2023年3月10日、映画『ケイコ 目を澄ませて』主演の岸井ゆきのさんが、第46回日本アカデミー賞で最優秀主演女優賞を受賞しました。映画公開前に、作品への熱い思いやあふれる映画愛を語ってくれた岸井さん。
日本アカデミー賞受賞を記念して、真摯に作品に向き合う岸井さんのインタビューを再掲します!(初出:2022年12月16日公開/タイトル:「観客や視聴者を信じていきたい」岸井ゆきのさんが主演映画『ケイコ 目を澄ませて』を経て思うこと)
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2013年の映画『Playback』に痺れ、筆者の個人サイトに「吉祥寺バウスシアターの思い出」というコラムを寄稿いただいた三宅唱監督。2018年のドラマ『モンテ・クリスト伯-華麗なる復讐-』で「この純朴で芯の強い未蘭を演じているのは誰!?」となって以来、ひそかに応援している岸井ゆきのさん。
いまや大活躍の両者が初めてタッグを組み、小笠原恵子さんの自伝『負けないで!』を原案に、岸井さんがろう者のボクサーを演じるという。しかも時代の逆を行く、全編16mmフィルムで撮影されたとのこと。それが現在公開中の映画『ケイコ 目を澄ませて』。
はやる気持ちを抑え、主演の岸井ゆきのさんに映画についてはもちろん、昨今の映像作品について思うこと、サイト名にちなんでフムフムしたことなどをお聞きしてきました。
気持ちはフィルムを通してちゃんと残るし、ちゃんと映る
──『ケイコ 目を澄ませて』、大好きな岸井さんと大好きな三宅監督と大好きなボクシングが題材ということで非常に楽しみにしていましたが、間違いなく最新作が最高作で本当にいいものを観させていただきました。「これがいまの私のすべて」とのこと、ご自身と、ケイコと、スタッフやキャストと向き合うなかで、なにか新たな発見や気づきはありましたか?
この作品には、多くの脚色がないですよね。音楽も環境音だったり、音楽が流れてもケイコの弟が作った音楽だったり。ケイコはおしゃべりなほうではないので、手話としてのセリフもあまりないし、口語としてのセリフも二言しかない。
でも、気持ちは当然ある。その気持ちはフィルムを通してちゃんと残るし、ちゃんと映る。思いは目に見えないとはいえ、しっかりスクリーンに映るんだなということを感じました。
しゃべりすぎている、説明が多くなっている映画が結構あるなかで、この作品は受け取る側の自由度や寛容性が高いと思うんです。セリフがない分、どう思っているんだろうと感じることができるし、考えることができるし、自分と重ねることができる。その想像力によって、作品がさらに大きく豊かになるんじゃないかなと。そういう、映画の可能性についてはすごく考えましたね。
──挫折や困難を乗り越えて成功や名声を得る、いわゆるボクシング映画ではありません。ボクシングや手話はあくまでモチーフで、音と光とリズムの映画、つまり映画そのものの映画だと私は思いました。岸井さんはどんな映画だと思われましたか?
これはケイコの生活であり、生き方であると思いました。ボクシング映画でもなく、耳の聞こえない人の話でもなく、ひとりの人間が生活すること、なにかに情熱を傾けること、生きるということが、この映画には映し出されていると思っていて。たまたまケイコはボクシングをやっていたけど、この映画に出てくる街の音や日常というのは、ボクシングをやっていなくてもケイコじゃなくても、必ずあるものじゃないですか。いまこの時代を生きること、人と共存することを感じられる映画なんじゃないかなと思います。
──全編16mmフィルム、未経験のボクシング、手話と、制限されたなかでの集中力と緊張感がフィルムを通しても伝わってきました。3か月間のトレーニングを経て撮影に臨まれたとのこと、やってみていかがでしたか。
がんばったらがんばった分だけちゃんと筋肉がついて、パンチが速くなって、強くなっていくことに感動しました。糖質制限や増量もあったので、頭が回らない、身体が重くなる、パンチも重くなるということもありましたが、「いま、この瞬間」にフォーカスさえできれば、身体がついてくることを実感して。
三宅監督も助監督も撮影監督も、撮影前のトレーニングの段階から来てくださって、身体づくりのことや自分がどんな映画を観て育ってきたのかなどパーソナルな話をして、人となりを知っていくことができました。大変なこともたくさんありましたけど、つらいより「もう作品づくりは始まっている」という感覚のほうが大きくて楽しかったです。
撮影中は、フィルムなのでどんな絵になっているのか確認できないし、フィルムが回る音だけを感じて集中していました。いままでお芝居をしてきたなかで、一番撮られているという感覚がなかったかもしれません。スタッフをとことん信じていたなと思います。
ここで物語が大きく変わりましたみたいなことはないけれど、日常の中のわずかな、でも確実になにかが起こる……掴む、拭く、目線のやり取りや指先のかすかな触れ合い。そういうことを捉えている、生活に基づいた映画が私は好きなんです。そんな映画に自分も出られて嬉しかったです。
タイトルで名前を背負うってすごくいいなと思いました
──序盤、練習着に着替えるシーンの背中の筋肉がかっこよかったです。いままでかわいらしいイメージが強かった岸井さんですが、こんな表情もするんだと終始かっこよくて。メンタルやフィジカルでどうケイコとシンクロしていったんでしょうか?
背中の筋肉は見せたくて、そのためのトレーニングをしました。でもケイコに近づいているというよりは、ボクシングがうまくなりたい、強くなりたいという気持ちが前に出ていたので、その積み重ねでケイコになっていく感覚でした。3か月の準備期間でもう作品づくりは始まっていて、蓄積されたものでケイコを形成しているというか。
なにかを見るとか取るとかって、多分演技じゃないんです。それを脚色してしまうと嘘になる。劇的になってしまいますよね。三宅監督も劇的にしたいわけじゃなかったので、同じ目線で同じ場所を見て、物語を紡いでいけたなと感じています。お芝居ではわかりやすくドラマチックなものもありますけど、日々の積み重ねを丁寧に描くことで浮かび上がってくるものもあると思っているので、それを切り取って伝えることができたのはこのチームだったからこそと思います。
──ケイコが見ている世界、音のない世界を想像したときに、光や音の作りが強調されている感じを受けました。言葉にできない感情がこみ上げてくると同時に、普段、音に慣れすぎていたなと。
聞こえている人は、「自分はこの音が聞こえている」ということを意識する映画だと思います。ちなみに私、生活の中での環境音がすごく好きなんですよね。作られた音じゃなくて、ジャングルで録音した雨やモンスーンの音を聞いたりしています。
──リアルタイムで見逃してもいつでも見られる、速度も変えられるという便利な時代において、映画館で映画を観る体験は稀有だと思っていて。「映画とはなにか?」に向き合う豊かで贅沢な時間でした。「これを逃したら次はない」一回性の強度を噛みしめる機会が少なくなっているいま、思うことはありますか?
やっぱり映画館で映画を観るというのは特別ですよね。ちなみに『ケイコ 目を澄ませて』は99分なんです。コンパクトで観やすい! その時間に生活や生き方の大事なことが隅々まで詰まっている映画なので、本当にスクリーンで観るべき映画だと思います。録音部の川井(崇満)さんが生粋の音オタクなんですが、一生懸命こだわり抜いた音や、フィルムの粒子も感じていただきたいです。
──英題の『Small, Slow But Steady』、まさに映画も人生もそうだなと思いました。
もともとこの映画を撮っているときは、日本版のタイトルも『Small, Slow But Steady』だったんですよ。最終的に『ケイコ 目を澄ませて』になったんですけど、タイトルで名前を背負うってすごくいいなと思いました。『J・エドガー』『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』……主人公の名前を冠した映画って、いい映画が多いじゃないですか。自分の役の名前が映画のタイトルになる機会ってあまりないので、すごく嬉しかったですね。
ちょっと立ち止まりたいときは……すぐ海外!
──2022年でデビューから13年です。10代から30代にかけて芝居への取り組み方や表現の仕方で変わったこと、振り返ってみて転機と思った出来事はありますか?
たとえば『ケイコ 目を澄ませて』に出演して、言葉の重要性をすごく考えました。もちろん手話でも話しますけど、口語としてのセリフは二言しかなくて。でもこの映画、伝わると信じているんですよね。
私の好みになってしまうんですけど、しゃべりすぎない、説明されすぎていない映画のほうが好きで。実生活や人間関係もそうじゃないですか? 「私たちって友達だよね!」とか、いちいちすべてを説明することってあまりないですよね。近年の映画やドラマは説明されすぎているなあという思いもあるので、「日常の描かれ方の余白」はより考えるようになりました。
やっぱり伝えたいことは設定の説明ではなくて、もっと心に近い部分。だからといって渡された台本のセリフを削るなんてことはできないので(笑)、作品ごとに向き合い方があると思うんですけど。もうちょっと、観客や視聴者を信じていきたいと思っていますね。
──劇中、弟との手話で「だって人はひとりでしょ」と胸の内を明かさないシーンがありました。岸井さん自身は自分と他者との関係性をどう捉え、どんな距離感で人間関係を構築していますか?
私はケイコに似ていると思います。書いて頭の中を整理することもありますし。なにか選択を迷ったり悩んだりしているときに、人に相談することがあまりなくて、自分の中で解決してから話す感じです。胸の内をさらけ出したくない、話したくない、関係性を作りたくないというわけではないんですけど、苦手というか難しいですね。
それが親友であっても過程の話がなかなかできなくて、すべて終わってから「いや~こういうことがあったんだよね」って(笑)。でも私、本当に友人関係が変わらなくて、長い付き合いの友達が多いんです。なので私のこの感じに慣れてくれていて、詮索も強要もしてこないし、ずっと仲よく心地よい関係性で。ありがたく思っています。
──劇中でも描かれる、いまやっていることを続けるのか他の道に行くのかは誰しもが思い当たる普遍的なもので、実人生にも通じるものです。岸井さんは気持ちが揺らいだり迷い悩んだりするときに、どう対処していますか?
ちょっと立ち止まりたいなというときは、私はもう、海外に行きますね。少しでも時間があったらすぐ台湾とかマレーシアとかひとりで行っちゃいます。いろいろな演劇が観たくて、ポンッとロンドンに行ったこともあったなあ。その街をただ歩くみたいなことが好きなんです。友人がマレーシアに農場を持っているので、また年末年始にでも農業をしに行きたいですね。
──将来的には二拠点生活! なんていうのも憧れますか?
ちょっとねえ、やりたいですよね(笑)。
──サイト名の「フムフムニュース」にちなんで、最近フムフムしたことを教えてください!
マレーシアに「クイティオ」という米麺があるの知ってます? 私も最近まで知らなかったんですけど、それを他の具材と炒めた「チャークイティオ」が本当においしくて。タイの米麺の「パッタイ」よりコシがあって、うどんのような食べ応えなんです。なので、マレーシアにクイティオというおいしい米麺がある! フムフム!
岸井さんを撮るのは今回が3回目というカメラマンも、マレーシアでチャークイティオを食べたことがあると判明。撮影中、マレーシアのグルメや、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』(岸井さんは3部推し!)の話で盛り上がっていました。
取材を通して丁寧に言葉を選びながら、天真爛漫な笑顔で場を和ませてくれた岸井さん。これからの作品でもどんな表情を見せてくれるのか、楽しみでなりません。
(取材・文・編集/福アニー、撮影/有村蓮、スタイリスト/Babymix、ヘアメイク/村上綾)
【Profile】
●岸井ゆきの(きしい・ゆきの)
1992年2月11日生まれ、神奈川県出身。2009年、女優デビュー。その後、映画、舞台、テレビドラマなど幅広く活躍。2017年、『おじいちゃん、死んじゃったって。』(森ガキ侑大監督)で映画初主演を務め、第39回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を、19年『愛がなんだ』(今泉力哉監督)では、第11回TAMA映画祭最優秀新進女優賞ならびに第43回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。その他、近年の主な映画出演作に『空に住む』(20年、青山真治監督)、『ホムンクルス』(21年、清水祟監督)、『バイプレイヤーズ~もしも100人の名脇役が映画を作ったら~』(21年、松井大悟監督)、『やがて海へと届く』(22年、中川龍太郎監督)、『大河への道』(22年、中西健二監督)、『神は見返りを求める』(22年、吉田恵輔監督)、『犬も食わねどチャーリーは笑う』(22年、市井昌秀監督)などがある。
【Information】
●映画『ケイコ 目を澄ませて』
監督:三宅唱
原案:小笠原恵子『負けないで!』(創出版)
脚本:三宅唱、酒井雅秋
出演:岸井ゆきの、三浦誠己、松浦慎一郎、佐藤緋美、中原ナナ、足立智充、清水優、丈太郎、安光隆太郎、渡辺真起子、中村優子、中島ひろ子、仙道敦子/三浦友和
絶賛公開中!
配給:ハピネットファントム・スタジオ