“激ヤセ”の時期を乗り越えられて

 ご活動が広がれば、メディアの露出も増える。

 季節は夏ということもあり、いくぶんほっそりとされた愛子さまに、お友だちや赤坂御所を訪ねてきた人たちから「痩せてきれいになったね」と言われたことがきっかけだった。

 愛子さまは、幼いころから報道陣に囲まれて育ってこられたが、このころ、写真や映像を通じて人から称賛されるということを知ったといわれた。外見を気になさるのもご成長のひとつ。思春期ならではの乙女心だったのではないだろうか。

 以来、愛子さまはダイエットに励まれて、夏を過ぎた9月ごろには胃腸の調子が悪くなり、ふらつきが見られるまでになった。脱水症状などもあり、大事をとって学校を長期欠席せざるをえなくなった。  

15歳のお誕生日を迎えられたころには“激ヤセ”が心配された 写真:宮内庁提供

 雅子妃と愛子さまの「食べなさい」「食べない」の押し問答が続いたという。愛子さまは次第に喉ごしの良い蕎麦や豆腐といったものばかりを好んで召し上がられるようになり、体調は安定しなかった。

 3学期のころには、最も痩せられていたが、欠席まじりながらも登校はできるようになっていた。見た目よりはお元気なご様子で、激ヤセでの心身への影響は深刻化することはないだろうというものだった。

 卒業記念文集で「世界の平和を願って」という作文を発表。中等科3年の5月に3泊4日の修学旅行のなかで行った広島市の原爆ドームを前に

〈私は、突然足が動かなくなった〉

〈これが実際に起きたことなのか、と私は目を疑った。平常心で見ることはできなかった〉

 と、つづられた。

 平和記念資料館の展示を見て、原爆が何十万人の命を奪ったことに〈怒りと悲しみを覚えた〉という。そして〈日常の生活の一つひとつに感謝し、他の人を思いやることから「平和」は始まるのではないだろうか〉として、

〈唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に発信していく必要があるのだと思う。「平和」は、他人任せにするのではなく、ひとりひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから〉

 この作文は、後に日本人女性で初の国連事務次官就任した中満泉さんが、現在の両陛下と面会なさったとき(2020年)に、雅子皇后からコピーを手渡されたという。

 中満さんは感銘を受けて、自身のツイッターでも愛子さまの作文の一部を紹介した。

 学習院女子高等科に進学した愛子さまは、食事は元どおりになったと言われたが、過激なダイエットによる免疫力の低下で、風邪をひきやすかったり、疲れやすくなったりしていたという。

 季節はまた夏になり、愛子さまは少しふっくらとなさっていた。静養先の那須御用邸のある那須塩原駅のロータリーでは、愛子さま自ら出迎えた子どもに声をかけられるなどお元気なご様子だった。