人気の書道家、武田双雲(そううん)さん。2015年にネットの診断テストで、自身が発達障害のひとつである『ADHD』(注意欠陥・多動性障害)であることを自覚しました。その後、病院でも同様の診断を受けたそうです。どんなきっかけでADHDだと気がついたのか、症状との向き合い方について、YouTube『たかまつななチャンネル』でお話を伺いました。
「気づいたらみんないない」はぐれてばかりの少年時代
──今日は武田双雲さんに、『ADHD』についてお伺いしたいと思っています。
武田さん:ADHDと自覚したときは、うれしかったんですよ。
──なんと、うれしかったんですね。
武田さん:なんかね、小さなころから、人に全然ついていけなかった。例えば、野球をしていても、先生から期待されてピッチャーを任されているのに、肝心なときになって「雲がきれいだ」なんて、空を眺めちゃう。
──野球中なのに(笑)。
武田さん:それでチームが負けるじゃないですか。めちゃくちゃ怒られるんだけど、なぜ自分が雲を見たのかもわからない。怒られている最中も、怒っている先生の目が気になるんですよ。「ああ、こうやって顔が赤くなるんだ。ここでヘモグロビンが増えているのかな」とか(笑)。要するに、一部が気になると全体が見えなくなってしまう、ということがあって。
気がつくと、周りからみんながいなくなっているんですよ。高校時代でも、友達と買い物をしている途中で僕が落ち葉に夢中になってしまい、いつの間にかみんながいない、とか。今でも夢に、その情景が出てきます。衝動的に動いてしまうし、いろんなミスをしでかすから、何に対しても自信がなくなってしまう。でも、それがADHDの特性だと言われたときに「これ、俺のせいじゃないんだ」って思って、めちゃくちゃ楽になりました。
──生きづらさを感じることは、よくありますか?
武田さん:生きづらさというよりも「みんなが何をやっているか、よくわからない」って感じなんですよ。僕、本や映画も最後まで行きつかなくて。
──途中で何かが気になってしまうということですか。
武田さん:そう。今話していても、目の前のこれ(感染対策用のパーティション)が気になって。なんで、ななさん、そのスカーフをしているんだろうとか。
──なるほど、目の前にある情報が常に自分の頭の中に入ってくるんですね。
抑えられぬ衝動性もアーティストとしては「正解」
──ADHDとわかったのは、いつですか。
武田さん:'15年にネットのチェックテストで自己診断してみて、“ADHDらしい”、ということがわかった。先日はじめて、病院でも診断を受けました。「間違いなくADHDだけど、薬はいらない」と言われて。
──チェックテストでは、どんな項目があてはまったんですか?
武田さん:落ち着きがないとか、衝動的に何かをやってしまうとか。あとは、人の話が聞けない。見境いなしにひたすら話せる。僕、講演会をするときも、何も考えずに一発勝負で話をしますよ。作品をつくるときも、その場でパパパーって書いて、次の瞬間にはもう全然違うことをやっているんです。
──締切があるような仕事はこなせるんですか?
武田さん:書道家として作品を書いたり、文章を書いたりすることは、すぐにできるので。「明日まで」と言われたら「明日までだね、はい」って、パッとやる。だから仕事として成り立つんです。ほかの仕事はできないですよ。アルバイトだってうまくいかなかったし。アーティストっていう職業があってよかったなって。
僕はADHDの中でも、たぶん“衝動性”が強いんですね。突然、変顔をするとか、スキップを始めるとか。突然ですよ。でも、アーティストという立場になったら、時には「それが正解」ってなるんです。だって、いきなり周囲も驚くような行動ができる人間だから、常識を超えたことや、世界初の挑戦ができるわけじゃないですか。
──まじめな場面でも突然、変なことをしてしまうんですか。
武田さん:いや、例えば『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出たときに、いきなり変顔とかはしなかったです。頭の中では「徹子さんの頭の形が、ウ冠(うかんむり)みたいに見えるな。うわあ、“ウかんむりだなー”って言いたいな」とか、いたずら心が常にあるんですけど、言うのは我慢して。でも、この衝動性がADHDの特性だってわかったから、最近の僕はもう、首輪のとれた犬のように楽になりました。
──自分がADHDだと知ることによって楽になる。ほかにもそういう人がいるんだ、と。
武田さん:あとは、自分の「取扱説明書」ができたんですよ。これまでは、自分の中で諦めていいところと、諦めてはダメなところの境目がわからなかった。頑張ればできる、って思うじゃないですか。
でも、人から「ものを失くすな」と言われても失くしてしまう。それは僕の努力が足りない、あるいは僕の性格が悪いからだと思っていた。でもADHDだと知ったことで、それは直せないものなんだ、と。それなら「僕はものを失くしてしまいます」と先に言ってしまったほうが、周りも楽だし。できないことは、ほかの人に頼めばいい。そういう考え方に変えたことで、秘書や僕の妻、友人も楽になったと思います。
──ADHDと知る前は、秘書の方や奥さまとうまくいかなかったこともあるんですか。
武田さん:めちゃくちゃありました。だって僕、新婚旅行で海外に行って、何回も行方不明になったんです。妻から「もう別れよう」って言われて。「すぐにいなくなる人と、これからやっていけない」と。バス旅行だったんですけど、集団旅行ができないから。
──もともと単独でフラッと行動してしまいがちなのに、その上、バス旅行を選んでしまった。
武田さん:そのときはADHDだってわからなかったからね。でも、妻は結婚して3年くらいたったころに、気がついたらしくて。そういえば昔、妻が分厚い本を読んでたんですよ。本に『ADHD』って書いてあって。僕は知らないから「それ何?」って聞いたら「いや、なんでもない」って言われたの(笑)。だから、妻は僕よりもずっと前に、僕の特性を知っていたんでしょうね。