おニャン子クラブを始めとする80年代アイドルや海外のスターたちから愛されたアパレルブランド『SAILORS(セーラーズ)』。そのセーラーズを立ち上げたのが、三浦静加さん(69)。最盛期には目を見開くような売り上げを出した驚異のブランドですが、令和になってからもFANTASTICS from EXILE TRIBEや乃木坂46のメンバーがテレビ番組で着用し、再びブームになっています。
セーラーズは2021年に、50周年を迎えました。昭和、平成、令和と3時代にわたって駆け抜けたセーラーズ大ブレイクの日々について、三浦さんにお聞きしました。(三浦さんの幼少期からセーラーズの黎明期までは第1弾で語っていただいています。記事:伝説のブランド『セーラーズ』三浦静加社長、おニャン子クラブへの衣装提供は「2回断っていた」)
レジにお札が入りきらず、ミカン箱に売上金を入れて管理
──おニャン子クラブが番組で衣装を着用するようになった1985年には、渋谷のお店に毎日、長蛇の列ができるようになったそうですね。
「9坪ほどのお店でしたが、1日に2000人ほどいらしたので、混雑緩和のために整理券を配って、40人ずつ入店してもらっていたんです。入店時間を1人あたり15分、買い物は15万円までにしました。15分で40人分のレジを打つために、レジは値段を読み上げる人、打つ人、袋詰めの人の3人体制でやっていました。商品も出したそばから売れていくので忙しかったです」
──テレビのニュースで取り上げられるほどの社会現象になったと記憶しているのですが、実際には、どれくらい売り上げがあったのですか。
「1日の最高売上額が3800万円で、年商は28億円ですね。お札ってかさばるから、180枚くらい集まると、すごい厚みが出るんです。レジのばねも開いちゃう。だから信用金庫の人が1日3回、3時間ごとに来てくれて、ミカン箱にお札を入れて銀行に持って行き、入金してくれていました」
──信じられないような金額ですよね。
「当時の28億円は、今の貨幣価値だと100億円に近いと思います。夜間金庫の中にも入らない金額なんですよ。家に帰ってから大量のお札を数えるのにもうんざりしていたから(笑)、自動で数える機械も証券会社から借りていました」
──当時は何人くらいで経営されていましたか?
「今も昔も、私ひとりです。商品管理から人材管理、商品のデザインを作るのまで、全部ひとりでやっています。最近も“大変だね”って言われるけれど、当時も今も大変とは思わないですね」
令和にセーラーズ旋風、再び。『渋谷モディ』の売上更新
──昨年、セーラーズ誕生50周年を記念した期間限定(2021年12月23〜27日)の店舗が『渋谷モディ』に登場し、徹夜組による行列もでき、話題になりましたね。
「あれはBASE(ベイス。オンラインのショッピングサイト)を使って販売している店舗のなかで、人気のあるショップということで選ばれたのです。4日間での売り上げは、モディ史上1位だそうです。でも、私からしたら、“この売り上げって、当時の数時間ぶんの額ですよ”って」
──(笑)。当時の勢いは本当にすごかったんですね。でも、そんなに人気があったのに、渋谷以外の店舗を作らなかった理由はあったのですか?
「セーラーズの商品は、大量生産ではなくクオリティを重視しています。自分の息がかかった商品を作らないとダメになるって、わかっていたからです。今も当時のデザインを再現した商品を数量限定で販売していますが、“これ以上できない”ってほど、こだわって作っています」
──質も認められてか、セーラーズの商品は、30年以上前のものでも、フリマサイトで高額取引がなされていますよね。
「以前、『CELINE』の女社長と対談したことがあったんです。そこにセーラーズのトレーナーを持って行った。すると、彼女はパッと裏返して、“すてきね。このクオリティを維持すれば成功するから”って言われたんです。“成功しているから、今こうやって対談できているんです”って思ったんですけれど(笑)。改めて、こだわりを大事にしなければならないって思いました」
──モディでの一件が話題にもなったと思うのですが、ほかでも出店してほしいという依頼があったのではないですか?
「たくさんありましたよ。でも全部、無理だって言って断っています。本当に、モディのときが大変でしたからね。素人がやっているから、接客のオペレーションがうまく回せなくて。『SAILORS FAN CLUB』(Facebookを中心に活動している会員制コミュニティ)の人たちからも、情報不足で叩かれました。伝票を書きながらお客さんと写真を撮ったりもするので、食事する暇もなかったですね。トイレに行くのも1日に1回とかでしたよ」
30代で28億円のビルを購入。「今の若い子は夢がない」
──今もまた新しい世代からセーラーズが支持されていますよね。
「最近、FANTASTICS from EXILE TRIBEのテレビ番組に出たんですが、出演を決めたのも、若い子たちにセーラーズを知ってもらえるきっかけになると思ったから。いちばん若い子とは50歳近く違ったけど、面白がって話を聞いてくれました。でも、商品を“可愛い、可愛い”って言ってくれました。ただ、オーバーサイズ気味のものをブカブカに着ていて、昔とは着方が違うなと思いましたね」
──今の若い世代をどう思いますか?
「夢がなさすぎる。元気がないというよりも、夢が。昔は例えば“ちょっと無理してでも、いい車を買って家を買いたい”とか、そういう野望があったけれど、今は全然ないみたいなんですよ。若い子に、“なんでマンションや車を買わないの”って聞いたら、“(現状が)いつまで続くかわからないから”って答えるんです。私なんか、どうなるかわからないうちに、28億円のビルを買ったのに」
──28億円ですか!?
「そう、渋谷にね。35歳のときに、駅の近くに地下1階、地上5階建てのビルを建てちゃったんです。東急ハンズまで何十歩かでいけましたからね。でも、周りの音がうるさくて生活ができなかった。返済額は月に2700万円ほどでしたが、月に5000万円ほどは売っていたので問題ないって税理士に言われていたものの、5年後に売っちゃいました」
──ちなみに当時、稼いだお金は主に何に使われましたか?
「ベンツ! ベンツだと、1000万円、2000万円単位で買っていましたね。ノリタケ(とんねるずの木梨憲武)と相本久美子(セーラーズの店舗でもバイトをしていたアイドル)と私で、ジャガーのデイムラー(当時の価格で1600万円ほど)買いに行ったこともあります。ベンツは、芝浦のヤナセ本社に電話して“今、この色があります”って言われたら、(本体を見ずに)即決して買ったこともあるし」
──コンビニでスイーツを買うような感じですね(笑)。
「笑い話みたいだけれど、当時はちょっと感覚がずれていたのかもしれないですね。今までに18億円くらい納税していますからね。いちばん売り上げが多かったときの納税額は、7億3000万円。税理士さんにも、“テレビ東京の納税額と同じくらいです”って言われました」
マイケルジャクソンら世界中のセレブから愛されたブランド
──セーラーズといえば、海外のミュージシャンや俳優、各界の著名人が着用していたことも印象深いです。きっかけは何だったのでしょうか。
「女性誌の企画で、小錦(小錦八十吉。元大相撲力士)が着るトレーナーを作ってほしいって依頼がきたんです。サイズを聞いてみたら、身長185cm、バスト185cm、ウエスト185cm、太もも100cmっていうんですよ。工場に連絡したら“そんな化け物いないですよ”って驚かれて。そこで、直接サイズを測りに本人に会いに行ったのが最初です。メジャーじゃ足りなくて、ロープを借りて測ったのに、腕が回らないんですよ(笑)」
──小錦さんと言えば、当時、セーラーズのセーラー君の絵が入った化粧まわしで土俵入りしていましたね。
「あの化粧まわしは製作に1200万円かかりました。まわしにキャラクターを入れたり、女性がまわしを贈るのも初めてだったそうです」
──小錦さんとのエピソードで印象深いものはありますか?
「私と小錦はすっかり仲良しになっていました。あるとき、高砂部屋(小錦が入門していた相撲部屋)にボクサーのマイク・タイソンがいるのを知らされずに、小錦から“来てくれ”ってケータイに連絡が入ったんです。私は千代さん(元横綱・千代の富士 貢。大相撲力士)に商品のジャンパーを持っていかなきゃならないので慌てていました。高砂部屋に寄ったら、黒目の日焼けしたおじさん(タイソン)とマスコミがいっぱいいたんですよ。
小錦から“千代の富士のを出せ”って言われて、断りきれず渡したら、千代さん用のジャンパーが、タイソンにもちょうどピッタリだったんです。しかも、一緒にいたタイソンの奥さんは、私が着ていたジャンパーを気にいっちゃって……。小錦から“しーちゃん脱げよ”って言われて、その場で奥さんにジャンパーをプレゼントしちゃいました。そうしたらタイソンと奥さんがセーラーズの商品を着たままチューしたんです。その写真が、世界に配信されたんですよ」
──それが海外スターたちがセーラーズを着用するきっかけになったのですね。
「そうかもしれません。ジャッキー・チェンには、200枚くらい、スタッフ用のジャンパーを作りましたね。マイケル・ジャクソンとは17回ほど会っています。当時、日本で子どもの誘拐事件があって、彼はそれを英字新聞で読んでショックを受けたらしいんです。何か力になれる方法がないか考えていたところ、日本のスタッフから“若い子に人気のセーラーズというブランドがあるから、そこで(誘拐された)子どもの名前やメッセージの入ったジャンパーを作ってもらったらどうか”って提案されたみたいで。店に電話がきたんです」
──国内ブランドで、ここまで海外セレブたちから愛されたブランドは珍しいのではないですか。
「マイケルとは、黒とゴールドのジャンパーがほしいと言われて作った『マイケルジャンパー』も思い出深いです。私、英語とパソコンができたら、きっと人生が変わっていましたね。英語ができたら、同じく商品製作の依頼を受けてからとっても仲良くなった、スティービー・ワンダーのお兄ちゃんと結婚していたかもわからないし(笑)」
──さまざまなお話をお聞きしていると、三浦さんはすごくパワフルですよね。
「私、よく言うんですよ。“人生はチャンスとタイミングとフットワークの3つが大事だ”って。フットワークのよさは、やるかやらないか。チャンスは誰にでもあって、それをタイミングも含めて自分のものにできるかどうかだって思いますね」
常識を打ち破り挑戦する姿が、セーラーズの躍進につながったのかもしれません。言葉の端々から、運をつかみとる芯の強さをうかがわせる三浦さん。インタビュー第3弾では、セーラーズを突然閉店し、娘の介護に奔走した日々について語っていただきます。
(取材・文/池守りぜね)
【PROFILE】
三浦静加(みうら・しずか) ◎1953年4月12日生まれ。埼玉県出身。19歳で起業し、1984年には東京・渋谷に『SAILORS(セーラーズ)』をオープン。翌年、おニャン子クラブの衣装として起用されたのをきっかけに大人気となり、9坪のお店に1日2000人が殺到することも。セーラーズのファンは日本にとどまらず、マイケル・ジャクソンやスティービン・ワンダーをはじめとする海外セレブたちも愛用していたことで、さらに話題を呼んだ。
1999年5月15日に愛娘が誕生。脳性まひと診断されてからは、二人三脚でリハビリに励む日々。シングルマザーで、要介護4の母も自宅で介護しながら、現在はオンラインショップで新製品を販売している。
◎セーラーズ公式サイト→https://sailors.thebase.in/
◎Facebookの会員制ファンクラブ『SAILORS FAN CLUB』→https://www.facebook.com/groups/600039134050398/
◎Twitter→@shibuyasailorss
◎Instagram→https://www.instagram.com/sailors.co/?hl=ja