『一休骸骨』から盛り上がりを見せる“漫画感”

 そんな『鳥獣人物戯画』から約400年、ホラ貝吹きまくりの戦国時代を終えて、江戸時代に突入。すると寺子屋が開かれ、庶民でも「読み書き」ができるようになる。江戸時代初期の寛永年間には出版業が出てきて、読み物が民衆文化として育っていき、読書好きの人間も増えていく。

 小学校のときなんかに、配られた瞬間に国語の教科書を開いて中の小説を読み進めていた文系人なら、この「読むことに夢中!」って感覚がわかるかもしれない。

 漫画の歴史でいうと、「ぽくぽく……ち~ん」でおなじみの一休宗純(いっきゅうそうじゅん)さんが、『一休骸骨(がいこつ)』という「仏教の教え」を説いた本を出版する。今考えると、タイトルが攻めすぎててマジでヤバい。

 この作品は基本的に文章だけで構成されているのだが、一部だけは骸骨がダンスしていたり、籠(かご)を運んでいたりと、ものすごくユーモラスに描かれている。また、すでに「コマ割り」があって、吹き出しとまではいかないがコマ内にセリフもあり、かなり”漫画感”が増しているのである。

 あ、そういえば一休さんも覚猷と同じく、数々の奇行で知られるお坊さんだ。なんだ、この奇妙な共通点は。ヤバめな僧は漫画を描きたくなるのだろうか。

 このあと、江戸時代中期の「元禄年間」になると、庶民が「楽しんで読める書物」を求めるようになる。難しく書かれた『仮名草子』という本に比べて、どこか面白おかしく書かれた『浮世草子』が京都・大阪の上方から江戸まで流行りまくり、ベストセラーもガンガン出てきた。今だと“本格派の小説好きに対するラノベ好き”みたいな感覚に近いかもしれない。

 で、1700年代からは『浮世草子』と同じように、「単純な線で、何かを誇張ぎみ、または風刺っぽく描いた絵」がブームになっていく。これは「鳥羽絵」と呼ばれ、今の「漫画」という単語に近い意味をもつ。この「鳥羽」は、もちろん平安時代の鳥羽僧正覚猷さんからきている。

 そして、ついに「漫画」という言葉が生まれたのも、このころだ。一説によると、北尾政演(山東京伝)が絵本『四季交加(しきのゆきかい)』の中で初めて使ったとされている。ただ、当時はまだ「鳥羽絵」派が大多数で、市民権を得た言葉ではなかった。

葛飾北斎の鳥羽絵

 そんななか、あの名絵師・葛飾北斎が『北斎漫画』を出版。彼は「(普段の浮世絵に比べて)気の向くまま、さらさら~っと描いた絵を“漫画”と呼ぶんだぜ」と、キッパリと宣言している。

『北斎漫画』はいわゆるコマによって時間経過をはっきり示したのが特徴。より今のマンガの表現に近づいてきた。『富嶽三十六景』をはじめとした、あの躍動感に満ちた浮世絵で知られている北斎だが、彼もまたユーモラスで冗談好きな人なのである。

葛飾北斎『北斎漫画』