那須でのご静養時、散歩に出かけられ笑顔を浮かべられる雅子妃と愛子さま(2002年8月)

誹謗中傷にさらされて

 雅子妃のご体調は、このころがもっとも悪かったといわれたが、なんとか子育てをなさろうと必死だったといわれた。だが、同年に帯状疱疹で入退院をなさったあとに、ご療養生活へ入られた。2004年7月に「適応障害」とご病名がついたときには、愛子さまは、まだ2歳だった。

「ご公務をなさることは無理でしたが、子育てならばできるはずだと頑張っておられました。それでも身体に力が入らずに起き上がれないことや、壁にもたれかかって、愛子さまを見守っていらっしゃることもありました」(元東宮職)

 雅子妃がご療養生活に入られたことや、同年4月に皇太子さまがいわゆる「人格否定発言」をしたことで、宮内庁内外で物議を醸(かも)すこととなり、マスコミも両殿下を批判し続けた。ハレーションは愛子さまにも及んで、

「ご教育が悪いからご挨拶ができないのではないか」「お言葉が遅いのや笑わないのは、ご病気ではないのか」といった憶測が宮内庁の中から発信され、メディアやネットによる誹謗(ひぼう)中傷が広がった。当時の林田英樹東宮大夫も定例会見で「事実無根」と否定したが、情報は拡散されていった。

 そして、両殿下は愛子さまが3歳のときに、皇太子さまがビデオカメラで撮ったホームビデオを公開するご決断をなさった。

 愛子さまが大好きな絵本『うずらちゃんのかくれんぼ』を読み上げられて「パパも」とせがまれ、ご一緒に音読なさるという微笑(ほほえ)ましいやりとりが映しだされていた。

「天皇ご一家のご様子の映像には、通常は声が入らないため、肉声が入ったビデオは異例のものでした」(当時の宮内記者)

 ご夫妻は、雅子妃がご療養中であることからご自分たちは何を言われてもしかたないが、幼い愛子さまのプライバシーは親が守る、という姿勢を強くお持ちになっていた

お庭でミカン狩りを。愛子さまはお弁当作りで雅子さまを手伝われることも……(2005年12月) 宮内庁提供

相撲や言葉遊びに強いご関心

 お住まいでは、ご一家で相撲中継をご覧になることが多かったという。皇太子さまは、お時間のあるときに欠かさず相撲中継をご覧になるというほどの相撲好きとして知られる。

 愛子さまも皇太子さまと遊びで相撲をとられたことがきっかけで、相撲観戦をなさるようになったが、やがて、力士のフルネームや出身、番付なども覚えられるほどの相撲ファンになった。

 皇太子さまが公務で愛知県に行くと告げると「琴光喜のところ(出身地)でしょ?」と、うれしそうに質問されたり、モンゴル訪問時に皇太子さまが「朝青龍や白鵬の国に行くよ」というと、ご興味を示されたりしたという。

 実際に、皇太子さまが朝青龍の父親と面会した際に、愛子さまが朝青龍の本名の「ダグワドルジ」まで知っていると明かされた。

 愛子さまは、東宮職の名前や役職名にもご関心が高かった。「ノムラトウグウダイブ(当時の東宮大夫)」や「ウドネリ」、「ニョカン」などカタカナで名前や役職を書かれるという可愛らしいエピソードがあった。

 皇太子さまは以前、ご夫妻が子どものころに百人一首に親しんだことに会見で触れて、愛子さまにも「七五調の言葉遊びが楽しめるように、と思っています」と希望されていた。

 その後の会見で、皇太子さまは「相撲をテレビ観戦しながら“だれだれに、星がついたよ、うれしいな”と七五調の文を作るなどしています」と、微笑ましいご様子を述べられた。(続)

(取材・文/友納尚子)

【小学校に入られた愛子さまのご様子を中心に綴った第2弾は、明日12/14(日)の12時に公開いたします】