1986年、39歳でのデビューから現在まで「ひとりの生き方」をテーマに、多くの著書を発表してきたノンフィクション作家の松原惇子さん。松原さんが愛してやまない猫たちとの思い出と、猫から学んだあれこれをつづる連載エッセイです。
第7回→古びた家で母娘と猫が暮らす「老女“4人”の生活」が始まったが──占い師が告げたまさかの「“猫は貧乏神”説」
第8回
グレちゃんがいたから、母との人間関係もなんとか保てた。母とわたしはグレちゃんを通して会話しているようなものだ。
「ほら、グレちゃん、社長のご出勤よ」
わたしが車で出かけようとすると、出て来なくていいのに母も出てくる。専業主婦の母は、お見送りが習慣になっているようで、父にやっていたようにわたしを見送る。ほんといやだわ。
わたしは自立したひとりの人間なのに、母としてはどこまでいっても娘としか見てないようで、個人として生きるわたしとしては、いきなり、「個人の国」から「家族の鎖につながれた国」に引っ越してきたような気持ちだ。家族は美しい、家族は愛するべきだ、娘は親孝行するべきだ、という正論を突きつけられるのは、苦手だ。
母親は父が出かけるときのようにわたしの靴をそろえ、ドアを全開に開け、門も開ける。働き者なのだ。それと、何でも自分でしないと気が済まない性格だ。家は母の城のようで、わたしが出かけたあとは、スリッパの置き方、戸の締め方など直しているようだった。わたしとしてはほおっておいてほしいのだが、母は城の城主なのだから、居候は黙っているしかない。
わたしがお出かけのときは、グレちゃんが階段からドドドドと降りてきて、母がもたもたしている隙に外に出る。グレのお外の冒険のときだ。まずは玄関先の草をむしゃむしゃと。グレちゃんを触りたくてしょうがない母は、食べているその隙に触るが逆に、ガブリとされる。母も根っからの猫好きだ。
「まったく、なんて子なの。姿はきれいなくせに、きついんだから。やっぱり、あんたの子ね」と嫌みたっぷり。
母はわたしの良き理解者だと思っていたのに
母は大正生まれなので、女性が働くということに対してあまりいいイメージを持っていない。わたしがまだ目黒のマンションに住んでいるころ、久しぶりに恵比寿で会ったとき、母がいきなり不機嫌になり、わたしに向かってこう言ったのを今でも忘れることができない。
「仕事が忙しい、忙しいってなんなの? わたしをひとりにしておいて……何にもしてくれない!」
そんな言葉を吐く人とは思わなかったので驚く。それに、わたしに不満があることにも驚かされた。母はわたしの良き理解者で、わたしがひとりで一生懸命働いていることをよろこんでいると思っていたが、違っていたのか。なんだか悲しくなってきた。こういう神経を使うのは嫌だ。
ああ、面倒くさい。グレちゃん、やっぱりここは居場所じゃないね。出ようか。でも、出てどこに住んだらいいのだろうか。新しいマンションも探しに行ったが、どれも心が動かない。年齢を考えると、もし、引っ越すなら老人ホームではないのか。そんなことを考える。
グレちゃん、どうする? 二人で部屋にいるときだけが平和だね。グレは触らせてくれなくても、素敵な子だ。マミーがご飯を食べるときは、テレビとローテーブルの間のスツールに座って、ご飯を食べてるわたしのほうを見ている。いつも、わたしを見ている。人間なら見つめられたらしんどくなるが、猫にはそれがない。何度も言うようだが、猫との暮らしほど安らかな暮らしはないと思う。ああ、猫のいる風景はなんて幸せに満ちているのか。
年に1冊書き下ろしができたのは、つらい現実から逃げるため
母との生活がつらかったので、わたしは、それを仕事にぶつけた。家にいたくなかったので、仕事場に通い、書き下ろしを書き続けた。「松原さん、すごいですね。年に1作書き下ろしをするって相当のエネルギーですよ」と編集者から言われたことがあったが、書きたくて書いているのではなく、つらい現実から逃げるためだとは言えなかった。
でも、執筆作業はつらくない。むしろ幸せな時間だ。本の企画を考え、構想を立てているときはウキウキする。よく、1冊書くのは大変でしょと言われるが、作品に向かっているときは集中しているので、何も余計なことが頭に入らない素晴らしい時間なのである。母のことも忘れられる。老後の不安も忘れられる。社会情勢のことも忘れられる。つまらないことを考えない本当にいい時間なのである。
また、1冊書き上げたときの充実感といったらない。これは、経験したことのない人にしかわからない快感だ。アスリートが、努力して努力してメダルを取った瞬間に似ている気がする。終わったあとの爽快感とそのあとに来る喪失感。面白い仕事だとつくづく思う。
母と同居してから、毎年1冊書けたのは、それだけ苦しかったからだ。家にいたくなかったからできた産物だ。なんでも、わからないものだ。もしかして、快適な環境の中では作品は生まれないのかもしれない。振り返ってそう思う。そういう意味では母に感謝だ。
グレちゃんの朝の日課、多少の傷はしかたない
朝9時ごろ家を出て、夕方5時ごろ帰宅する、まるでサラリーマンのような生活のわたし。一体何をやっているのかと自問自答する日も多かったが、時の流れのほうが早すぎて、わたしにゆっくり考える時間を許さず、居心地の悪いまま住み続けてきた。繰り返しになるが、グレちゃんがいたから、母の家にいることができた。グレちゃんを連れてまた引っ越しすることを想像すると、母が死ぬまで我慢しようという気持ちになった。でも、100歳以上生きたらわたしは何歳? 80歳? その年まで我慢するというのは、人生後半を灰色で送ることではないのか。それでいいの?
グレちゃんとの生活はこんな感じだ。朝はグレが枕もとに立つことで始まる。6時ぐらいになると顔の脇に気配を感じる。目を開けるとグレが両手をそろえて座っている。「ミャー」起きろと一声。無視して目を閉じると、今度は手でわたしのほほをチョンと。結構痛い。それでも起きないと、わたしの鼻先に顔を近づけて、ガブリ。「グレちゃん、やめて!! マミー、傷だらけのジョージになっちゃうよ」と顔の向きを変えると、顔をまたぎ、反対方向からガブリ。それが朝の「おはよう」の日課だ。猫と暮らすとき、多少の傷はしかたがない。傷や血を見て騒ぐようでは猫は飼えない。だらだら血が止まらないわたしの手を見た母は、言った。
「グレは猛獣だ! この子はやくざだ!」だってさ。まあ、なんとでも言ってちょうだい。
*第9回に続きます。