2021年12月1日、天皇家の長女・愛子内親王殿下は、20歳の誕生日を迎えられる。同月5日には、成年皇族となられる行事が執り行われるが、お召しになる白いドレスができあがってきたという。
愛子さまはドレスを身にまとわれて、鏡に映ったご自分の姿をご覧になり、はにかまれたという。そんな初々しいお姿をそばでご覧になっていた天皇・皇后両陛下は、改めてわが子の成長にあふれんばかりの笑顔を見せられた。
愛子さまは、来年元日の「新年祝賀の儀」へのご出席が、成年皇族として初の公務となるのを皮切りに、さまざまな公務へご出席される予定だ。
両陛下が歩んでこられた「国民を思い、国民に寄り添う」という思いを、どのようなお気持ちで受け継がれていかれるのだろうか。
愛子さまが成年皇族になるまでの、幼年期から現在までのご成長をレポートしたい。
幸せいっぱいの誕生会見
2001年12月1日午後2時43分、愛子内親王殿下は宮内庁病院で誕生した。皇太子殿下同妃両殿下(現・天皇皇后両陛下)にとって、ご成婚から8年目の、待望の第一子。
「敬宮愛子」というお名前と称号の由来の原典は孟子。両殿下の「人から愛され、人を愛するような人間になってほしい」という願いも込められていた。
男子の親王殿下ではなく女子の内親王殿下だったことから、皇統問題は解決されないままだったが、お世継ぎ問題で悩み続けてきた両殿下にとって、ひとつの命の誕生は何よりの喜びであったという。
雅子妃は、愛子さまご誕生後の初めての会見で、「生まれてきてくれて、ありがとうという気持ちでいっぱいになりました」と、ご感想を述べられ涙ぐまれた。
皇太子さまは、そんな雅子妃の背中にそっと手をのばされて、気遣われた。おふたりの仲睦まじいご様子が映し出された会見だった。
同年代の子どもたちとの交流の場を
両殿下は、子どもの幼少期に親がしっかりと愛情を注ぐことの大切さを重んじられていた。
皇太子さまは、愛子さまが1歳を過ぎた2003年のご自身の誕生日会見で、
「子どもをお風呂に入れたり、散歩に連れて行ったり、あるいは離乳食をあげることなどを通じて、子どもとの一体感を強く感じます」と述べられた。父親の子育てへの必要性についても、
「父親もできるだけ育児に参加することは、母親の育児の負担を軽くすることのみならず、子どもとの触れ合いを深めるうえでも、とてもいいことだと思います」と訴えられて、今でいう“イクメン”のはしりでもあった。
さらに両殿下は、特別な環境でお育ちになる愛子さまにとって、同年代の一般の子どもたちとのかかわりを持たせたい、と強く望まれた。
同年には、愛子さまとご一緒に、お住まいのある赤坂御所から近い公園のいくつかにお出かけになり、居合わせた子どもたちと愛子さまを、砂場や滑り台で遊ばせられた。
砂場では、ミニシャベルやミニバケツの貸し借りや年上の子が遊び方を教えてくれるなど、当たり前に思えることを遊びの中からご経験させたかったのだという。
愛子さまは「はいどうぞ」「ありがとう」という言葉をお友達と交わされながら、相手を思いやるお気持ちを学んでいかれた。別の公園では、「(前の公園で)お兄ちゃんがやってくれたので、今度は愛ちゃんも」と言って、お友達に砂のお山の作り方などを教えてあげたという。
誹謗中傷にさらされて
雅子妃のご体調は、このころがもっとも悪かったといわれたが、なんとか子育てをなさろうと必死だったといわれた。だが、同年に帯状疱疹で入退院をなさったあとに、ご療養生活へ入られた。2004年7月に「適応障害」とご病名がついたときには、愛子さまは、まだ2歳だった。
「ご公務をなさることは無理でしたが、子育てならばできるはずだと頑張っておられました。それでも身体に力が入らずに起き上がれないことや、壁にもたれかかって、愛子さまを見守っていらっしゃることもありました」(元東宮職)
雅子妃がご療養生活に入られたことや、同年4月に皇太子さまがいわゆる「人格否定発言」をしたことで、宮内庁内外で物議を醸(かも)すこととなり、マスコミも両殿下を批判し続けた。ハレーションは愛子さまにも及んで、
「ご教育が悪いからご挨拶ができないのではないか」「お言葉が遅いのや笑わないのは、ご病気ではないのか」といった憶測が宮内庁の中から発信され、メディアやネットによる誹謗(ひぼう)中傷が広がった。当時の林田英樹東宮大夫も定例会見で「事実無根」と否定したが、情報は拡散されていった。
そして、両殿下は愛子さまが3歳のときに、皇太子さまがビデオカメラで撮ったホームビデオを公開するご決断をなさった。
愛子さまが大好きな絵本『うずらちゃんのかくれんぼ』を読み上げられて「パパも」とせがまれ、ご一緒に音読なさるという微笑(ほほえ)ましいやりとりが映しだされていた。
「天皇ご一家のご様子の映像には、通常は声が入らないため、肉声が入ったビデオは異例のものでした」(当時の宮内記者)
ご夫妻は、雅子妃がご療養中であることからご自分たちは何を言われてもしかたないが、幼い愛子さまのプライバシーは親が守る、という姿勢を強くお持ちになっていた。
相撲や言葉遊びに強いご関心
お住まいでは、ご一家で相撲中継をご覧になることが多かったという。皇太子さまは、お時間のあるときに欠かさず相撲中継をご覧になるというほどの相撲好きとして知られる。
愛子さまも皇太子さまと遊びで相撲をとられたことがきっかけで、相撲観戦をなさるようになったが、やがて、力士のフルネームや出身、番付なども覚えられるほどの相撲ファンになった。
皇太子さまが公務で愛知県に行くと告げると「琴光喜のところ(出身地)でしょ?」と、うれしそうに質問されたり、モンゴル訪問時に皇太子さまが「朝青龍や白鵬の国に行くよ」というと、ご興味を示されたりしたという。
実際に、皇太子さまが朝青龍の父親と面会した際に、愛子さまが朝青龍の本名の「ダグワドルジ」まで知っていると明かされた。
愛子さまは、東宮職の名前や役職名にもご関心が高かった。「ノムラトウグウダイブ(当時の東宮大夫)」や「ウドネリ」、「ニョカン」などカタカナで名前や役職を書かれるという可愛らしいエピソードがあった。
皇太子さまは以前、ご夫妻が子どものころに百人一首に親しんだことに会見で触れて、愛子さまにも「七五調の言葉遊びが楽しめるように、と思っています」と希望されていた。
その後の会見で、皇太子さまは「相撲をテレビ観戦しながら“だれだれに、星がついたよ、うれしいな”と七五調の文を作るなどしています」と、微笑ましいご様子を述べられた。(続)
(取材・文/友納尚子)
【小学校に入られた愛子さまのご様子を中心に綴った第2弾は、明日12/14(日)の12時に公開いたします】