「鳥獣人物戯画』から漫画史がスタート

 と、まぁ「いつ漫画的な表現が始まったか」を探ると、けっこうあやふやなわけだ。ただ「日本の漫画史」としたとき、基本的に「漫画の元祖=鳥獣人物戯画」とされる。ここでも、その習わしに従おう。

『鳥獣人物戯画』は、みなさんご存じだろう。ウサギやらカエルやらが修学旅行なみのテンションではしゃぎまくっているアレだ。ちなみに当時は、如来(にょらい)や菩薩(ぼさつ)を描く「仏絵」や、風流を描く「やまと絵」が主流だった。そんななか、急に”ひょうきんすぎる絵”が現れたのである。いやもう完全に突然変異だ。「急にどうしたおい」とツッコみたくなる。

『鳥獣人物戯画』は「鳥羽僧正覚猷(かくゆう)さんが描いたんじゃないか」という説もあるが、真偽は定かでなく作者は不詳。描かれた時代と筆致が違うことから「たぶん、数年にわたって何人かの手で描かれたんじゃないか」なんていわれています。

 覚猷さんが疑われているのは、彼は当時から珍しく、風刺のきいた「戯画」をよく描いていたからだ。なので、この人が「漫画の始祖」といわれることもある。ほかには『放屁合戦』『賜物(男性器)比べ』なんかが覚猷さんの作品だ。「大僧正なのに、代表作がまさかの下ネタ」という、ちょっと面白すぎる人である。

 ちなみに、当時の説話文学『宇治拾遺物語』に覚猷さんが登場するが「“えさい、かさい、とりふすま!”と謎の奇声を発しながら浴槽に飛び込むのが入浴時の癖(くせ)」という、べらぼうにヤバい人として描かれている。そして、甥(おい)っ子によって浴槽に碁盤を隠されており、飛び込んだ拍子に尾てい骨を強打して気絶してしまうという過激派のドリフみたいな話まで書かれているのだ。

 主に彼が描いていた「戯画」は「嗚呼絵(おこえ)」とも呼ばれていた。これは、今の「漫画」と似たような意味の言葉。「嗚呼(おこ)」は「烏滸(おこ)」の当て字で、「烏滸」とは今でいう「馬鹿」を意味する。

 実は平安時代、鎌倉時代には一部の人たちの間で、こうした「嗚呼絵(おこえ)」や「烏滸話」という「クスッと笑える作品」が流行(はや)っていた。

 世間的に戯画がちょっとしたブームになっており、『鳥獣人物戯画』が複数の人間によって描かれた可能性があるということは、つまり平安時代には「コミケの同人誌サークルとファン」みたいなコミュニティーがあったんじゃないか、とも考えられる。