ちょっとおしゃれで、居心地がよくて、お気に入りのカフェやバーがあなたにもあると思います。では、どうしてそのお店に何度も通ってしまうのでしょう。マスターやスタッフの人柄やサービスがいいからでしょうか。もしかしたら、インテリアコーディネーターという“空間装飾”のプロが、そのお店をあなた好みの空間にデザインしているからかもしれません。
知っていそうで実はよく知らないお仕事のこと、“フムフムハローワーク”がご案内します。シリーズ第2弾(全3回)は山崎里沙さんに、インテリアコーディネーターというお仕事について教えていただきます。
“男の子色”“女の子色”という決めつけが嫌いだった
──インテリアコーディネーターはどのようなことをする仕事なのか、お聞かせください。
「わたしたちの仕事は大きく分けて2つあります。1つは、空間の色調・配色のアドバイスとご提案です。たとえば、新築やリフォームする個人宅のリビング、子供部屋、あるいはレストランや飲食店などの店舗、さらに広くなると商業施設などの空間の、天井、壁、床はどんな色合いにすればいいのかをクライアントのご希望、ご要望に応じてご提案します。
飲食店からのご依頼には“食欲をそそる感じ”や“落ち着いた雰囲気で食事を楽しむ”などさまざまなリクエストがありますが、店内のトーンをどんな色でまとめればコンセプトどおりになるか、また、その色調に似合うカーテンやテーブルクロスは何色にすればいいかなど、調和の取れたコーディネートをするのがインテリアコーディネーターの仕事です。
もう1つが、室内空間の色合い、配色が決まったら、そこにどんな家具や調度品、インテリアを置けばいいのかをセレクトし、それぞれをどのように配置すればまとまった感じになるかのアドバイスとご提案です。洋室と和室とでは照明がぜんぜん違うので、部屋に合う照明を選んだりもします。
──センスが求められる仕事だと思いますが、もともとインテリアコーディネーターを目指していたのですか?
「いいえ、最初からいまの仕事をしていたわけではなくて、以前は教育関係のコンサルタント会社に勤めていました。ただ、平塚市(神奈川県)の実家では父が工務店を経営していて、その影響もあって、建築業界にはずっと興味があったんです。
自宅兼事務所でしたけど、父の仕事場をのぞくと、いつも左官屋さんとか水道管の配管工事のおじさんたちがいて、みんなで図面をのぞき込んでああだこうだと言い合っていて、とても楽しそうに仕事をしていたんですよね。
小学生のころ、“こんなベッドが欲しい”と絵を描いておねだりしたら、父が手作りで作ってくれたこともありました。わたしはとても嬉しくて、それで父みたいな仕事をしたいなあとずっと思っていたんです」
──なかなか自己主張が強い子だったとか……。
「言葉で反発するようなことはなかったんですが、行動で示すタイプの子供でした。いまだに言われるのが、小学校にあがるときに買った学習机です。今はジェンダーレスの時代になりましたが、わたしが子供のころは“男の子色”“女の子色”みたいな色分けがまだあったんですよ。学習机もそんな感じで、男の子はダークブラウン、女の子はパステルピンクみたいに分けられていました。
子供ながらにも、わたしはそういうお仕着せや決めつけが嫌いだったのと、勉強するならダークブラウンの机に白いノートを広げたほうが絶対にいいと思って、男の子色の机にしたんです。机はそれでよかったんですが、椅子のカバーの柄が気に入らなかったので、剥ぎ取って、自分で選んだ布に張り替えたんですよね。父も苦笑してましたけど(笑)」
──なるほど、行動で示すタイプですね。カラーコーディネイトのプロになって、男の子色の机の選択は正解だったと思いますか?
「われながら“いい線いってるな”と思います(笑)。わたしがいま住んでいる浜松市はユニバーサルデザイン(※1)を推進していて、条例も多く制定されています。カラーリングに関して言えば、白内障などの病気で視力が低下したり、色を識別しにくい人のために、標識や案内などでは“反対色(黒に対して白、青に対して赤など正反対の色合い)”と“明度(明るさの度合い)”を組み合わせるようにするのですが、ダークブラウンに白いノートって、ユニバーサルデザインを意識したものすごくいい組み合わせで、文字がはっきり見えるし、勉強に集中できるので理に適っているんです」
※1:ユニバーサルデザイン:性別や年齢、国籍、文化などの違いを問わず、より多くの人が利用できるデザイン・設計。もっともわかりやすい例が東京オリンピック2021で話題になった“ピクトグラム”のように、誰が見ても“トイレ”“非常口”とわかるデザインなどを指す。
人生の転機だと思ったから未知の世界に飛び込んだ
──大学卒業後、教育関係に進まれたのには、何か理由でも?
「本当は建築関係に行きたかったんですけど、父が反対したからです。父は自営だったので、経営の大変さ、現場の大変さを知っていて、建築関係の仕事は“自分の力でやっていくもの”という考えがあったんじゃないかと思うんですね。だから、わたしには同じ業界に進ませたくなかったんだろうと思います」
──大反対ですか?
「大反対なんてもんじゃなかったですね、猛反対。すごい剣幕(けんまく)で、何をやってもいいが、“建築業界だけは絶対に許さないぞ”みたいな感じで」
──それでやむなく他の業種へ? しかし、インテリアコーディネーターに転職したということは、やっぱり建築関係の仕事をしたかったわけですか?
「そうですね。前の会社での所属は営業部で、私立の進学校の理事長さんらを訪問して大学進学のための学習サポートプログラムや商材をご案内していたんですが、子供たちのこれからを支える仕事なのでやりがいはありました。ものすごく集中していたし、それこそ心血を注いで……、でも30歳になるくらいのときですかね、ずっと見てきた子供たちが大学を出て、ちょうど社会人になっていく時期でした。
羽ばたいていく彼らを見ているうちに、わたしは子供たちを応援する仕事を選んだけど、わたしもそろそろ自分の人生を歩いてもいいんじゃないかって思うようになったんです。あのまま仕事を続けていてもよかったんですが、“わたしの人生はこれで決まっちゃうのかも”という不安もありました。そんなときにふと、建築のことを思い出したんですね」
──それで転職を決意したわけですか?
「当時わたしにはパートナーがいたのですが、同じタイミングでそのパートナーと奈良県に移住する話が浮上したんです。会社は辞めなければならないけど、現地の建築系の会社を手伝いながらデザインの勉強をしてもいいと言われたんです」
──東京の会社にお勤めだったんですよね?
「はい。でも、デザインの勉強をするなら東京でなくてもできるし、新しいことにチャレンジするのだから、新しい環境に飛び込んじゃえって(笑)。これは転機だって思ったんです。それに、奈良県には歴史的な建造物がたくさんあるじゃないですか。わたしの中では“行くべきだ”って、即決でした」
資格は持っていたほうがいい
──奈良県に転居してから、インテリアコーディネーターの勉強を始めるわけですね?
「はい。春に転職・転居して、秋には資格を取得していました」
──そんなに早く? 受験勉強はどうしていたんですか?」
「働きながらの勉強だったので、すべて独学です。というか、建築系の会社なのでオフィスにはもちろんですが、現場に行っても、周りにはプロの建築士やインテリアデザイナー、コーディネーターが何人もいるわけですよね。職人さんもいます。だから、仕事の合間合間に“すみません、これってどういう意味でしょうか”“ここがわからないんですけど”って質問しまくりでした。わたしは設計用の定規の持ち方すら知らなかったのに、皆さん丁寧に教えてくださって……、本当は迷惑だったのかもしれませんけど(笑)」
──インテリアコーディネーターになるには、やはり資格は取得しておいたほうがいいですか?
「わたしは取得しておいたほうがいいと思います。美術系の大学やデザイン関係の専門学校を出ていなくても、わたしのようなまったくの未経験者でもこの仕事に就くことはできます。試験問題の中にはカラーリングだけでなく、机や椅子の高さはどのように調整するといいのかといった実践に近い問題もあれば、建物やデザインの歴史全般に関する問題もあったりするので、インテリアコーディネーターはどういうことをやるのか、自分自身がこの仕事のことを知る取っかかりになるんです。そういった意味でも、資格の勉強はしておいたほうがいいと思っています」
──独学でも、やはり半年は勉強に必要ですか?
「たった半年と思われるかもしれませんが、資格だけは早く取っておきたかったので、わたしなりに時間は使ったと思っています。使える時間のほとんどを勉強に費やしたので。あのときは本当に必死だったんですよ。
インテリアコーディネーターの資格を取得して、念願の建築業界で働けることになったので、通信制ですけど、翌春から芸術系の大学に入り直して二級建築士の免許も取りました。このときも仕事と勉強のかけ持ちでしたが、建築士とインテリアコーディネーターの両方の資格を持っていると、ものすごい強みになるんです」
自分も羽ばたきたいという思いから、30歳で念願だった建築業界に転職し、インテリアコーディネーターの資格を取得した山崎さん。次回は仕事のフロー(流れ)など、より具体的なお仕事の内容を伺います。
※第2回:【インテリアコーディネーター#2】わたしの仕事は、クライアントが“どんな生き方をしたいか”を形にすること
(取材・文/久保弘毅)