自分の意志で子どもを産まない選択をする、私と同じような女性たちがいる。
私が「子どもは欲しくなくて」と言うと、安心したように「ずっと自分もそう思っていた」と打ち明けてくれる友人もいた。
「この話、同じ考えの人じゃないと話せないんだよね。家族にすら言えていない」
最初はそう言っていた友人もいたが、1年後に会うと、明るい表情をしていた。
「周囲に同じように考えている人がけっこう多いってわかったんだよ。その人たち、いろいろと考えたうえで、子どもを産まない人生にしようって決めたみたい」
まだ出産経験のある友人・知人が少なかった20代前半と、子どもを産む同年代が増えた20代後半から30代前半までを経て、30代半ばのいま、「実は私もそうなんだ」と言う人が増えた。
ただ、「子どもを産むべきだとか、産んだほうがいいよ、とか勧めてくる人には言えない」というところは変わっていない。
私の「なぜ子どもは欲しくないと言いにくいのか」という問いは、今も胸のうちにある。
《筆者が「自分は子どもが欲しいとは思わない」という感情を持っている気づき、その思いにまつわる20代〜30代前半の経験をつづった第1弾→【私はチャイルド・フリー#1】「子どもが欲しくない」は悪? 自分の意志で“持たない選択”をするということ》
「チャイルド・フリー」という考え方を知って
自分を含め、既婚者で子どもを持たないと決めている人が、よく聞かれることがある。
「子どもが欲しくないなら、なんで結婚をするの?」
「産めるなら産んだほうがいいよ」と同じくらい言われるのだが、この質問を投げかけられるたびに、自分が結婚と出産を結びつけて考えていないことに気づかされる。
子どもを作ることが前提でないと、結婚を望んではいけないのだろうか。好きな人とふたりで暮らしたいと願い結婚することは、いけないことなのだろうか。
分けて考えることは、できないものなのだろうか。
数年前、私の考え方は「チャイルド・フリー」と呼ばれるものに近いと知った。個人として子どもを持たない人生を充実したものだと考える人たちを指す言葉である。
それなら、まさに私だ。
チャイルド・フリーは欧米を中心に注目され、アメリカの代表的な新聞のひとつ『ニューヨーク・タイムズ』や、世界初のニュース雑誌として発行され、今も多くの人に読まれる『タイム』で特集も組まれている。
一方で、チャイルド・フリーと混同されることが多いのが「反出生主義」である。
これは、産む自由を認めず生殖はするべきでないとする思想であり、あくまでも個人の自由で産まない選択をするチャイルド・フリーとは大きく異なるものだ。
私は、子どもを産まない選択とともに、産む選択も尊重されてほしいと考えているので、チャイルド・フリーの立場なのだと調べながら自覚した。