「発達障害」という言葉は一般的になってきたが、当事者はどのような症状に悩み、苦しんでいるのか──。発達障害の当事者・江藤早絢さんの手記を2回にわたってお届けします。
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私は小さい頃から発達障害の傾向があった。
相手のことを考えない言動で怒らせたり、感情のコントロールができなかったり、相手と意思疎通がうまく図れないことがしばしばあった。
年齢を重ねるにつれてひどくなる症状……。精神的にも疲弊し、28歳の時に駆け込んだ精神科で「適応障害」「ADHD(注意欠如・多動症)」「ASD(自閉スペクトラム症)」だということが明らかになった。
今まで私は「なぜ、すぐに感情的になるのか?」「なぜ、相手のことを考えられないのか?」「なぜ、期日や時間を守れないのか?」ということが全くわからなかったのだが、精神科の受診が私の人生の転機となった。
今、発達障害の症状をよくしていくために治療を受けている最中であるが、自分の病気に気づくことは今後、障害と向き合いながらどう社会に溶け込み、生活していくかを考えるのに必要な第一歩であると思う。
この記事では過去に現れていた私の症状と、精神科でどのような治療をしたのか、そして私の思いを包み隠さずつづっていく。
どうして相手が傷つくのかわからない
小学校に入学すると、同じクラスの女子を泣かせてしまうことが幾度となくあった。
その状況を見ていた同級生たちが、転校する私のお別れ会に渡してきた文集で(転校先では)「友達を大切に」「泣かせるな」といった内容のものが多く書かれていた。
自分では泣かせるつもりなんてなかったけれど、どんなことをしたら相手が傷つくのかを考えずに話したり、行動していた。
また、私は機嫌が悪くなるのも日常茶飯事。当時、友達とシール交換をするのが流行(はや)っていたのだが、私は欲しいシールがないとむくれて相手を不快な思いにさせたりしていた。
転校後、小学2年生から5年生くらいまでは発達障害と思われるようなことは起きなかった。
しかし6年生になってまたその兆候が現れ出した。相手のことを考えずに傷つけるような発言をしてしまうことが増えたのである。
苦しい感情をどうやって抑えたらいいかわからず、感情が落ち込んだ際は突然、泣き出して周りを困らせることも多々あった。
先生に向かって怒りを爆発させてしまうこともあり、自分の感情を自分でコントロールできなくなってしまったのは、この頃が始まりだったように思う。
いじめに耐え続け、心を閉ざしていた中学時代
中学生時代は一切、発達障害特有の症状は出ていなかったと思う。
それもそう。中学3年間は男子からのいじめにずっと耐えていたからだ。
もともと自分の代の男子はやんちゃな人も多かった。ケンカして殴り合う人たちがいたり、給食カートを校舎から中庭に落とし、窓ガラスなどを破壊する事件を起こす生徒がいるような環境だった。
私がいじめられた理由は容姿。「気持ち悪い」などという理由で机を離されたり、消しカスを投げつけられていた。また教科書を踏まれたり、テストの点数を全員に発表されるなど、耐えかねるいじめをずっと受けてきた。
「怒ったり」「泣いたり」する感情は3年間全く出ておらず、ずっと耐えに耐えていた期間だった。
反抗したり、やり返したりする術を知らなかったために、耐えることしか選択肢が思い浮かばなかったからかもしれない。その耐えてきた反動で、高校や大学時代の症状の加速につながったのではないかと自分は考える。