奇跡の50代ともいわれる美肌とスタイルの持ち主にして、コスメブランド『FTC(フェリーチェトワココスメ)』のクリエイティブディレクターでもある君島十和子さん。最近はYouTubeやInstagramで“十和子流”のスキンケアやメイク術を精力的に発信するなど、文字どおりの“素顔”を披露。美のカリスマとして、多くの女性に支持されています。
そんな君島さんですが、20代前半にモデルや女優として活動していたころは、納得できる化粧品に出合えず、いつも肌の悩みを抱えていたそう。結婚後、本当に自分が使いたいと思えるコスメを製造・販売するスキンケアブランドを立ち上げ、エイジングケアの製品開発に日々、勤しんでいます。
君島さんが美肌を追求するようになった意外な原点を明かすインタビュー第1弾です!
無防備に紫外線に肌をさらしていたキャンギャル時代
芸能界で仕事をするようになったきっかけは、JALのキャンペンガールに選ばれたことでした。
それまでの元気で健康的なイメージからコンセプトを変えて、髪が長く大人っぽいタイプが求められていたらしく、思いがけず私が起用されたんです。芸能事務所から送り込まれた女性たちが応募者のほとんどを占める中、「ショールームの案内係のようなものかな」とアルバイト気分で参加していた素人っぽさが、目立っていたのかもしれません。
当時は大学進学を控えていたのですが、あれよあれよという間に仕事が決まり、モデルとして活動することになりました。スケジュールがすでにびっしり埋まっていて、考える間もなく仕事にまい進していった感じでした。
’80年代前半といえば、小麦色の肌がオシャレな時代。私も沖縄ロケでは日差しをたっぷり浴び、時間があるときはせっせと日焼けサロンに通っていました。日焼け止めを使う概念などありませんし、紫外線が肌にダメージを与えることを誰も知りませんでした。そのほうが風邪をひきにくい、健康にいいとすら言われていたんですよね。
こうして紫外線に晒(さら)された肌が、やがて仕事に支障をきたすことになりました。JALの契約が終了し、雑誌モデルなどを始めたのですが、日焼けあとのくすみ、そばかす、シミがみるみる広がっていきました。日焼け肌が治っても、毛穴の開きと小じわが際立っています。とても20代前半の肌とは思えないくらい。
これはまずい、と口コミを頼りにいろいろ肌に塗り込んでいるうちに、修復するどころか吹き出物、ニキビ、湿疹だらけの顔になってしまったんです。今のようにネットで調べる術もなく、まさに悪循環。芸能界の仕事をしているのに人前で顔を出すのが苦痛でコンプレックスは増していき、どの現場でも肌が汚いと叱(しか)られる。それまでセールスポイントだった日焼け肌が逆にネックになり、とうとう仕事がなくなってしまいました。
そこで、こうなった原因を見つけるために自分の肌と真剣に向き合ってみたんです。もしかしたら紫外線を浴びたせいかも、と思い当たり肌を触ってみると、日焼けする前よりもずっと乾燥してバリバリの状態。そのころ仕事に行くときには、日焼け肌を隠そうと厚塗りのメイクをしていました。
日焼け、乾燥、メイクの厚塗り。この3つが原因だと気づき、ひとつずつ取り除いていく作業を始めたのです。
まず基本は、日に当たらないようにすること。そしてメイクをしっかり落として肌を清潔に保つこと。そのあと、しっかり保湿をすること。
それを数年間、丁寧に繰り返していったところ、撮影に行くと「肌がきれいですね」と言っていただけるようになったんです。超マイナスからのスタートなので、何気ないそのひと言に、“やっと合格点をいただけた”と天にも昇るような気持ちになりました。
「目鼻立ちの美しさより、肌の美しさが何にも代えがたい」という価値観が、金づちで頭を殴られるほどの衝撃で、自分の中に打ち込まれたのです。
他人に似合うメイクが自分にも似合うとは限らない
それからは、何よりも肌を大切にしなければならないという一心で、仕事でご一緒したヘアメイクさんたちに詳しく話を聞いたり、化粧品メーカーの方に突っ込んだ質問をぶつけてみたり、プロのみなさんから情報収集することが習慣づいていったんです。
当時は、女性ファッション誌の最盛期。誌面のメインはファッションで、美容情報の重要度はまだ低く、最後のほうに数ページあるだけ。あるブランドの口紅で、“この色が流行する”となると、似合う似合わないにかかわらず、その口紅さえ塗っていれば誰でも「おしゃれな人」でした。
日焼けしていたとき、撮影でモデルが集まると、私の顔色は他の人よりくすんでいました。黒い肌の上に白いファンデーションを塗るから、グレーに見えてしまうんです。流行だったフューシャピンク色の口紅をつけると、肌の黒さが強調されて似合わない。同じ口紅をつけたモデルたちと一緒に並び、ポラロイドで試し撮りをして写りを確認したら、やっぱり私だけ顔色がグレー。試行錯誤の末に、よりくすんだローズ系の口紅を塗ったら肌がクリアに見え、ようやく撮影ができたことがありました。
そのとき身にしみてわかったのが、“他の人に似合うものが自分に似合うとは限らない”ということ。きれいになりたくて口紅を塗っているのに、その口紅のせいで余計に顔がくすんでしまうこともある。そんなこともあると知らせなければ、という使命感に駆られて、インタビューを受ける際には「趣味は美容を研究することです」と答えるようになりました。
失敗を重ねながら学んできた分、自分がいいと思えるものはオススメしてもよいのでは、とさまざまな化粧品の特徴について語り始めたのが27〜28歳のころ。美容家と呼ばれる方たちもいなくて情報が少ない時代だったので、他の人には私のような苦労をしてほしくないと、化粧品について一生懸命伝えていました。そうするうちに“美容を語る女優”のような役割をいただき、どんなアイテムを使っているか、といった今なら定番の企画でたびたびメディアに登場するようになったんです。
夫の仕事つながりで美容や化粧品のアドバイスをするように
そんなころに主人(君島誉幸さん)と出会いました。彼はもともと皮膚科医だったのですが、家業のファッションブランドを継いでいました。
結婚したあとは自分がメディアに出て発信することはなくなりましたが、主人のビジネスに同行するうち、洋服を購入してくださった方に「口紅をこの色に、髪型はこんな感じにするとすてきですよ」など、モデルや女優の仕事で培ったメイクや着こなしのヒントをお伝えするようになりました。お客様から「あの若奥様、もう一度連れてきてくれないかしら」と言っていただけるようになり、美容のアドバイスをすることが多くなったんですね。
今でいうドクターズコスメの先駆けで、処方的にはメイクが落ちるに違いない試作品について、意見を求められたこともありました。その商品は確かに、ファンデーションを塗ったあとすぐに使うと落ちるのですが、使い心地がどうにも悪かったと申し上げました。
化粧品の成り立ち的には正しいけれど、きれいになれそうな高揚感が足りない。効果・効能や安全性は必要ですが、化粧品は女性のいちばん身近にあるものだから、気持ちがワクワクするような要素や使い心地を大切にしてほしい、ということもお伝えしました。
この経験が、今の仕事の原点だと思います。
インタビュー第2弾では、君島さんご自身が実際にスキンケアメーカーのアドバイザーとして商品開発に携わるまでのエピソードをお届けします。
(取材・文/Miki D’Angelo Yamashita)
【PROFILE】
君島十和子(きみじま・とわこ) ◎1966年5月、東京都生まれ。高校在学中に「’85年JAL沖縄キャンペーンガール」に選ばれ、芸能界デビュー。’86年、女性誌『JJ』のカバーガールを務め、同誌で専属モデルに。のちに舞台、テレビなどを中心に女優として活躍し、結婚を機に芸能界を引退。’05年、20数年に及ぶ美容体験をもとに、化粧品ブランド『FTC(フェリーチェトワココスメ)』を立ち上げる。クリエイティブディレクターとして製品開発に勤しみながら、これまでの知識と経験を生かし、美容家としても多方面で活躍中。
◎君島十和子オフィシャルブログ→https://ameblo.jp/towako-kimijima/
◎公式Instagram→ftcbeauty.official
◎公式Twitter→@FTC_beauty
◎公式YouTube→『君島十和子チャンネル』