会社を追い出され、うつに……自殺したいと思い詰める日々

真面目な表情もパシャリ。撮影は兼子氏が生まれ育った東京都大田区の羽田空港付近にて 撮影/渡邉智裕

 しかし突如、そんな未来に暗雲が立ち込める。「木材業界はカッコよくないから、あとは継ぎたくない」と言っていた妻の弟(義父にとっての長男)が突然、帰ってきたのだ。東京で服飾関連の仕事をしていたもののトラブルを起こし、父親のもとへ戻ってきたのだという。

「義父は、やはり実の息子が可愛かったのか、それとも地方独特の家督制度的な影響なのか……跡取りには妻の弟を推すようになりました。どうやら当時、義父が心酔していた占い師が、“長男を跡取りにしろ”と言った影響もあったようです。

 そして私はいきなり、営業本部長から倉庫番にされてしまったのです。それまでお客さんと話してガンガン仕事をとってきていたのに、フォークリフトでベニヤ板を上げたり下ろしたりするだけの日々になって。自分が何のためにこの会社にいるのか、どうすればいいのか、わからなくなってしまいました

 社長、そして日本一になるという夢を絶たれた兼子氏は酒びたりになり、妻にも当たり散らすようになった。「おまえの弟のせいで」、「おまえの父親のせいで……」そう妻に怒鳴ることしかできなかった。状況は悪化し、仕事もやめるしかなくなった。

 客観的に見れば義父が理不尽だし、ましてや会社に貢献した兼子氏を占い師の言葉に左右されて追い出すようなことは、明らかに不当だとわかる。しかし、あまりに追い詰められた兼子氏は、「自分がいなくなるしかない」「自分さえ死ねばいい」「仕事もないし、妻と子どもも、自分がいなくなることで義父のもとで幸せに暮らせる」とすら思うようになっていた。新卒時代から仙台、栃木と地元ではない場所で働いていており、義父の会社では同僚や仕事相手との交流を制限されていたこともあり、相談できる相手はいなかった。

「毎日のように自殺をすることばかり考えていたのですが、ある日ふと、義理の両親のことばかり考えていたことに気づいたんです。自分の親のことをここ数年、考えていなかった。国士館に通わせてくれて、金メダルを取るような選手と一緒に練習をするようなすごい経験をさせてくれた自分の親に対し、恩返しができていない……それに気づいたときに、“今ここで死ぬわけにはいかないのではないか”と、ハッとしたんです

 兼子氏はすがる思いで心療内科を予約。心療内科は初診の予約を取るのに3~4か月待つことも多い。しかし、奇跡的に3週間後の予約が取れる病院を見つけ、受診。うつ病と診断された。

「すぐに投薬治療を開始しました。それまでは布団からまったく起き上がれなかったのに、2週間くらいしたら、徐々に動けるようになっていったんです」

満面の笑みを取り戻すまでには、数々の試練があった 撮影/渡邉智裕
 
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 命を断つ直前で、なんとか心身の回復に向けて動き出した兼子氏。その後、兼子氏は今後の人生をガラリと変える“運命の出会い”を果たすことになる──。インタビュー第2弾では、うつ病を患った兼子氏が“第2の人生”を歩み出してからの悲喜こもごもをたっぷり語ってもらう。

(取材・文/松本果歩)
 


《INFORMATION》
兼子文晴(かねこ・ふみはる) ◎1979年生まれ、東京都大田区出身。国士舘中・高で柔道部に所属。国士舘大卒業後、建材大手の会社に入社。木材卸・加工販売会社を経て2013年、就労継続支援A型事業所を運営する「ミンナのミライ」を設立。その後、B型事業所を営む「ミンナのナカマ」も立ち上げ、2018年5月には「ミンナのシゴト」をスタート。現在はこれらの事業を束ねる「ミンナのミカタぐるーぷ」の代表を勤め、障がい者に寄り添った就労支援を行っている。