福太郎師匠との“お別れ”を経て
奈々福さんがその演目をうなるとき、曲師はもちろん豊子さん。この2人の掛け合いがまたおもしろい。漫才のコンビのようなもので、浪曲師が三味線に引っ張られて、普段は出ないような声が出ることもあるし、曲師がうまく手綱をさばくこともあるという。このコンビができあがるには、あの2年間の同居生活が必要だったのだろう。
「私は新作も書いていますから、2人でこたつに足を突っ込んで、書いたものをまずおっしょさんに見せる。“ここはどんな節にするつもりだい?”と聞かれて、小声でやってみる。すると、おっしょさんが、口三味線をつけてくれる。2人でそうやって作品を作っていくのが、楽しくてたまりませんでした」
このコンビ、舞台の上でも三味線と声で丁々発止(ちょうちょうはっし)。それがまた作品を大きくしていく。
「おっしょさんは84歳になられましたので、(公演などが)あまりに長旅だと、ちょっともうお願いできないんです。そうすると“アタシは置いてきぼりにされたんだよ!”と楽屋で言いふらすんですよ(笑)。大先輩だけどケンカもするし、親子以上の濃すぎる関係かもしれませんね。私にとって、福太郎の弟子になったことと、豊子師匠に巡りあえたことは最大の幸せです」
2007年、入門して12年たったとき、福太郎さんが農作業中、事故に遭ったと連絡が入った。田植え機の下敷きになったのだ。そして福太郎さんは旅立っていった。各方面への連絡、通夜や葬儀。あわただしく過ごしたあと、奈々福さんの心の中にぽっかりと穴があいた。
だが、受けている仕事はしなくてはならない。もう浪曲を聴くのもつらい、うなるのもつらい状態で、彼女は舞台に立っていた。
「それでも少しは自分の中で変化がありました。1か月後、師匠の代役を引き受けて演じている最中、物語に浸りきって、現実を忘れていたことに気づいたんです。少しだけ心が癒やされるのを感じました」
聴く側にとっても、それが浪曲の魅力のひとつでもある。人の声だからこそ、心にすんなりと入ってきて、“物語を聴いている”というより、“その物語の中に自分も加えてもらっている”ような気持ちになれるのだ。小屋から出たとき、入る前より心がやわらかくなっている気がする。
(取材・文/亀山早苗)
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玉川奈々福さん出演公演
『第54回豪華浪曲大会記念「浪曲、未来を拓くために!」』
2021年10月23日(土)、江戸東京博物館大ホールにて、昼の部・夜の部の2公演開催。
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