコンサル会社にアポを取りました。その会社が携わっている、店内にビールの醸造所があるビアレストランがあり、そこで待ち合わせをしたのですが、実はすっぽかされたんです。
ただ、そのお店でビールの醸造の仕事をしている人がいたので、コンサル会社の人が来るのを待っているときに、声をかけてみたんです。
その人は、そのコンサル会社と提携して、(フリーで)醸造の仕事をしている人で、“あさってから新しい機械で作るから点検に来た”のだと。
これはチャンスだと思い、“アルバイト料はいらないので、手伝わせてください”とお願いをしたら、その人がビアレストランの店長さんに話をつけてくれて、手伝うことになりました。それが、“ビールの師匠”との出会いでした」
──コンサル会社の人にすっぽかされたからこそ、つながったご縁ですね。運命的なものを感じます。どれくらいの期間、お手伝いをしたのですか?
「4か月くらいです。ただ、ビールは1日仕込んだら、その後は出来具合(熟成具合)をチェックするだけなので、毎日、行ったわけではないのですが。
ただ、そのお手伝いが面白かったんです。電気が止まるといったトラブルもあったのですが、師匠は途中で諦めずに、“やれることは何か”を考えて徹底的に追求して、最後まで作り切ったんです。そこにカッコよさを感じました」
──「タダ働きした」ともいえますが、言い方を変えれば、「無料でビールの作り方を教わった」ともいえるのでは?
「そうなんですよ。コンサル会社に頼んでいたら、かなり高額な費用がかかるところでした。私には師匠ができたので、いろいろと相談して、酒類製造免許も自力で取ることができました」
元中華料理店をほぼ解体して店づくり
──センスが光るモダンな店舗ですが、もともとは中華料理屋さんだったんですか?
「正確に言うと、中華料理屋のあと、カラオケスナックになって閉店し、売りに出ていたんです。
私は笹塚に20年以上住んでいて、よくこの道を通っていたんです。駅から10分くらい歩いて、喉が渇くあたりの場所なのですが、喉を潤すようなお店がないので、この辺にあればいいのに、って思っていたんです。
連棟式の長屋の真ん中の建物なので、立地にしては価格が安く、投資の面で考えてもいい物件だったので、購入して、リフォームすることにしました」
──飲食業の経験もないのに、お店の物件を購入するというのは、ずいぶん思い切りましたね。お店のインスタグラムを拝見すると、元の建物の基礎の部分以外はほぼ解体し、今のお店に生まれ変わるまでの過程が紹介されています。どのようにして、店舗を作られたのでしょうか。
「この物件を買って、友達の設計士に相談して改装内容を考えたあと、施工会社に見積もりをとったら、ギョッとするほど高額だったんです。
そんなとき、近くの商店街で、1人でリフォーム工事をしている大工さんを見かけました。声をかけてみたら、たまたま私が知っている俳優事務所の役者さんだったんです。リフォームにいくらかかるかを聞いてみたら、断然安かったので、拝み倒して、引き受けていただきました」
──西口さんも一緒に作業されたようですね。
「はい。かなり大変でした。たとえば、天井を壊したら、黒いものが落ちてきたのですが、それはネズミのフンでした。壁をあけたら、ゴキブリの卵が貼りついていたり……。
照明や材料はすべて自分で発注しました。窓やドアなどをいいタイミングで発注しないと、次の工事が進まないので、スケジュール管理が難しかったです。
当初の予定よりも2か月オーバーし、予算も少しオーバーしましたが、どうにか許容範囲内におさめました」
──単に「クラフトビールのお店を始めた」という話だけではなく、自分で大工さんを見つけて、材料を発注して、予算に合わせて建物のリフォームをしたなんて、ただ者ではありません。やはりプロデューサーとしての手腕があってのことであり、今までの経験が生かされているように思います。
「このまま映画だけを作っていたら出会えなかった人もいて、自分の居場所も作れましたし、ずっと映画の世界に閉じこもっていたよりも、むしろよかったかもしれません」
──コロナの影響で仕事がうまくいかなくなったけど、何をしたらいいのかわからなくて悶々(もんもん)としている人もいると思うのですが、そんな人たちに何かメッセージはありますか?
「とにかく1回バカにならなきゃダメ。狂ってみるって大事なんですよ。私も店をオープンするまでは、とても怖かったです。ビール作りは楽しいのですが、お店を開けても誰も来なかったらどうしようって。
でも、オープンしたら、近所の方も来てくださって、“ずっと工事中で何を作っているんだ? と思っていた”と言われました(笑)。そして、クラフトビール屋(という珍しいお店)であることに驚いてくださった方も。そういう意味でも、“クラフトビール”というジャンルを選んでよかったです」
1階はスタンディングバー、2階はレンタルキッチンに
1階はクラフトビール醸造場併設のスタンディングバー、2階はプロ仕様のレンジが設備されたレンタルキッチンになっていて、今後、お店をやってみたい人という人に貸し出すのだとか。前は中華料理屋さんだったなんて想像つかないほど、木のぬくもりを感じさせるハイセンスな内装です。この店舗自体が、「西口さんの作品」のように感じました。
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ビールの師匠、店舗の物件、大工さん……すべて自分で見つけたというのは、すごいことです。それだけ、日頃からアンテナを張っているから、そんなラッキーな出会いが生まれるのでしょう。しかも、プロに任せるだけでなく、できる限り自分でもDIYをすることで、費用を抑えるだけでなく、面白い経験、エピソードが生まれています。西口さんのお話を伺っていると、どんなことも「結果」だけでなく、「過程」が人生を彩るのだと感じます。
次回は、「西口さんがクラフトビール屋を始めたことでわかった、ビール作りの難しさと奥深い魅力」について深掘りしていきます。
(取材・文/加藤弓子)
〈店舗情報〉
■OURDAYs Brewery & Club house
住所/東京都渋谷区笹塚3-40-1
営業時間/月曜~木曜:18~23時、金曜:18~24時、土曜:15~24時、日曜:15~22時
定休日/奇数週の火曜日
レンタルキッチン/
金曜〜週末にかけて2Fキッチンをレンタルできる。料金は1日1万5000円。3日間、帯で借りる場合は3万5000円。ビールは1Fのクラフトビールを利用可能。
(10月15日から、土曜日のみの営業で「スパイスカレーとおばんざい料理」を提供するチェルシー食堂さんの営業が始まります)
〈PROFILE〉
西口典子(にしぐち・のりこ)
映画プロデューサー。OURDAYs Brewery & Club houseオーナー、クラフトビールブリュワー。映画『女の子ものがたり』(森岡利行監督、2009年公開)、『人生、いろどり』(御法川修監督、2012年公開)、『ピース オブ ケイク』(田口トモロヲ監督、2015年公開)、『彼女がその名を知らない鳥たち』(白石和彌監督、2017年公開)などをプロデュース。