'90年代の女性が抱えていたジレンマとは? 欲望に従って生きた先にあったもの
──そういえば、著書『私という病』('08年・新潮社)では、ファッションヘルスと呼ばれる性風俗の店舗で体験取材を行った様子が書かれています。周りの反応はどうでしたか?
「“いわゆる身体を売るような仕事をしたんだから、誰とでもヤルんだろう”みたいに思われるのは違うじゃない。仕事の体験取材でやってるんだから……(苦笑)。だけど男性の中には、その境目がわかってない人も結構いましたね。体験取材を通してわかったのは、私って、男の人のことがずっと苦手だったんだなってこと。ホストにハマったこともあるけれど、心の奥では男性が怖かったのかもしれない。女子高生のころに痴漢されたし、コピーライター時代にも、おじさんからセクハラを受けたからね」
──著書の中では、東電OL殺人事件(※)について触れていますが、何か思うことがあったのでしょうか。
(※ '97年に、東京電力の社員だった女性が渋谷のアパートで何者かに殺害された未解決事件。被害者女性は、有名私大を卒業し東電に初の女性総合職として入社したが、退勤後には路上で客を勧誘し売春を行っていたとされ、昼と夜で“まったく別の顔”を持っていたことが議論を引き起こした)
「あの事件が報道されたとき、実際に身体を売るような仕事をしていたわけじゃなくても、“あの事件の被害者は私かもしれない”って感じた女性も多かったと思う。それは、社会の中で女性が置かれているポジションと、本来の自分との差に違和感を抱いていたからじゃないかな。きっと、みんな心のどこかで、“ふとしたときに自分は暴走しちゃうんじゃないか”みたいな危うさを秘めていたと思うんです。
私の買い物依存だって、お金が入ったからとか、もともとブランドが好きだったから、みたいな表面的な理由だけで陥ったわけでなく、買い物みたいに日常的な行為を繰り返す中で、“昨日まで普通に生きていたのに、急に何かが爆発して、普通じゃなくなっちゃった”みたいな感覚がありました。 '90年代の女性たちは特に、社会との付き合い方の中でやりきれなさとか、自分をどう表現していいかわからないジレンマを抱えていたのではないでしょうか」
──例えば中村さんの場合、自分の欲望に忠実に生きて失ったものはありましたか?
「いちばん大きく失ったのはお金だと思うんだけど(笑)、なんにも残っていないかからね。でも、精神的に何かを失ったということはないですね。ヘルスの体験取材をやるときは、周りから“そんなことしたら、大事なものを失ってしまう”って言われたけれど、自分的には何も壊れなかった。“身を落とす”みたいな言われ方もされたんです。でも、自分の意志でやっているんだからね……。やってみないとわかんないことって、いっぱいあるから。ホストクラブだって、行かないで外側から見ていても、本当のことなんてわからない。整形だって、やる前は私も否定的だったけれど、やって救われた部分もありますし。やっぱり、自分がハマってみないと見えてこないものってあるんですよ」
あくまで「自分がやりたいように生きる」という中村さん。彼女は一度、結婚・離婚を経験し、'97年にゲイの男性と結婚しました。再婚を選んだ理由は何だったのでしょうか。インタビュー第2弾では、ゲイで香港人のパートナーとの生活についてなどをお聞きしています。
(取材・文/池守りぜね)
【PROFILE】
中村うさぎ(なかむら・うさぎ) ◎1958年、福岡県生まれ。同志社大学文学部英文科卒。OL、コピーライターを経て、ジュニア小説デビュー作『ゴクドーくん漫遊記』(角川書店)がベストセラーに。その後、壮絶な買い物依存症の日々を赤裸々に描いた『ショッピングの女王』(文藝春秋)がブレイク。著書に『女という病』『私という病』(ともに新潮社)『うさぎとマツコの往復書簡』(双葉社)など。
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