人知れない苦労や悩みがにじみ出ることも

 ご自身の内面を見つめたお言葉にも、美智子さまならではの感性や慎み深いお人柄が表れています。

◎私はいつも自分の足りない点を、まわりの人に許していただいてここまで来たのよ

 こちらは1993年、現在の天皇・皇后両陛下の婚約内定記者会見で「皇后さま(美智子さま)は慣れない皇室の生活に苦労されたと聞きますが、雅子さまをどうやって支えますか?」と質問された天皇陛下が、かつて美智子さまから聞いて印象に残っている言葉として紹介しました。美智子さまの謙虚さや慎み深さがうかがえます。

1960年8月、軽井沢で。カジュアルなファッションも注目の的に 撮影/週刊女性

◎自分の心の中にある悲しみや不安と折り合って生きていく毎日毎日が、私にとってはかなり大きな挑戦

 2007年、ヨーロッパ諸国ご訪問前の記者会見で「日本の皇室に対するマスコミや世間のプレッシャーや期待感は大きいが、今まで直面した最も厳しい挑戦や期待はどのようなものか」という海外メディアからの質問に対するお答えです。この会見では「人々の期待や要求になかなか応えきれない自分を、悲しく申し訳なく思う」「心が悲しんでいたり不安がっているときには、対応のしようもなく、祈ったり、時に子どもっぽいおまじないの言葉をつぶやいてみたりすることもあります」など、弱音のようなお言葉もありました。美智子さまの笑顔の陰には、人知れない苦労や悩みがあるようです。

1970年のスナップ。帽子は美智子さまが好まれるアイテムのひとつ 撮影/週刊女性

 平成の時代には災害が起きるたびに上皇陛下と被災地を訪れ、避難所でひざをついて手を取り、地元の人たちの声に耳を傾ける場面が何度となく見られました。また、先の戦争がおこなわれた国内外の地への慰霊の旅を続け、真摯(しんし)に平和を祈ってこられました。

◎生きていてくれてありがとう

 2011年3月11日、東日本大震災が発生。同月末から7週連続で1都6県の被災地に足を運ばれた美智子さまが、津波に家を流された福島県相馬市の被災者にかけたひと言です。どんな相手に対しても敬意を持って接する美智子さまは後日、「被災地の人々の気丈な姿も、私を勇気づけてくれました」とのお気持ちを表しました。

◎大丈夫よ。落ち着いてください

 同じく東日本大震災の被災地・岩手県釜石市を訪問中、避難所で余震に驚く女性の手を握りながらこう励ましました。のちに「この地に長く心を寄せ、その道のりを見守っていきたいと願っています」と語ったとおり、人々に寄り添い続ける美智子さま。その姿に、声に、どれだけたくさんの被災地の人々が癒やされ勇気づけられたことでしょう。被災者の目線で訴えかけるからこそ、お言葉のひとつひとつがずしりと重く感じられます。

2011年4月、東日本大震災の被災地となった茨城県で被災者を励まされた 撮影/JMPA


◎今、平和の恩恵に与(あずか)っている私たち皆が、絶えず平和を志向し、国内外を問わず、争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切ではないかと考えています

 戦後69年となる2014年、お誕生日に際しての文書回答です。この世から戦争をなくし、人々の明るく豊かな暮らしを願われる美智子さま。この文書回答の3年後、中学校を卒業した愛子さまが記念文集の作文にこう綴られました。《日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか》。平和への強い思いは、しっかりとお孫さまに受け継がれているようです。