『のらくろ』人気が高まっていた1930年代前半、日本はだんだんと戦争に向かっていきます。特に出版業界というのは「日本軍に不利なこと書くなよ~」と軍部ににらまれていたわけで、「ワンちゃんが大尉を務めている漫画」なんて、もうぶっちぎりでアウト。それで、設定的に退官せざるを得なくなります。

 で、除隊後に満州を開拓しに行く『のらくろ大陸行』(のちに『のらくろ探検隊』)としてリニューアルするのですが、結局「貴重な紙資源をギャグ漫画に割くな」と怒られてしまい、1941年に連載終了となってしまいます。

 なんだか悲しい結末のように見えてしまいますが、戦後にのらくろはカムバックします最終的には戦地から戻って、悠々自適に喫茶店のマスターをするんですね。このあたりの設定のリアリティがすてきすぎる。

戦争中に軍事利用されるキャラクター・フクちゃん

 1930年代は、新聞4コマがまだまだ大人気なのも特徴です。「あの新聞4コマ、面白いらしいぜ」と話題になって発行部数が倍になる、みたいな時代でした。

 なかでも1930年代後半は横山隆一作『江戸っ子健ちゃん』が人気で、特に、主人公の健ちゃんよりも、登場キャラクターのフクちゃんが愛されていました。それで、スピンオフ的な感じで1936年に『養子のフクちゃん』が東京朝日新聞の夕刊でスタートします。

「フクちゃんシリーズ」は改題しながら終戦間際まで連載されました(途中、作者が従軍したため一時中断)。ほとんどのらくろと入れ替わるようなタイミングで、国民的なキャラクターになるんですね。

 のらくろと違ってフクちゃんは、戦争に入るとめっちゃ軍事利用されます。見た目は、ただの超かわいい男の子なのに、『フクちゃんの潜水艦』や『フクちゃん奇襲』という、ちょっと過激すぎるタイトルのアニメ映画が作られるんです。ちなみに、ジャワ島で敵軍から奪った飛行機に横山さんがフクちゃんを描くこともありました。

 写真にあるように、「可愛いフクチャン南へ進撃」という見出しが強烈ですね。今考えたら完全に狂気の沙汰ですが、当時はなんせ、総力戦でした。漫画家が軍部に逆らっては生きていけない時代だったんですね。つまり、フクちゃんは国民の士気を高められるくらい、影響力のあるキャラクターだったわけです。

「戦争士気を高めるため」アニメの制作技術が向上

 そんな戦争下の漫画の状況について触れておきましょう。戦時中、出版物はすべて軍部チェックが入るわけですから、出版業界はとんでもなくつらい時代です。そんななか、漫画に比べて技術を高めていったのは「アニメーション」でした。

 大正時代〜戦前の時代にもアニメ作品はありました。ちなみに1920年代くらいから、海外のアニメーションではセルロイド版に絵を描く「セルアニメ」が主流でした。ただ、戦前の日本ではセルロイドが高価だった。なので、個人や少人数の工房で作られる戦前の日本アニメには、主に切り絵や影絵が使われています。

 それが戦時中にセルアニメが増えていき、アニメ自体の技術が高まっていきます。軍部主導なので膨大な予算があり、セル画を購入できたんです。このあと、1990年代にデジタルアニメが普及するまで約50年のあいだ、セルアニメが主流になります。皮肉なことに、その制作技術が高まる最初のきっかけは「戦争士気を高めるため」だったんですね。

 アニメは軍部が予算をつぎ込むくらい、めちゃくちゃ影響力の強いメディアだったんです。ディズニーでも、ドナルド・ダックが日本兵をボッコボコにする、みたいな作品を作らされていたり……。

 海軍省の依頼で松竹が製作した長編アニメーション『桃太郎 海の新兵』は、そんなディズニーの映像を参考に作られた作品です。10代だった手塚治虫がこの作品を見て「日本でもこんなに高いクオリティのアニメを作れるのか」と感涙したといいます。

 太平洋戦争から約80年、ディズニー映画が日本で大人気になったり、日本のテレビアニメを海外の人が絶賛したりするのを見ると、反動で「戦争の怖さは人を傷つけることだけじゃないな」と素直に思います。

 戦争から派生した作品によって、個人の思考や常識が変わってしまうのが恐ろしい。「嫌いな人」が何億人も生まれてしまう。そして、目的達成のために暴力的な作品を肯定してしまうようになる。恐ろしいですよね。

 反対に、戦時中の作品を見ると「よし、人に優しくあろう」とも思えます。優しくなりたいときは『アンパンマン』みたいな優しさMAXの作品を体験するのもいいですが、戦時中のプロパガンダアニメを観るのもおすすめです。