戦争について熱心に学ばれる愛子さま
2015年は戦後70年という重要な年だった。中学2年生になった愛子さまは、その年の夏、両殿下とご一緒に「昭和館」(東京・九段下)と「日比谷図書文化館」(東京・日比谷公園)を訪れた。公務で戦争に関連する施設を訪問したのは、初めてのこと。
戦中戦後の歴史的資料を展示する「昭和館」の特別企画展「昭和20年という年~空襲、そして復興へ~」では、まず3階の会場に向かわれて、1945年の終戦当時の写真や手紙などをご覧になった。
「愛子さまは、国民学校の女子児童が終戦を告げた昭和天皇の“音玉放送”を聞いて書いたという作文を熱心に読まれていました。女子児童と年齢が近いということもあり、強い衝撃を受けられたそうです」(元宮内記者)
「日比谷図書文化館」の企画展示会「伝えたい、あの日、あの時の記憶」でも、展示されていた傷痍軍人(しょういぐんじん)が身に着けていた2種類の義手に見入られて「これも義手なんですね」と尋ねられたという。現場にいた宮内記者らは、愛子さまが展示物を丁寧にご覧になっていたのが、印象的だったと語った。
愛子さまは、お住いの赤坂御所に戻られてからも太平洋戦争について皇太子に質問されるなど、戦争へのご関心は続いていた。
「質問のあとには、宮さまご自身でも書物でお調べになってご確認されるという探求心ぶりでした。前年の伊勢神宮への参拝後もそうでしたが、長い歴史を感じられて、そこにご自分も重なっていると思われることが、未成年皇族として重要なことではないでしょうか。皇太子殿下がそうであったように、宮さまも殿下と同じお気持ちを継がれていらっしゃると思いました」(宮内庁関係者)
皇太子さまは、愛子さまが戦争について学ばれたことについて、
「愛子にとって勉強になり、いい体験になりました」と感想を述べられている。
両殿下は外国訪問先のトンガから戻られたばかりで、療養中の雅子妃も前年から重要な公務に立て続けに出られるなど、ご体調は上向いていた。2年ぶりとなった外国訪問だったが、帰国後もお疲れが何日も残るということはなかったという。
愛子さまは、雅子妃が病に立ち向かい、国内外の務めを果たされようと努力しているご様子を身近で見てこられた。戦争と両殿下の務めのあり方を学んだ年だった。
このころになると、前年からの不規則登校はすっかりなくなり、学校行事の運動会などでは随所に笑顔が見られるようになっていた。
「学校が休みのときには、お友だちとご一緒にホテル内のボウリング場や水族館、ディズニーシーなどに遊びに出かけられるなど、勉強に運動、お友だちとの遊びに充実した毎日を過ごされていたようです」(学習院関係者)
2016年、中学3年生という最終学年を迎えられた愛子さまは、精力的なご活動が続いていた。両殿下も愛子さまを公務にお連れになる機会が増えていた。ご一家で映画館や美術展をはじめ神武天皇陵と京都御所への訪問(7月)や長野県での「山の日」を記念した初の式典にもご臨席(8月)。愛子さまは、ご静養先でも居合わせた人たちと気軽に交流された。