実家の2階に住まわせてもらったのはありがたいことだったが、所詮、ここは母の家でわたしの家ではない。わたしとしては、月々の家賃も払っていたので、本当は堂々と暮らしていいはずだったが、居候のような気分になり、自分を失いつつあるのを感じていた。

 日に日に、母がいるというだけで息が詰まりそうになってきた。母の物音が気になり、ちょっとした言葉もつっかかるようになる。会話もなくなる。自立した自分だったはずなのに、わたしは奴隷になった気分がした。でも、グレがいたのでわたしは実家にいられた。

 仕事から帰ると、グレがぐるぐるしながら玄関で待っている。「ごめんね」と中に入ると、グレはダダダダと一目散に階段を駆けあがる。そして踊り場でわたしを待つ。暗い階段の上に鎮座するグレは、まるで猫神社の猫神様のようだ。

階段の上に鎮座するグレちゃんは、まるで猫神様!

母との同居生活を続けられたのはグレのおかげ

 グレがいたから母との困難な生活も続けられたが、母親との同居はおすすめできない。はっきり言おう。やめたほうがいい。お互いに失うものが多すぎる。言い方は悪いかもしれないが、身内というのは近づけば近づくほど嫌になる存在だ。なぜなら、友達は嫌なら縁を切ることができるが、身内はそういうわけにはいかないからだ。ましてや親となると尚更だ。

 もし、親といい関係でいたかったら、近づきすぎないことだ。そう、親とはスープの冷めない距離ではなく、スープの冷める距離に住むのがベストだ。

 世の中で起きている悲惨な殺人事件をみればそれがわかる。殺人の多くは夫婦、親子間で起きている。わたしは思う。相手が悪いのではない。距離が悪いのだと。距離が近くていいのは、猫だけだ。グレがいたからわたしは精神内科に通わなくてすんだ。本当にそう思っている。

 わたしはこれまで、引きこもりの人のことは人ごとだったが、初めて、引きこもりの人の気持ちを理解することができた。なんでも、自分が経験しないとわからないものだとつくづく思う。

 そんなに嫌だったら実家を出ればいいのに、と言うかもしれないが、わたしには迷いがあった。それは自分の年齢と母の年齢だ。若ければ新しいマンションを買い、グレと出るだろう。しかし、わたしはもうすぐ70代に、母は90代になろうとしていた。どうしよう。どうしよう。と考えているうちに5年が過ぎようとしていた。

*第7回に続きます。