大切なのは、子どもたちの“心を探す”こと

──さいたま地裁と東京高裁の理屈は同じです。教員の仕事の多くは自主的・自発的な判断に基づいて行われる。『自主的・自発的な仕事』と『校長に命じられる仕事』は実際には混ざっており、どこからどこまでが『命じられた仕事』だと区別できない。だから厳密な時間管理は難しく、固定の教職調整額を支払う今の制度は容認される。こういう理屈ですよね。

「自主的・自発的かどうかを決めるのは誰でしょうか? 雇用者ではなく、働いている本人のはずです。裁判官はそこを間違っています」

──そもそも『自主的・自発的な仕事』とは何ですか?

いま、ぼくが担任している低学年のクラスには、周りの子とうまく関われない女の子がいます。休み時間になると、“私は教室にいるのが好きなの”と言って、外に遊びに行こうとしません。ぼくは、その子と周りの子との関係をよくしたい。まずは、子どもたちに“一緒に遊びなよ”と声をかけました。その子はいったん遊びの輪に加わりましたが、たぶん、自分の思いを素直に言えず、心にないことを口走ってしまったり、相手が傷つく言い方をしてしまったのでしょう。また友だちの輪からはずれてしまいました。

 じゃあ、次はどんな声かけをするか。どうやって、その子の友だち関係をよくしていくか。ぼくはずっと考えます。どうにか援助しようとします。子どもたち一人ひとりの課題を見つけ、その解決をめざす。毎日8時間くらい一緒にいる担任だからできることです。実は、このような仕事が小学校教員の『自主的・自発的な仕事』なのです

──ふむふむ。

『自主的・自発的な仕事』に専念するためには

しかし、現在の小学校で校長から言われるのは、“そういう子どもの様子はパソコンに記入しておいてください”ということです。学校向けのコンピューターソフトがあり、そこに記入すると、すべての教員が見られるようになっています」

──「情報の共有」ですかね。管理職としては、何かトラブルが起きたときに、「学校は全く把握していなかった」と責められるのが嫌なのでしょう。

「“●●さんがこういう理由で学校を休んでいる”とか、“●●さんが今日、暴力をふるった”とか、パソコンに記入しておけというのです。前任校では、『毎週水曜に記入すること』というルールまでありました。でも、様子をパソコンに入れてもその子が変わるわけではありません。その子にとっては、教師による援助が大切なのです。文書をつくるのに最低1時間はかかってしまいます。全員分だと合計30時間です。ぼくはその時間がもったいない。そんな時間があれば、子どもとどうやって関わるかを考えたい。子どもたちの心を探すことに時間を費やしたいのです。

 パソコンに子どもの状況を記録するのは、校長から『命じられた仕事』です。子どもの心を探すのは『自主的・自発的な仕事』です。先ほども言いましたが、給特法は、特別な4項目以外には残業を命じてはいけないことになっています。それを厳守すべきです。そうすれば、先生たちは本来の『自主的・自発的な仕事』に打ち込めます。そういうことをしなければ、学校や子どもたちは、どんどん病んでいきます」

(取材・文/牧内昇平)