建材大手で売り上げトップを記録、転職先でも営業本部長に
そんな才能の開花をきっかけに、営業職を中心として就職活動を行った兼子氏。さらに、高校時代からの夢である《日本一になりたい》という思いも重なり、建材業の大手の会社に営業職として入社した。
「営業の仕事がしたかったことと、日本でいちばん大きな建材企業だったこともあり、希望がかなった形です。新入社員のときには、仙台への配属希望を出しました。同期は東京を希望する人が多かったんですけど、自分の目標は、地方を回っていろんな経験をしてから東京の本社に戻ってくることでした」
希望は通り、1年目は仙台配属に。2年目からはどんどん頭角を現し、ほかの営業マンが月に平均4000万円ほど売り上げるところ、兼子氏は約8000万円を売り上げ、成績は常に1位。営業マンとして華々しい活躍をとげていた。
順風満帆に思えた会社員生活だったが、3年半であっさりやめてしまう。
「当時、深夜2時まで働いて朝5時には出勤する日々を送っていました。すでに結婚をしていて、幼い子どもがいたのですが、妻は毎日たった1人で子育てをしていたのがつらかったようで。今後について妻と話し合っている中、栃木でベニヤ板のカット業を営む義父から、“うちで働くのはどうか”と誘われたんです。同業者でもありますし、妻の実家で働くことで家庭も大事にできる。そう考え、転職しました」
兼子氏は妻の実家でも営業の力を発揮し、入社して約1年で、年商10億円だった家業を13億にまで押し上げ、すぐに営業本部長の肩書をもらえるまでになった。「このままいけば、義父のあとを継いで社長になれる、社長になってベニヤ板カット業で日本一を目指そう……!」と、未来への希望は膨らんだという。