『有吉反省会』(日本テレビ系)に出演し、“ぱいぱいでか美”という個性的な芸名でブレイクした、歌手でタレントのでか美ちゃん(32歳)。2021年末に改名した後は、『こねくと』(TBSラジオ)の火曜パートナーや『BOOKSTAND.TV』のMCを務めるなど、幅広く活動しています。
マルチな才能を生かして活躍している彼女に、学生時代のエピソードや、「ぱいぱいでか美」命名のいきさつ、試練だと感じた出来事について詳しく聞きました。
進学校に進んだものの、歌手を目指して上京し専門学校へ。両親はあっさり承諾
──学生時代はどういうタイプでしたか?
「“暗かったんでしょ”って思われがちなんですけど、全然そんなことなくて、非常に活発な子でしたね。クラスの中心に立ちたがるタイプだったので、学級委員にも自分から立候補していました」
──いわゆる“陽キャ”と呼ばれるような立ち位置だったのですか?
「うーん、明るい人間側だったとは思うんですけど、なぜか闇っぽい部分も常にあったんですよ(笑)。クラスのみんなをまとめたり、頼られたりするけれど、自分の悩みは誰に言えばいいんだろう……って心の中では感じていました」
──いつごろから、芸能活動をしたいと考えていましたか。
「芸能活動をしたいというよりは、中1のころから、すでに東京に行きたいなって思っていました。当時、三重県に住んでいたのですが、タワレコ(タワーレコード)もなかったし、好きなブランドの服などを買うには、わざわざ近鉄パッセ(名古屋にある百貨店)まで行かなきゃいけなかったんです。音楽に興味を持ち出してからは、明確に歌手になりたいという夢ができて、上京したい気持ちがすごく強くなりました」
──歌手になりたいという夢を抱きつつも、中学から学習塾に通い、進学校に入ったでか美さん。その後の具体的な進路は、いつごろ決めましたか?
「高校に入ってからは、東京に行きたい気持ちを改めて両親に伝えなきゃって感じていました。歌や音楽のスキルを磨ける専門学校に行きたかったんですが、周りはみんな大学に進学するような進学校だったので、両親の反応が心配でした。でも、結構な覚悟をして伝えたら、“いいんじゃない”みたいに結構あっさり許されましたね(笑)」
サークルの先輩が悪ノリでつけた『ぱいぱいでか美』を気に入ってそのまま芸名に
──東京の専門学校では、どういう勉強をしていたのですか?
「日本工学院専門学校っていう、音楽の専門コースがある学校でした。芸能系以外に、鍼灸のコースなんかもあったりするんですよ。学校が大きすぎて、みんながどんな勉強をしているのかわからない感じでしたね(笑)。私はボイトレ以外にも、作詞・作曲の勉強など、音楽全般について学んでいました。それと、学校の敷地内に系列の大学があったんです。その大学のサークルに入って、大学生の先輩たちとバンドを組みました」
──印象的な『ぱいぱいでか美』という呼び名も、サークルの先輩につけられたんですよね。
「そうです。悪ノリが通じるような仲良しの異性の先輩がいて、あだ名としてつけてくれました」
──抵抗感はなかったですか?
「それまでは、自分の胸が大きいことを隠して生きてきたんです。服装に気を遣っても、胸の大きさってバレるじゃないですか。でも人生で初めて、胸が大きいことを明るくいじられたことで、それまで隠していたのがバカらしくなったんです」
──ポジティブにとらえたのですね。
「逆に、自分の身体を認めてあげられるきっかけになりました。胸がでかいことも個性のひとつだと気づかされたんです。チャームポイントと思っていいんだなって、前向きになれましたね」
──『ぱいぱいでか美』というあだ名を、自分からも名乗るようになったのですか?
「そうですね。気に入ったのでアピールしていたんですけど、周囲になかなか浸透しなかった。バンド活動での芸名として使い始めてから、だんだんと周りからも呼ばれるようになった感じです。
ただ、これだけは伝えさせてください。信頼関係があった相手から名付けられたから受け入れられたし、ポジティブに考えられるようになったんだと思います。そんな人いないと思うけど、絶対にマネしないでくださいね!」
ソロに転向し再始動、シングルのジャケット写真に自身の“ヌード”を選んだ理由は
──バンド活動から、どうしてソロになったのですか?
「バンドではボーカルとキーボードを担当していました。バンド自体も、学生のノリの延長ではなく、“卒業しても音楽で頑張っていきたい”っていう気持ちで結成したんですが、いろいろとうまくいかなくなって、解散しちゃったんです。
最初のうちは、解散になったことがものすごくショックでした。これまで、好きなバンドや友達のバンドが解散するのを何度も見てきたはずなのに、自分のバンドが解散することは想定外だったんです。なんだか、“一生続けていくんじゃなかったんかい!”って、怒りに近い感情さえも湧いてきてしまって。“もう二度と誰かと組んで音楽はやらない!”と思って、ソロで再始動しました」
──ソロでは楽器を弾かずに歌うようになりましたよね。
「キーボードで弾き語りをしてみたんですが、向いていないなと自覚して(笑)。アイドルみたいにオケ(演奏)を流してひとりで完結させるスタイルになったんです。当時。自分の周りのバンド界隈では、オケで歌っている子があんまりいなかった。だから珍しがられたり、ときには白い目で見られたりしたけれど、目立てるなっていう思惑もありましたね」
──同じころにライブハウスで活躍していた大森靖子さんの影響もありましたか?
「大森さんは、バンドが解散する直前に出会いました。大森さんが弾き語りしている姿を見て、“こんな風に素敵な感じには弾き語りできない”って思ったのも大きいし、そのときに、“ひとりでやるのもありだな”って勇気づけられました」
──大森さんがプロデュースしたでか美ちゃんのシングル『PAINPU』(’14年)では、ジャケットにご自身のヌード写真が使われていますね。
「大森さんに何個かジャケット写真のアイデア出してもらって、その中にヌードもあったんです。“大事なところはちゃんと文字で隠す”って言われて、だったらそのジャケットが、いちばんインパクトあるなって思いました。乳首が見えるわけじゃないし(笑)、大森さんに信頼も置いていたし、あまり深くは考えていなかったですね」
──上京してからのでか美ちゃんの活動は、地元で話題になったりしましたか?
「ソロになってから2年目で、『有吉反省会』(2014年8月回)に出たんです。そしたら、テレビで見たとか、CDを買ったよっていろんな子か連絡が来て、周りも応援してくれていたのが伝わってきました。中学のときに歌手になりたいと伝えていた数少ない友人からも、“本当に(歌手に)なっているじゃん! すごい!”って言われて、うれしかったです」
『有吉反省会』出演がきっかけで、芸能活動を本格化。両親に芸名を伝えると──
──テレビに出演するようになってから、それまでの生活などが変わってしまうことが怖かったりしませんでしたか?
「いいえ。その当時、まだフリーターだったんです。“バイトするためにわざわざ東京に出てきたわけじゃないんだぞ”って自分にイライラしていたので(笑)、『有吉反省会』に出た後、すぐにバイトを辞めたんですよ」
──それは、芸能活動に本腰を入れるためですか?
「先行きなんて全然わからなかったけれど、万一バイトのシフトのせいで出られない仕事があったら意味がないって思ったんです。急な仕事にも対応できるようになったから、アピールしたほうがいいと思って、“バイトを辞めました! ”って、周りにも言っていたんです。そうしたら、“イベントに出てください”みたいな依頼が増えていった感じですね」
──もともとは歌手活動をするために上京したのに、バラエティ番組に出演することに抵抗はなかったですか?
「それが、まったくなかったんです! もともと歌手になりたいって思ったきっかけが、『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』(’94年~’12年放送の音楽番組。フジテレビ系)に出ていた宇多田ヒカルさん。ポケットビスケッツも好きだったので、自分はテレビに出ている歌手が好きだったんだなと。“ザ・アーティスト”の方の中には、バラエティ色が強い番組に出ることに葛藤があるかもしれないけれど、私の場合はむしろ、“やったー!”って感じでしたね」
──タレント活動を始めるときに、『ぱいぱいでか美』という芸名を親から反対されませんでしたか?
「最初に親に伝えるときは、さすがに緊張したんですよ。でも反応は、“あっ、めっちゃ面白いじゃん!”、“覚えやすいなあ”と、またもや軽い感じでした(笑)。私が学生時代に先輩から名づけられたときと同じ反応だったので、“やっぱり私たちは血がつながっているんだな”って感じました」
──グラビア活動については、何か言われたりしましたか?
「父親は、唯一グラビアの仕事だけは気にかけていました。“大事なところが出なければいいんだけど”っていう変な心配をしていましたね(笑)。ありがたいことに、非常に自由な家庭で育ちました」
ライブハウス出身アイドル、でんぱ組.incやBiSは「雲の上のような存在だった」
──過去にはアイドルユニット『APOKALIPPPS』への加入や、吉川友さんとユニットも組んでいますね。
「ソロという軸があるから、ほかの活動もできる感じがします。自分のバンドが解散したとき、私が勝手にキレて、“誰とも音楽をやりたくない! “っていうトラウマを抱えていたのを、ユニットのメンバーたちが溶かしてくれました。みんないい子たちだったので、トラウマを忘れさせてもらえたんだなって思っています」
──でか美さんは、“アイドル戦国時代”と呼ばれていた2010年から約10年のあいだに、イベントやフェスなどにもよく出演していたように思います。
「いや~、全然波に乗れていなかったですよ。すごかったのは例えば、でんぱ組.incやBiSとか。(元BiSの)ファーストサマーウイカちゃんや、ゆるめるモ! のあのちゃんと一緒になると、“ライブハウスで頑張ってきた仲間たちがこういう(地上波放送の収録という)場で会えるなんてすごいね”って話になることもあるんです。でも、ウイカちゃんもあのちゃんも当時から人気があったし、私たちのような“ライブアイドル”、“地下アイドル”と呼ばれる人から見たら、雲の上のような存在でした。未鈴さん(古川未鈴・でんぱ組.inc)とかも、すごすぎて全然追いつけないですね」
──周りから見ると、でか美さんも活躍していたように思えますが。
「アイドルという肩書きの部分においては、私は一流じゃないと思います。でも、私がソロでアイドルっぽいことをして珍しがられている時代に、BiSとかでんぱ組.incとかがたくさんライブを開いて市場を開拓してくれたおかげで、結果的に私や地下アイドルたちの活躍の場も広がっていった感じでなので、ありがたいです」
ボートレース場での営業は「誰も私を見ていなかった」、同性ファンは年下が多数
──以前に古川未鈴さんにおこなったインタビューでは、彼女もお客さんが2人しかいない時代があったと語っていました(該当記事→『でんぱ組.inc』古川未鈴、引きこもりからアイドルへの道のりと「観客数人」時代やグループへの思い語る)。でか美ちゃんが特にしんどかった思い出などはありますか?
「私の場合はテレビ出演がきっかけで有名になったので、営業っぽい仕事も入るんです。例えば、“反省会出演のでか美ちゃんが登場!”みたいな感じで、ボートレース場に出向いてライブをするようなこともあったんですよ」
──アウェイな場所でライブをするのは、大変ではなかったですか。
「長崎のボートレース場での営業は、つらかったですね~。イベント会場のイスを、本当にただの休憩場所として使っている人たちばかりなんですよ(苦笑)。誰も私を気に留めず、下を向いてスマホをいじってる。距離は近いのに、歌なんて聞いてくれない。でも、レースで勝った人だけはすごく機嫌がいいという、すごく特殊な環境でした。唯一、いつも私が出る現場に来てくださる方が孤軍奮闘で盛り上げてくれているのが申し訳なくて、これはもっと頑張らないと……と痛烈に思いましたね」
──よく、人気が出たら“古参”と呼ばれる初期からのファンの方が離れていくといいますが、でか美ちゃんの場合はどうでしたか?
「初期のころとは入れ替わってきていますね。最初に自分のファンだって認識できた最古参の方は、もう1年か2年に1回現場に来てくださる程度で、姿を発見したとき、“うぉー、生きていたんだね!”ってこっちが興奮する感じです(笑)。ファンが離れていくことに対して寂しいなっていう思いはあるけれど、“地下アイドル”という存在を推すのが好きな人もいるので、テレビに出だしたら興味がなくなったりするのも仕方ないかなって思いますね。でも、昔のファンの方が突然来ても、意外と覚えていますよ。“実は結婚したから行けなくなっていたんだよね”って、4年越しに会いに来てくれた方もいました」
──現在のファン層はどういう感じですか?
「男性はおじさま方で、女の子は自分より年下が多いですね。他のタレントさんは、テレビやラジオに出だすと、なかなか会えない方が多いじゃないですか。私はライブハウス出身なので、ファンの方と会う機会を持つのが好きなんですよ。だから今でも毎月1回、その月に起きたことをまるっと話すトークライブを開催しています。“えっ、この人はこんなに簡単に会えるんだ”と面白がってくれる方もいるし、ファンと濃い交流ができる場所として、このライブは大切にしていますね」
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飾らない言葉で、テンポよく受け答えしてくれるでか美ちゃん。インタビュー第2弾では、事務所の移籍、改名後の活躍、結婚観などについて、包み隠さず語ってくれました。
(取材・文/池守りぜね)
【PROFILE】
でか美ちゃん(でかみちゃん) ◎1991年、三重県生まれ。コメント力に定評があり、『有吉反省会』(日本テレビ系)でブレイクを果たした後、自身の楽曲の作詞作曲やライブ活動、楽曲提供、グラビア、映画出演、コラム執筆などジャンルやメディアにとらわれず活動中。一度聞いたら忘れられない芸名“ぱいぱいでか美”で活動していたが、いろいろ考えて2021年12月、現在の親しみやすい名前に改名。現在はTBSラジオ『こねくと』の火曜パートナーや『BOOKSTAND.TV』のMCとしても活躍している。
◎オフィシャルHP→https://www.paipaidekami.com/
◎ Twitter→@paipaidekami
◎Instagram→https://www.instagram.com/paipaidekami/