発達障害の当事者はどのような症状に悩み、苦しんでいるのか? #1(空気を読めず、同級生に「おかしな子」と呼ばれた私は発達障害だった。いじめに耐え、孤立していた苦悩の日々)に続き、28歳の時に精神科を受診し、「発達障害」と診断された江藤早絢さんの手記をお届けします。

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精神科受診でわかった発達障害。「つらかったでしょう」と先生から言われて

 現職でのトラブル、SNSでも同じように相手のことを考えない行動によって非難されたこと、そして今までの人生を振り返って精神的に参ってしまったこともあり、2021年7月、精神科にかかることを決めた。

 まず、小さい頃からの出来事や今まで起こした数え切れないほどのトラブルも話したところ、「適応障害(※1)」を持っていることが判明した。

※1 適応障害:日常生活の中で、何かのストレスが原因となって心身のバランスが崩れて社会生活に支障が生じたもの。原因が明確でそれに対して過剰な反応が起こった状態をいう。(出典:厚生労働省 e-ヘルスネット)

 また、病院の先生からは「適応障害以外にも大人の発達障害を持っている可能性が高いので、一度検査をしてもよろしいでしょうか」と言われ、翌月に「大人の発達障害検査」を受けることを決めた。

 その後、私は勤務先の一番の上長とマネージャーに今まで職場で受けてきたことや思い、そして「精神障害」を持っていることを話し、「しばらく休職をしたい」旨を伝え、2022年の12月まで休職することになった。

発達障害検査でわかったADHD・ASD

 2021年の8月下旬、私は1時間半ほどの発達障害の検査を受けた。

 その検査から2週間ほどで結果が出た。結果は「適応障害に加え、ADHD・ASD(※2・3)も併発している」というものだった。

※2 ADHD:幼児期に現れる発達障害の一。不注意(物事に集中できない、忘れ物が多い)、多動性(落ち着きがない、じっとしていられない)、衝動性(突飛な行動を取る、順番を守れない)などを特徴とする。脳の器質的または機能的障害が原因とされる。注意欠陥・多動性障害。注意欠如・多動症。多く、年齢が上がるとともに多動の症状は減少するが、不注意と衝動性は成人になっても残る場合があり、これを成人ADHDという。(出典:デジタル大辞泉)
※3 ASD:人との相互的な意思疎通や状況に応じた適切な行動がとりにくい、特定の物事へのこだわりが強く柔軟な対応ができない、といった自閉症の特性を示す発達障害の総称。自閉症・アスペルガー症候群・特定不能の広汎性発達障害を、境界のあいまいな連続した一つの障害として捉えたもの。自閉症スペクトラム障害。(出典:デジタル大辞泉)

「今までうまくコミュニケーションが取れなかったり、カッとなったり、相手のことを考えられなかったりするのは発達障害があったため。つらかったでしょう」と先生から話を伝えられた瞬間、とても気持ちが軽くなった。

 それまでずっと、「私はおかしい人間・だめな人間」と思ってきた。そして「生まれてきてはだめな人間だった」「私はいなくなってもいい」とも考えるようになっていた。

 しかし「おかしい」ことが、障害のひとつであったことを知り、今後、病院でしっかり治療をしていけば「普通の社会人として周りに溶け込むことができ、何事にもしっかり対応できるようになれる」との希望の光が見えたため、気持ちが軽くなったのである。

 また、先生の「つらかったでしょう」という言葉を聞いて、今まで閉じ込めていたつらかった、苦しかった気持ちがあふれ出し、診察室であるにもかかわらず、しばしの間、涙を流していた。

ADHDの治療薬「インチュニブ」との出会い

 その後、私は2021年12月に病院を転院した。

 理由は先生との相性。「発達障害」の診断を受けてから何度か診察を受けたものの、先生と私の考えにズレがあることが幾度かあったため、病院を変えることにした。

 転院先として選択したのは、ある大学病院の精神科であった。病院を変えたいということを大学時代の同級生に話したところ、大学時代にその同級生がお世話になった精神科の先生が丁寧でよかったという話を聞き、その病院に決めた。

 その先生に、今までの経歴や前の病院での治療内容などをお話ししたところ、「まずカッとなってしまうADHDの多動性を抑制するのに効く『インチュニブ』という薬を使って多動性の様子を見よう」ということになった。

 事前にインターネットで調べてADHDの治療には薬を使う、ということは知っていたが、その薬にはやや依存症があるという記述を見ていたので、使うことに抵抗があった。

 それでも、過去のようにトラブルを起こしたくないと考えた私は薬治療に取り組むことにした。

 インチュニブを飲み始めた当初は副作用の「眠気」「口の渇き」がすごかったものの、「治療のためだ」と思い、副作用に耐える日々を送っていた。

 1か月少しすると副作用にも慣れ始め、飲むことに抵抗はなくなっていた。また「カッとする怒りが抑えられている」と実感し始めたのも同時期くらいで、今では薬をしっかり飲んでよかったと感じている。

 インチュニブを飲み続けたことによって、トラブルになることは、その後、少なくなっていたように思う。

精神障害者保健福祉手帳・受給者証、そしてヘルプマークの取得

 大学病院を受診して2か月を過ぎたあたりから、先生から「精神障害者保健福祉手帳(※4)と自立支援医療(精神通院医療)受給者証(※5)を取得してみてはどうか」という提案がなされた。

「周りの人に自身の特性を知ってもらうのにとても役立つよ」ということで、すぐに区役所に手続きに行った。

※4 精神障害者保健福祉手帳:一定程度の精神障害の状態にあることを認定するもの。精神障害者の自立と社会参加の促進を図るため、手帳を持っている方々には、様々な支援策が講じられている。何らかの精神障害(てんかん、発達障害などを含む)により、長期にわたり日常生活又は社会生活への制約がある方を対象としている。(出典:厚生労働省 みんなのメンタルヘルス総合サイト)
※5 自立支援医療(精神通院医療):心身の障害を除去・軽減するための医療について、医療費の自己負担額を軽減する公費負担医療制度。(出典:厚生労働省ホームページ)

 区役所で手帳と受給者証を申し込んだところ、私の場合は約1か月半程度で受け取ることができた。

 私自身、手帳を取ることに抵抗はなく、少しでも周りに「障害を持っているため配慮をしていただきたい」という意思表示になると考えたからである。

 実際に、その意思を勤務先の全部署に伝えられたので、今も取得をしたことはよかったことだと思っている。

 また、取得をしたことで精神障害者雇用に変更することもできた。障害者雇用ではあるが正社員のままなのでとても助かっている。

 そしてヘルプマーク・ヘルプカードも利用している。

 症状が出てトラブルになってしまったとき、ヘルプマーク・ヘルプカードがあれば周りの方に援助を頼めることを大学病院の先生から聞いていたため、身につけることにしようと考えたのである。早速、話を聞いた日に地下鉄の駅事務所に取得しに行った。

ヘルプマークは、外見からはわからなくても援助や配慮を必要としている方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせるためのもの(写真はイメージです)

 当初、身につけていることで「差別の目を向けられるのではないか」と恐れていたものの、日常生活には影響がないこともあって、その後は肌身離さないようにしている。

「変わっている」「すぐ怒る」からといって人を非難したり、差別したりしてはいけない

 通っていた大学病院は新規患者を6か月までしか診察しないルールのため、2022年5月に新たな病院に転院した。

 3つめの病院となるのは、大学病院から紹介された「大人の発達障害」を専門に診る病院。現在はそこで薬治療を続けている。

 さらに、4月からは発達障害の支援をしてくださるセンターにも通い、生活する上での悩みやライフハックを相談している。

 診察や相談をする中で先生や支援員さんに私がいつも話すことが、「当事者の特性を一人ひとりがわかってくれる世の中になってほしい」ということである。

 今の世の中、ADHDやASDの特性をわかって対処している人は少ない。また障害でなくとも、「変わっている」「すぐ怒る」人を差別したり非難したりする傾向が感じられる。

 しかし皆が皆、好きでそうなっているわけではないのだ。

 みんなと同じようにできないから「おまえはだめだ」「使えない」と周りが非難するのではなく、できるように周りがサポートをしていく環境作りが今の世の中には必要なことであると思う。

 また、発達障害と診断されていない人であっても、普通の人と違うからと、その人を非難したり、嫌がらせをするのはおかしいし、間違っていると思う。

 できないことを少しでもできるようにするには、周りはどう対処・サポートしていけばいいのかを考え、その人に適切に対処していくことが必要だと私は考える。

 そして、この記事を読んで、自分が発達障害や適応障害の傾向があるかもしれないと感じた方がいたら、悩まずに、怖がらずに、恐れずに精神科や専門家に相談してほしいと思う。

(文/江藤早絢)

〈PROFILE〉
江藤早絢(えとう・さや)
北海道在住。毎朝食べる白米と卵焼きをこよなく愛しています。