今もなお心に残り続ける、“正しさ”という名の刃

 しかしある日、その気持ちは、ぐしゃぐしゃになった。

 先生は私を理解しようと努めた。それだけではなく、私のクラスメイトたちに、私のことを「理解させよう」とした。

 あの日のあの時間だけ、記憶は鮮明で、今も思い出すと刃になって私に向かってくる。場面緘黙症の症状がなくなったのは12歳のときだったが、あれから30年以上たっても、その刃の鋭さは変わらない。

 きっかけは、先生から原稿用紙をもらったことだった。先生はやさしく言った。

「あなたが何を思ってるか、ぜんぶわかってあげたい。だから書いてくれへんかな」

実家の庭に咲くサフィニア。花言葉は「咲きたての笑顔」

 文章を書くことは好きだったし、実際に自宅で自分の気持ちを言語化して文章にしてみると、自分では思ってもみなかった言葉がするすると出てきた。

「話せないけど、友だちがほしい」  

 そうだ、これが私の本心なのだ。

 自宅で勉強机に向かい、ひたすらに自分の気持ちを文章にした。話せないせいで、クラスのみんなと友だちになれなくてつらいこと、話せないことが理由でいじめられて苦しいこと……。書く内容はどんどん出てきて、先生にもらった5枚くらいの原稿用紙のマスは、すぐに埋まった。

 先生が私を理解しようとしてくれる気持ちがうれしかったし、先生がどんなふうに返事をしてくれるんだろうと思いながら、次の日の休み時間に、文字で埋め尽くされた原稿用紙を渡した。先生は目を通したあと、少し泣いた。そして言った。

「これ、みんなの前で読むね」

 一瞬、何を言われているのかわからなかった。

 いま、言葉で表すなら、頭が真っ白になったのだと思う。だんだんと先生の口にした内容が脳にしみこみ、先生に対する信頼は恐怖に変わった

「いやです」

 せっかく授業以外で声が出せたのだが、泣いている先生はそれすら気づかず、自分がしようとしている「正しいこと」に夢中だった。

「あかん。あなたが苦しんでること、みんなに知ってもらわないと」

 涙があふれて、もう一度、先生の袖口を引っ張って「いやです」と言ったが、先生は私を振り払い教卓の前に立ち、授業開始のチャイムが鳴るのを待った。チャイムと同時に、クラスメイトたちが席についた。

「みんな、今日は勉強よりも聞いてほしいことがあるねん」

 私の作文を先生がひたすらに読む時間が始まった。先生は要約もせず、作文の内容をぜんぶ読んだ。教室は先生が話し始めてすぐ、静まり返った。

 クラスメイトたちの顔を見るのが怖かったので、私は自分の机に戻り、突っ伏した。小さな音も聞こえなかった。

 いやです、って言ったのに。

 先生に、先生だけに理解してもらうために書いた文章だったのに。

 先生が読み終えても教室は静かなままで、クラスメイトが何を考えているのか想像すると、胸がきゅっとした。

 晴れた日で、窓から光が差し込んでいた。だけど、突っ伏したきりの私の視界は闇に包まれていた。

浜辺での時間を楽しむ筆者。場面緘黙の症状は小学生のあいだ、ずっとあった

「みんな、クラスにこんなに悩んでる人がいるんです」

 作文を読み終わったあとに先生が言った、この台詞までははっきりと覚えているのに、そのあとどうなったのかは記憶にない。なんとか最後の授業まで乗り切って帰ったのだと思う。親にも妹にも、このことは話さなかった。

 このとき抱いた、「先生も私をいじめた人たちと一緒やったんやな」という私の感情は、30代半ばになった今も、私の心を揺さぶる。