秋篠宮家の長女・眞子内親王殿下と小室圭さんのご結婚は、儀式を行わないという戦後の皇室では初めての“私的婚”となったが、一方で、皇室の結婚のあり方とは何かを問われるものでもあった。
眞子さまご結婚にあたり、それぞれのご心境は
秋篠宮皇嗣殿下のお父上としての思いをくまれて「朝見の儀」などの儀式を行わないことをお決めになったという天皇陛下。最終的には、秋篠宮さまと眞子さまご本人のお気持ちを尊重なさったといわれたが、実際に秋篠宮さまとは、どのようなやりとりがあったのだろうか。
陛下も、秋篠宮さまと同じ内親王のお父上でもある。大学生の愛子内親王殿下にとって、ご結婚はまだ先のことかもしれないが、同じ娘を持つ父として秋篠宮さまのお気持ちも察したのではないかといわれた。
一方で、眞子さまは陛下の姪(めい)にあたる。ご結婚の儀式を行わないことから、宮中三殿も壇上ではなく、庭上参拝だった。
10月22日には、眞子さまおひとりで両陛下に最後のご挨拶をなさった。両陛下と愛子さま、ご一家の愛犬・由莉も交えて和やかに1時間を超えるご滞在になった。ただ、儀式をいっさい行わないことなど、陛下はどのようなお気持ちで眞子さまのご挨拶をお受けになられたのだろうか。
陛下と秋篠宮さまは、幼いころからご性格の違いがあっても、仲のよいごきょうだいだったといわれている。
陛下は物静かでまじめ。秋篠宮さまは自由奔放という定着したイメージがあるが、実は、陛下のほうが社交的で活動的。反対に、秋篠宮さまはシャイで家の中でゆっくりなさることを好まれるという。
陛下は登山やジョギングをなさるが、秋篠宮さまは、陛下と同じスキーやテニス以外の運動はあまりなさらない。だが、陛下がなさらない車の運転をされる。
天皇・皇后両陛下(現、上皇・上皇后両陛下)が公務の際、留守番をなさっていて、庭でケガをされたときも、浩宮さま(現・天皇陛下)はひざを抱えてじっと耐えて、礼宮さま(現・秋篠宮さま)は大きな声で泣かれていたというエピソードはよく聞く話だった。
孤立を深める皇太子ご一家、対する秋篠宮家は──
そんなおふたりのきょうだい仲に軋轢(あつれき)が感じられたのは、陛下が皇太子時代のこと。いわゆる世継ぎ問題をめぐって、お子さまを授かるための環境作りの一環で皇太子ご夫妻の公務は減って、秋篠宮ご夫妻に公務の負担が多くなったことや、天皇・皇后両陛下(当時)に多大なご心配をおかけしているといったことなどから、皇太子ご夫妻と隔たりがあるようだったと言われた。
それが顕著になったのは、皇太子さまによる「人格否定発言」(2004年5月)。
「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実」
と発言した同年11月の誕生日会見で、秋篠宮さまはこう苦言を呈したのだった。
「記者会見という場所において発言する前に、せめて陛下とその内容について話をして、そのうえでの話であるべきではなかったかと思っております」
さらに皇太子さまが、今後の時代とともに変わる公務のあり方について考えていきたいということについても、
「自分のための公務は作らない。私は、公務というものはかなり受け身的なものではないかな」
と異論を唱えられた。
皇太子さまは、公務を黙々とおひとりでこなされ、療養中の雅子さまに寄り添われながら、幼い愛子さまの子育てにもかかわられた。
このころの宮内庁幹部たちは、雅子さまに献身的にかかわっている皇太子よりも、秋篠宮さまのほうが皇室の安定をよく考えられていると称賛していた。
同時に皇太子ご一家は、孤立していった。報道も雅子さまの批判から皇太子さま批判へと移り、当時の宮内庁長官ですら、皇太子さまの「公務の先が見えない」と公に批判するほどだった。
秋篠宮さまの存在が決定的になったのは、翌2005年、妹の紀宮さま(現・黒田清子さん)のご結婚からだった。お相手の黒田慶樹さんは、秋篠宮さまの同級生で、秋篠宮邸に何度も訪れていたことから、キューピッド役を買われたのではないかともいわれた。
’06年には、悠仁親王殿下がご誕生。41年ぶりに誕生した皇族男子だった。秋篠宮さまの存在は、天皇・皇后をご安心させただけではなく、安定した皇位継承を保てた救世主としても大きなものだった。
以降、秋篠宮さまは天皇の定年制や天皇陵のあり方、400年ぶりとなる天皇・皇后両陛下の火葬の是非といった皇室の諸問題について次々と発言なさり、天皇陛下のお気持ちを反映なさっているようだった。
メディアの中には「秋篠宮が天皇になる日」「秋篠宮さまを天皇に」といった記事が出るようになり、書店には“廃太子論”の出版物まで並んだ。
天皇家は揺らいでいたように見えた。’12年からは美智子皇后の発案で、天皇ご一家が意思疎通を図られる場として、陛下、皇太子さま、秋篠宮さまの三者会談が月1回、開かれるようになった。宮内庁長官も同席しての意見交換を行う会談は、天皇陛下がご退位なさる直前まで続いた。
ごきょうだいの関係性のゆきつく先とは
’19年、新天皇が即位されて、時代は「令和」を迎えた。御代替わりに伴い、秋篠宮さまは皇太子待遇の皇嗣となった。今上陛下は、のちに秋篠宮さまが「立皇嗣宣言の儀」で述べられた言葉を「心強く聞きました」と会見で語られた。
今後も陛下と秋篠宮皇嗣の二者会談は継続されるのかが注目されたが、いまだ実現はされていない。その理由について宮内庁のOBは、
「陛下は即位関連行事でお忙しい日々を送られており、秋篠宮皇嗣殿下も『立皇嗣の礼』の儀式のご準備がおありになった。会談とは言わないまでも儀式のご確認などで、お話をなさる機会はあったそうです」
と話す。
台風などの自然災害や新型コロナウイルスの影響で、両陛下の祝賀パレードをはじめ、秋篠宮さまが皇嗣となったことを内外に示す「立皇嗣の礼」も延期の末、祝宴は簡素化されて行われた。
皇室の公務は全体的に減り、現地とオンラインを結んでの“オンライン公務”が行われるようになった。両陛下はオンラインで医療従事者や高齢者や障がい者の仕事や活動の場などをご覧になり、現場の声に耳を傾けられた。
陛下と秋篠宮さまは、新型コロナウイルスに関するご進講をたびたび受けられた。専門家から話を聞かれて、ご自分たちでも海外の感染者数の広がり方やワクチンのことなどをお調べになったと言われている。
両陛下がお住まいになっていた赤坂御用地内にある赤坂御所と秋篠宮皇嗣邸のパソコンもオンラインでつながれて、適切に情報を共有なさってこられたという。
秋篠宮ご一家は、昨年5月、病院で不足しているといわれた医療用ガウンをご家族で手作りなさって、現場に届けられた。秋篠宮さまは、ガウンのアイデアを実行なさることも陛下にお話になったと言われた。
晴れて眞子さまがご結婚をなさり、新型コロナウイルスによる感染も終息すれば、陛下と秋篠宮さまの円滑な意思疎通は今後、より図られることだろう。ご性格の違いがあるからこそ、合致したときの令和の皇室像は、確固なものになるのではないだろうか。
(取材・文/友納尚子)